お金を求める本質はどこにあるのか
話していて、分かり合えないことがあるなって、最近特に思う。
それはそうだ。バックグラウンド、思考、知識や知性。全く違ったものをそれぞれが持っていて、自分が信じる正しさを追求している。その方向性が違っていれば、本質に迫るほど分かり合えないことは当然だろう。
ほとんどの人が「お金」を正しさとして定めているんじゃないか。最近実感すること。そのために決断し、実行し、時間を使って生きている。それが「当たり前のこと」となってしまっている。
本当にそう?
もちろん、資本主義経済の中で生きている限り、お金は必要だ。そのお金を何に使うか。お金を稼いで、自己実現をしたい人が多いのだろうけど、その先に何があるのだろうか。これは単に聞いてみたいことだ。
同僚と少し飲みに行った時、「これから成し遂げたいこと」を語った。次から次へとやりたいことを話す。これを成し遂げたらこれ。次はこれ。
やりたいことの連続の先には、必ず死がある。そう、人は「安らかな死」を求めているんだと思う。結局。
生まれてきたからには、必ず死が来る。いつか来る。その不安を払拭するために、お金を稼いでいるとも言えるのではないか。
「はて、一生懸命お金を稼いで使っているけれど、なんのために生きているんだっけ」
忙しい毎日の中で、ふと考えてしまう。忙しさは癖になる。癖になると自分に気づかなくなる。たまに自分の生き方を、自分が見つめてあげることが必要だ。
最近、むしょく大学というコミュニティに入ってみた。自分のような休職中の人、仕事から一旦離れて生き方を模索している人がいるらしい。休職期間中の人は、私と同じような不安を強く抱く人が多くいらっしゃるだろうから、そういう人たちと色々話してみたい。
生きるための処方箋が、何かしら見つかるかもしれない。自分の中になければ、人の中に探しに行くしかないのだ。
人はそれぞれに信じる正しさを持っているが故に、人は争う。正直疲れる。資本主義経済から一個飛び出すには、逆説的だけどお金が必要なのか。正しさを行使するためのお金は、権力だ。
貨幣経済が全てではないよね。と信じたい。
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