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悲しみたかったのか
9月に入って一気に寒くなった時、私は転職先に入社した。規模はこれからの会社なので、そしてコロナの状況もありオンラインでの自己紹介。
前の会社は広いオフィスに出勤していた。新聞社ということもあり、新聞という媒体を作るために大体が顔を合わせる日々だった。
たまにその大部分が取材にでて人が少ないと、ホッとしたり少し寂しくもあったり。やることは分かっていたからそこに集中する感覚も楽しかった。
新しい会社に入って、インプットとアウトプットが一気に入ってくる。やるべきタスクはどんどんくる。ベンチャーならではなのだろうけれどアメーバのような形のものに向き合って数字という形に向けて仕事をすることってこんなに大変なんだと思った。
もちろん前の仕事でも数字に向けて仕事はしていた。しかし、新聞という形に向けて仕事をする、それが明確であったためどこか安心感があった。
私の今の仕事は、どこにむけて、どの形に向けて仕事をしていけばいいのか、なんのためにこれをするのか、しっかり気持ちが落とし込まれていないのだとわかる。
気持ちが座っていない、つまり何をしていくか、共通のマインドセットを持てていないから不安だらけだ。それぞれにサクセスはあってもいい。それが多様ということであり、これまでも世界はそうであった。
大事なのは、そこを認める、受容すること。受容することは受け入れ、その存在を尊重することだ。理解に努めるということ。理解はただ聴くことだけではなく、小さいディテールを観察し落とし込むことも大切だ。(しかしオンラインではそこは今、不可能である。)
金曜日の終業近い時、私はひとりになる部屋でぼろぼろ泣いてしまっていた。”聴く”ことを仕事としてきた誇りがあるのに、忙しさで”聴く”に集中できない。それを自分の能力不足とも認めたくない。悔しい。悔しい…。
励ましや優しさは嬉しい。しかし自分の能力不足に失望したり自信を無くすのは、その時は自然発生的であるので、止めようがない。
事象から気づき、感情の発生、生体反応。事象を招いてしまうのはその原因がある。その原因を早く解消しなければ、このスパイラルである。
原因は、私の知識量の不足。そして整備されていない情報。自身でどこにその情報があるかを理解しなければその不安は解消されず、おそらくストレスは溜まっていく。
その情報がどこにあるか、引き出しの整理が必要であり、整理したら新しい知識も入れる引き出しを作らなければならない。
私は、この会社に入って、悲しみたかったわけではない。楽しみたかったのだ。新しいことを皆で作り、成し遂げた時の喜びをたくさん、感じたいのだ。人と喜びを分つことは努力し頑張ってきた人だけに与えられる人生のケーキだ。
だから私は、それをいつか味わうために、頑張る。そして、人を応援する。応援するために強くなりたい。そして、弱さも見せて励まされたい。
人生は宇宙であり、人も宇宙だ。宇宙の循環にいるのが私だ。
SpringDay 一年の最初の季節(私の中で)春のように、穏やかな気持ちを整えるために、私はSNSを使う。文章を書き、頭を整理する。今の思いや将来への希望やどうしていくかの考え、方向性。
春のように、一年を思い描く。悲しみたくはない。
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