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「世界は最初から狂ってる」
こちらは、新開誠監督「天気の子」の感想、ネタバレありです。
知りたくない方は回れ右してくださいね。
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今日2回目行ってきて、答え合わせ出来てスッキリしたので感想まとめです。
最初に思ったのは、「君の名は」を超えたその先という感じでした。
まあ、実際そうなんだけども。
「君の名は」は、運命に導かれて出会った2人が世界を救う話とわたしは解釈しているんだけども。そこには古のとかDNAとかそういう物で繋がってた2人の再会のラブストーリーだと思ってて。
「天気の子」は、光(空が晴れる事でもある)を求めて行き着いたその場所、その光が降る場所で出会った2人が自分の意思を貫くラブストーリーだと思った。
天と繋がった巫女は、天気を治療(雨を晴れに、あるいはその反対に晴れを雨に)するが、その代償に自分が人柱となり消えてしまう運命。
それは800年も遥か昔から繰り返されてきた事。
世界を救うためにはひとりの犠牲が致し方ない。
その1人の巫女にだって願いや生活、世界があっただろうに。
「自分たった一人が犠牲になる、そして世界が救われる」それが巫女のほんとうの幸せだっただろうか。
「死にたくない、生きて幸せになりたい」
そう望んでそれを実行する権利だってその巫女に当然あるべきではないのか。
しかし、この世界では
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
これは宮沢賢治の言葉だ。
※これは賢治批判ではない。わたしは賢治が好きで大学で日本文学を専攻して賢治ゼミで研究していたからこその感想である。
「天気の子」を観ていて、やたらこの言葉が蘇った。
世の為人の為にになり生きることが本当の幸せ
そう生きるべく教育され育てられて来なかったか?
隣人には優しくすべし
それが人間としての本来の在り方だと。
しかし、それが正しいと生きてきて、本当にこの世界は幸福だろうか?
事件や事故は悪質化、凶悪化しているし、自然災害は酷くなるばかり。
小さな個人の世界では妬み僻み嫉み。
世界が、世の中が、社会が、会社が、生活が上手く回るために、本当の自分の思いを抑えて、心に不満を溜めながら、愚痴を言いながら毎日を生きている。
一見、平和な国、豊かな国、幸福な国、恵まれてる国でありながら本当にそうなっているのか。
年金は減額されるわ、消費税は上がるわ、隣の国とは上手く行ってないわ…
そんな世界に生まれ落ちたわたし達。またはその子どもたち。
天災も多く、一人一人の所得も減っているこの社会に生まれて、この世界が全ての若い子達は、この世界で幸せを見つけて行くしかない。
大人やお年寄りは言う。
「昔は良かった」
「あの頃が一番活気があった」
でも生きているのは「昔」や「あの頃」じゃない。
みんな生きてるのは「今」
今が現実で全てなんですよ。
その今生きてる世界、それは最初から狂ってる。昔に戻しようもない。
そもそも昔が本当に良かったのか?正しかったのか?平和で幸せだったのか?
先日の台風で停電が酷く、不自由を強いられている千葉のみなさん。心からのお見舞いを申し上げますが、
今回の停電を見て、どれだけ電気に頼りきってる生活をしていたか。
電気のない生活がどれだけ不便なのか。
もう、電気のない時代には戻れないでしょ。
もちろん原発は反対だし、炭素に代わる安全な代替エネルギーは必須でそれを模索して行かねばならないと思う。
人間は何度も同じ事を繰り返す。戦争戦争ばかりの歴史ですよ。
一人一人違う考えや好みを持ちその世界がある中で諍いや戦いが起きないなんてそもそもあり得ない。
天候だって、観測史上、その観測を始めてたった数十年。
地球が生まれてからのこの地球の天候の変動は、長い単位で見たら異常でもないのかもしれない。
人間がおかしくさせてしまったのも事実かもしれないけど。
人工地震だ、人工台風だという陰謀論もあるけれど、まだ人間が天候を完全に支配は出来てないと思うわけで。
何度台風が来ようと、地震が起きようと、人間は、それをなんとか乗り越えて生きて生活してるわけでしょ。
映画の中で、気象神社の宮司のおじいさんが言っていたように、
「この気候に、この世界にふり落とされないように」
必死にしがみついて生きていかなければならない。
そんな世界で帆高の祈りがささやかすぎて切ない。
「これ以上ぼくたちに何も足さず、ぼくたちから何も引かないでください」
大それた夢も抱かない、今で充分幸せだから、何も足さないでいいから、これ以上ぼくたちから何かを引かないで。
16歳の子どもだから、生きていくお金を稼ぐのもままならない。成人するまでは親の管理下にあり、家出扱いになってしまう。子どもだけで生きようとしても児童相談所に介入される。
それでも偶然の出会いでなんとか生活を始めて大事な人を見つけた帆高。
一旦は、世界の為に、全体の幸福のために、陽奈が消えた事を諦めようとする。
それでも、陽奈への執心執着が、この世界へ連れ戻すきっかけとなる。
16年の人生の中での陽奈との出会いは、帆高にとってかけがえのないものだったのだと思う。
帆高の島での生活や家出した理由は描かれていないが、家出して上京する時、顔に怪我をして絆創膏だらけだった。
親に殴られたのか、いじめか。
本来生きるハズの場所から、自分の意思で逃避して家出した帆高は、実はメンタルが強いんだと思う。
ネットに質問して酷い返事があってもそれほどめげていない。
元々、周りがどう思うかとか、常識だとかを重要視していなくて、警察に捕まりそうになっても逃げ出そうとする強さがある。
最後の最後まで、自分の気持ち、直感を信じて行動する強さがあるから陽奈をこの世界に連れ戻すことができた。
陽奈も誰か幸せのために晴れを祈るのではなく、自分が世界に戻ることを自分の為に願った。
それで、世界がどうなろうとも。
そうして戻ってきた陽奈と、戻させた帆高。
帆高は元いた場所に戻り、息を潜めて大人になるのを待つ。
世界を変えてしまった。
その罪悪感もあって、陽奈に会うことができない。
陽奈も、もう力をなくしているのに、それでもまだ晴れることを祈り続けていた。
「世界は元々狂ってる」
「お前たちが世界を変えたわけではない」
そんなことを須賀は言います。
そして、人間達は、水に沈んだ街でそれなりに生きている。
「この辺りは元々海だった。それをお天道様と人間が少しずつ変えてきた」
と、君の名はの瀧くんのおばあちゃんが言い、古い家を失って新しい場所に住んでることを受け入れている。
そして、最後、帆高と陽奈が再び会うとき、帆高は受け入れる。
罪悪感も受け入れて、どんな世界でも大丈夫!生きていける。
世界よりも陽奈を選んだこと、陽奈と生きていくこと。
そこを改めて心に決めたんだと思う。
まずは個人の幸福、最低限のささやかな幸福を選んでいいとわたしは思う。
そこから余裕ができれば人の幸せを願い、叶えればいい。
賢治さんには悪いが、
まずは、個人の幸福ありき。
個人の幸福なくして、ぜんたいの幸福はあり得ないという事だと思う。
実際の賢治も、自分が病気になり、ぜんたいの幸福も実現できずに亡くなったのだから。
最後に、これを見たうちの16歳の娘も「凄く面白かった」と言って泣いていた。
今日も、若い子たちがすすり泣いていたし、終わって出たところで、小学生の男の子が「天気の子、めっちゃ面白い」って言ってたのを耳にした。
なんか、未来は大丈夫。
そんな気がして嬉しく劇場をあとにした。
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