心理学の観点からみた異文化理解(2)
「異文化理解」の授業資料として作成した文章の続きです。第1回では、ホフステードが提唱した文化の違いを捉える6つの次元のうち、「1. アイデンティティ:個人主義・集団主義」と「2. 階層:権力格差」を説明しました。以下では3番目の次元から説明していきます。
3. 競争と達成:男性らしさ・女性らしさ
ホフステードのモデルにおける六つの次元のうちの一つに、男性らしさ(masculinity)/女性らしさ(feminity)という次元があります。ただし、この次元は、最近(2023年10月16日)更新された Hofstedes-insight.com では、「達成と成功に対する動機」(Motivations toward achievement and success)に修正されています。以前の名称が男性と女性の固定観念をさらに強めうるもので、新しく修正された名称がより望ましいように見えますが、これまで蓄積されてきた様々な研究で用いられてきた概念が前者であるため、ここでは男性らしさ・女性らしさという用語を用いて説明します。
競争に勝つこと、高い地位に上がること、成功することに大きな意味を置く個人がいる一方、ちょっとしたことに人生の意味と幸せを見つけ、隣人に優しさを与えることに価値を置き、激しい戦いの末の勝利よりも平和な生活に大きな価値を置く個人がいます。ホフステードのモデルにおいて、前者は男性らしさが強いと言われ、後者は女性らしさが強いと言われます。(ホフステード他, 2013: 第5章)
男性らしさが強い国は女性らしさが強い国に比べ、男女の役割の違いにも大きな違いが見られます。このことも、男性らしさ・女性らしさという次元の特徴です。男性らしさが強い国では、男性が収入を得て女性が家の中を仕切ることが標準的だと考えられがちです。(pp.136-140)
この次元の特徴は、教育にも現れます。 いくつかの例を挙げると、男性らしさが強い文化圏の教育では、優秀な学生になることを美徳と考え、教室内でも競争が一般的です。学校のスポーツでもチームの勝利が重要な目標です。(ホフステード他, 2013: 144-148)
男性らしさが強い文化圏では、大きな規模の組織が好まれ、専門職には女性が比較的少ないです。女性らしさが強い組織に比べて、攻撃的な経営スタイルを追求します。チーム間の葛藤がある場合、女性らしさが強い組織では妥協と交渉を重視するのに対し、男性らしさが強い組織では強いチームが勝つことを原則に葛藤を解決しようとする傾向があります。(ホフステード他, 2013: 150-154)
男性らしさ・女性らしさは移民政策にも影響を与えます。男性らしさが強い国では少数民族が多数派の民族に吸収される同化主義が好まれる一方、女性らしさが強い国では民族間の優劣を問わない統合主義が好まれます。男性らしさが強い国々は成長と富を追求する一方、女性らしさが強い国々では、貧困なグループのためにより多くのお金を使うなど、福祉政策により積極的です。国際的な紛争において、男性らしさの強い国は戦闘によって解決する傾向があり、女性らしさの強い国は妥協と交渉よって解決する傾向があります。(ホフステード他, 2013: 154-159)
男性らしさ・女性らしさは宗教とも関係していま。キリスト教を見ると、旧約聖書は新約聖書に比べ、より荒々しく男性的な価値を重視する一方、新約聖書はより柔らかく女性的な価値の福音を伝えます。仏教でも、男性らしさの強い日本の仏教と女性らしさの強いタイの仏教は、教えや形式に多くの違いがあります。(ホフステード他, 2013: 159-163)
デンマーク、フィンランド、オランダ、ノルウェー、スウェーデンなどヨーロッパ北西部の国々は概ね女性らしさが強く現れます。伝統的にこれらの国の上流階級が従事した貿易や海運業は、良好な人間関係を維持し、船舶と物資をうまく管理することが重要な仕事だったようです。また、スカンジナビア諸国が バイキング時代だったとき(800-1000年)、女性たちは男性が長期間外に出ている間に村を管理する責務を担いました。 これらの国で比較的女性の社会的活動が活発な理由は、このような歴史的背景に隠れている可能性があります。(ホフステード他, 2013: 164-165)
4. 真実:不確実性の回避
4つ目の問題は、明確でないこと、新しいことを受け入れることにどれだけ積極的であるかという問題です。ある人は、新しいことに挑戦することに慎重で、慣れ親しんだものや場所、人を好みます。ある問題に対して正解が決まっていると信じ、自分が間違っていないかどうか慎重になる一方、新しいことを簡単に受け入れ、新しいもの、人、場所を経験することにもっと積極的な人がいます。このような慎重さ、開放性などの個人的な特性は、文化圏によっても異なって現れます。どの時代、どの社会にも不確実性は存在しますが、それぞれの社会は、様々な方面に存在する不確実性を管理する様々な方法を発達させてきました。 ある社会は不確実性を回避して排斥する方法で、ある社会は不確実性を受け入れて融合させる方法で発達させてきたのです。 実際、不確実性というのは主観的な感覚です。そのため、ある社会の個々人が感じる不安に対して、他の社会のメンバーは非合理的だと思うかもしれません。(ホフステード他, 2013: 第6章)
不確実性の回避(uncertainty avoidance)が大きい組織では、仕事を遂行する上でより多くのストレスが報告されています。国レベルの不安も高く報告されています。国別の不安度は、国別の自殺率、飲酒量、事故による死亡率と関係があると報告されています。アイルランドの心理学者Lynnは、不安度が高い国の場合には飲酒率が、低い国の場合にはカフェイン摂取率が高いという結果を発表しました。不安が低いと精神的な刺激が必要なのでコーヒーなどのカフェイン摂取を、不安(ストレス)が高いとそれを解消するために飲酒摂取率が上がるということです。(ホフステード他, 2013: 177-181)
社会の規範や制度面でも不確実性の回避が低い、つまり受容的な社会は、ルールや組織の構成を変更することに柔軟性があります。組織内では、必要なルールだけが存在し、不要なものは取り除いたり変更したりすることができるという考え方が共有されています。家庭や教育面では、不確実性の回避が大きい家庭では、子どもたちはしばしば正解と不正解が存在することを学んでいきます。 また、親は教師を教育の専門家と考え、教師と親が同時に積極的に子どもの教育に参加するのではなく、親は観察者の立場に立つことになります。(ホフステード他, 2013: 188-189)
不確実性の回避が大きい国は、移民や難民の受け入れに消極的だと言われています。新しい集団を受け入れることに慎重で、移民を差別し敬遠する傾向が大きいため、外国人としての定住に多くの困難が伴う社会です。(ホフステード他, 2013: 203-206)
不確実性の回避の国ごとの違いは、歴史的背景で説明することができます。過去にローマ帝国の支配下にあった文化圏の国々は概して不確実性回避性が高いのに対し、中国語圏の国々は不確実性回避性が低い傾向があります。ローマ帝国と中国の王朝はどちらも強力な中央集権の政府でしたが、統治方法には大きな違いがありました。ローマ帝国は一つの統合された法とシステムが出身に関係なくすべての市民に同じように適用されるようにしましたが(「法による政府」)、中国の王朝は儒教思想などより一般的で広い範囲の原則に基づいて統治しました(「人間の政府」)。 もう一つの不確実性の回避・受容性を説明できる重要な要因は戦争の経験です。不確実性に対する回避・受容性は比較的可変的な価値観で、戦争を直接経験した国家、特に敗戦国や自国の領土で戦争を経験した国家の場合は、回避性が大きい傾向が見られます。(ホフステード他, 2013: 211-213)
5. 過去と現在、そして未来:短期志向-長期志向
第五の問題は、過去と現在と未来のどれを重視するかということです。長期志向(long-term orientation)というのは、未来は可変的でより良くなりうるという考えを持ち、現在は未来のために一生懸命準備する時期と考え、焦点を未来に置く価値観を意味します。学習と勤勉、節約、忍耐を強調する儒教的価値観と深い関係があるため、東アジアの価値観の特徴として考えられており、実際にデータ上でも東アジア諸国の長期志向は最上位に属します。東アジア諸国が急速なスピードで経済成長を成し遂げることができた原動力も長期志向で説明することができます。比較的短期的な志向(short-term orientation)を持つ東アジア以外の人々が東アジア人に対して仕事中毒だと思うのも、この志向性と関係があります。長期志向は、過去・現在よりも未来を重視するため、自分(たち)が過去と現在に成し遂げ、備えていることそれ自体に満足し、誇りに思うのではなく、未来のために絶えず準備し、周囲や周辺諸国から学ぶことに価値を置きます。子供たちは幼い頃から、将来のために勉強し、計画を立て、忍耐し、貯蓄することを重要なこととして学びます。(ホフステード他, 2013: 第7章)
なお、長期志向は、研究者やプロジェクトによって社会の「柔軟性(flexibility)」(Minkov et al., 2017)「未来志向(future orientation)」(GLOBEプロジェクト)と呼ばれることもあります
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同じルーツを持つ宗教です。 これらの宗教の原理主義では、現在ではなく過去からの知恵の中に答えを見つけようとするという点で、短期志向と関連しています。(ホフステード他, 2013: 246-248)
6. 幸福: 放縦と節制
最後の問題は幸福へのアプローチです。一般的に、富は個人の人生の満足度と幸福を決定する重要な要素です。 しかし、世界価値観調査(World Value Survey)で測定する国別の幸福度と富のレベルは相関が高くありませんでした。 むしろ、最も幸せな個人は西アフリカ(ナイジェリア、ガーナ)とラテンアメリカの北部(メキシコ、エルサルバドル、コロンビア、ベネズエラ)に最も多く分布していました。放縦と節制の側面がこの理由を説明しています。放縦(indulgence)と節制(restraint)は人類学で提示される「ルースな社会」と「タイトな社会」と似た概念ですが、放縦の高い社会が自分の人生に対する統制感を維持し、余暇生活を重視する一方、節制の高い社会は自分に起こることに対する統制感が低く、余暇時間をあまり重視しません。ブルガリア人の文化心理学者のMichael Minkov(彼は個人的なチャットやメールではMichaelの代わりにMishoと呼ばれています)はWVSデータ分析を通じて、人生に対するコントロール感と余暇生活を重視することが幸福感の高さの一つの要因であることを発見しました。 この放縦と節制の側面は、なぜ貧しいフィリピン人が裕福な香港人より幸せなのかを説明してくれます。フィリピン人は香港人に比べて、人生のコントロール感をより多く経験し、余暇をより重視するため、より高い幸福感を感じるのです。(ホフステード他, 2013: 第8章)
放縦と節制という次元は、社会の持続的な発展と関連した様々な現象を説明してくれます。放縦が高い社会の個人は、節制が高い社会の個人に比べ、家族や友人関係に満足し、個人的な連絡をより多く交わします。笑顔は社会の無意識の規範であり、発言の自由が重要視されます。また、放縦性の高い社会の個人は将来についてより楽観的で、これらの国は比較的高い出生率を示します。 また、心臓病などのストレスに関連する病気による死亡率も低いです。(ホフステード他, 2013: 269-275)
しかし、良いことばかりではありません。 放縦性の高い社会の個人は魚の摂取率が低く、飲料や酒の消費率が高いです。 経済的に豊かで放縦性の高い社会の個人は高い肥満率を示すというデータもあります。(ホフステード他, 2013: 271)
Minkovは、ユーラシア地域における集約的な農業の数千年にわたる歴史がかかわっており、放縦性の高い文化圏にはそのような歴史が存在しないと説明します。ユーラシア地域の集約的農業は、重労働、食糧の豊かさと飢餓が交互に訪れる変動性、抑圧的な国家と搾取、疫病、領土を占領するための果てしない戦争など、数多くの災害を経験させました。 すべての生命が苦しんでいるととく仏教や、真の幸福は来世でしか得られないと教えるユダヤ教、キリスト教、イスラム教が、いずれもユーラシアから生まれたことも、この農業形態と関連付けられます。これに対し、狩猟採集社会と植物栽培社会は、集約型農業の悪影響を同じ程度受けなかったので、自由と幸福感がより強かったと考えられます。 また、集約型農業には、節制された規律、将来のための計画と貯蓄、余暇への無関心、緻密な社会管理が必要ですが、これらの条件は、狩猟採集や園芸社会ではあまり重要ではないでしょう。(ホフステード他, 2013: 275-276)
さて、ホフステードの6つの次元の説明はここまでです。次の第3回では、ホフステードのモデルに対する批判を紹介した上で、最後の結びの言葉を述べたいと思います。
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