元祖平壌冷麺屋note(182)
書き残したいことが多すぎて、結句、何も書けないでいるから、やはりジャムの法則だった。
日曜日には、本の栞でのイベント「日記からはじまるおしゃべり会」に登壇した主役であり、自分にとってのヒーローたちである、お二人が、イベント参加者のMさんと、冷麺屋にご来店した。
何週間か前に、ご本人から、必ず伺いします、という律儀なメッセージを頂いていて、前夜からウキウキそわそわしていた。当日は雨の降りそうな曇天だったので、体調を崩されて来られないかも知れないな、と勝手に心配もしていたのだった。
柿内正午さんの「プルーストを読む生活」をずっと読み続けていて、読了後、すぐに「差異と重複」を引き続き読み続けるという、奇跡のようなタイミングで、日常の記録を追い続けているためか、作者ご本人を前にした時に、虚構という壁を通り抜けて、さらに未来からやって来たような不思議な感じを覚えつつ、あっ、柿内さん!と、つい声に出してしまったのだった。
さらに一週間前から読み始めて、面白すぎて、何度も電車の駅を乗り過ごしそうになっている日記の作者さんも、同行されていて、もしかして蟹の親子さんですか?と聞きながらも、絶対にそうだろうという確信があったし、もうひとりの同伴者さんは、たぶんイベントの参加者だろうという感じだった。
その方は、東京文フリにZINE出品した京都の作家さんで、その場で一冊、買わせて頂いたのだけど、お見送りの際には、思いっきり名前を間違えて呼んでしまい、名前の覚えられない病が発症して、申し訳なかった。ごめんなさい。
その日の柿内さんの日記は、かつて「プルースト」の日記の中で、「情景を描くことができない」と漏らしていたのが嘘であるように、ありありとその日の情景が映し出されていて、金のイルカが飛び跳ねているシーンでは、ふと村上春樹がデビュー作で、「象は平原に帰り僕はより美しい言葉で世界を語り始めるだろう」と書いていたことを、思い出した。
蟹の親子さんは、人の日記の中に自分が登場することを夢見た時期があった、と書いていたけど、柿内さんの当日の日記に自分が登場した時、あっ、これからはこの刹那の自分が虚構内世界で、ずっと生き続けることになったんだな、と不思議な感じがした。
帰路、電車の中、スタンダードブックストアのオンラインショップで、絶版だった「雑談・オブ・ザ・デッド」を購入できた。実店舗は昨日で閉店だったのだった。本屋が閉店するという知らせを聞くと、巨象が倒れるイメージが自動的に浮かぶのだけど、それが何を意味しているのかは、いまだに分からないままだけど。
蟹の親子さんが、レジでお支払いをされる時に、台湾のなんとかさんのZINEがとても良くて1003で見つけられるかも、という取っておきの秘密のような情報を教えてくれたのに、その肝心の名前が思い出せなくて、悔しかった。
確か「団十郎」のような響きの名前だったのだけど、ちょっと違う気もする。昔から名前と顔を覚えられないので、その場で名前をメモするか、似顔絵を描くかしないと、すぐに記憶から通り過ぎてしまうのだった。
覚えると絶対に忘れることのない記憶の宮殿を持ち合わせている、ハンニバル・レクター博士が羨ましい。食事の嗜好は、だいぶ違うけどね。って、そりゃそうだ。