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在日文学7選( 金鶴泳、梁石日、高史明、崔真碩、岡真史、柳美里、李龍徳 )【 本の紹介 】


今年の4月末までに読んだ、広義の(というのは、ルポ、詩、エッセイも含めるので)在日朝鮮人文学を紹介します。理由は、私自信が在日4世だからという個人的動機からですが、最後までお付き合い頂けましたら幸いです。


1冊目(2/12読了)
『 鑿(のみ) 』金鶴泳(きんかくえい)

およそ42年前の在日朝鮮人文学です。年初に今年は意識的に在日文学を読むと決意した矢先、「 かかりつけの古本屋 」でこの本を見つけたので、飛びついて入手しました。

抗えない運命と確執、悲惨と絶望の陰鬱な暗さの底に、抑えきれない怒りと恨み、隠すことのない凶暴さが満ち満ちていて、日本で生まれた朝鮮人とは何者なのかという問いが、憑き物のように胸中で反芻されました。精神力を試されているようでもあったし、実際かなり消耗された気もします。今まで見ようとして来なかった、歴史と家族の秘密を覗いているようでもありました。

在日文学読破プランのスタートが、初見の作家であったのは、自分にとって良かったのでしょう。


2冊目(2/22読了)
『 タクシードライバー 一匹狼の歌 』梁石日(ヤン・ソギル)

梁石日の『 タクシー狂躁曲 』を、父だったか叔父だっかの書棚から拝借して、こっそり読んだのは中1くらいの頃だったか。タクシードライバーの凄まじい経験談にビビりながら、その凄みの正体を、それからおよそ10年後『 血と骨 』を読んで知ることになったのでした。梁さんの、在日朝鮮人としての生き様がフィクションとは思えない迫力で書き殴られていたのです。

この『 タクシードライバー 』は、デビュー作『 タクシー狂躁曲 』のシリーズとして、今回は小説ではなく、タクシー業界の実態から日本社会の有り様を暴いたルポです。

昨年末に、タクシーの運転手に色んな体験談を聞かされたときに「 まるでヤンソギルの、タクシードライバー日誌 」みたいですね。と相づちをうったら「 何なんそれ? 」という反応だったので、本の紹介をしつつ、そういえば「 この本 」も積ん読だったなあ、と思い出したのでした。

ルポは読み応えあるのですが、途中の「 タクシードライバーが体験したゾーッとする話 」に、作者のストーリーテラーとしての本領が発揮されているように思いました。


3冊目(3/6読了)
『 いのちの涙あふれ 』高史明(こうしめい)

1998年の高史明さんによる講演と、83年の住井すゑさんとの対談記録。

人間が、人間らしく生きることの当り前を、子どもたちに語りかけるように、分かりやすく諭してくれます。

人類の祖系が一つだとすれば(人類みな同じ血液が流れていて輸血が可能だ)、中国人・朝鮮人・日本人という区別は地域的に仕方ないとしても、そのことで差別するのは、自然の法則ではありません。

「 私たち(大人)は、権力側に強制された色メガネを外し、子どもたちの眼に学ぶ必要がある。すると、真実が見えてくる。真実とは、自然の法則に従うことなのだ。 」

素晴らしい話をありがとうございました。コマッスンミダ。


4冊目(3/12読了)
ひと 』崔真碩(チェ・ジンソク)

〈 サラムは朝鮮語で人の意
サランは愛
サラムとサランは 同じ語源 同じ響き
人と愛が同じって素敵だ

ひと
この平仮名のやわらかな表情と響き方も素敵だ
サラムとひと
ふたり繋げて サラム ひと 〉

2011年3月12日からアナキストを自覚した、崔さんが、この『 サラム ひと 』の名前に込めているのは、人としての再生であると同時に、朝鮮人と日本人の共生。祈りとしての「 サラム ひと 」。ひとはサラムと共に在る。

ヘイトスピーチと関東大震災時の朝鮮人虐殺は、チョッケツしている。ウシロカラササレル。昨日3.11さいたま市子ども未来局が、朝鮮幼稚園には、マスクを配らないとした、それも「 マスクが悪用(転売)されるかも知れない 」との説明で。7年前の町田市が朝鮮学校だけに防犯ブザーを配布しないとした、あのときとチョッケツしている。ウシロカラササレルは、ヘイトが常態化する今日への予感だった。それでも。

〈 みんな人。人でなしでも、人は人。お互いに人であることを知ること。この当り前すぎる原点に立つことが、ヘイトスピーチを乗り越える、その道筋なんだと思う。 〉

〈 希望も絶望も虚妄だが
喜びは虚妄ではない
今のこの怒りが虚妄でないように
喜怒 わたしたちは サラム ひと

アンニョンハセヨ?
穏やかの意
無事ですか 平和ですか 穏やかですか
朝鮮人は 挨拶するたびに 安寧を紡いできたし
今日も 紡いでいる

アンニョンハセヨ?
ウシロカラササレルを越えて
やられたことをやり返さない
安寧 わたしたちは サラム ひと 〉


5冊目(3/12読了)
『 ぼくは12歳 』岡真史(おかまさふみ)

高史明さんの本を読んでいて、息子さんが幼いときに亡くなっていたことを知りました。ある夏の夕暮、みずから大空に身を投げたのでした。その子が『 ぼくは12歳 』の作者だと分かり、ことばにできない気持ちになり、その夜、読めないままに眠らせていた、その詩集を開きました。

少年のまっすぐな声が、話しかけてきた。部屋でビートルズをきいたり、自分が宇宙人だということに気づいたり、『 こころ 』を読んで戸惑う少年は、かつての自分自身の声と同じでした。

「 ぼくは
しぬかもしれない
でもぼくはしねない
いやしなないんだ
ぼくだけは
ぜったいにしなない
なぜならば
ぼくは
じぶんじしんだから 」

ありがとう、岡真央くん。少年は、永遠の少年となり、これからも、迷子になった少年少女たちを救ってくれるでしょう。


6冊目(4/3読了)
『 南相馬メドレー 』柳美里(ユウ・ミリ)

柳さんが南相馬に転居してからの5年間を綴った『 南相馬メドレー 』を、毎日、少しずつ読むのを楽しみにしていたのですが、とうとう読み終えてしまいました。

ところで、第一印象と、直近の印象がこんなに変わった作家を他に知りません。青年時代、心の中が荒涼としていた時期に、柳さんの小説『 家族シネマ 』とエッセイ『 私語辞典 』を読んで、寒々した虚無感に同期しそうになって、恐ろしくなりました。安易に踏み込めない。これが第一印象です。

それから、『 仮面の国 』を読んで、国や権力、矛盾に対峙する強さを感じましたが、返す刀の鋭さに切られ、血が流れる痛みを覚えました。でも、もっと読みたい。これが第二印象です。

さらに何年かして、『 自殺の国 』『 ファミリー・シークレット 』『 八月の果て 』を読みました。心と目が開かれる思いでした。苦しさの中から光が射し込んでくるようでした。

そして、『 ピョンヤンの夏休み 』『 国家への道順 』からは印象が、まったく変わっていました。言葉の温もりから溢れる、母なるイメージ。冷たさと鋭さの代わりに、温かい眼差しとおおらかさを感じるようになったのです。

あまり人を寄せつけなかった芋虫が、蛹になり、羽化して、蝶へと変態しても、本質は同じように、その全てが柳さんなんだ。

いつか家族を連れて、柳さんが店主として営むブックカフェ「 フルハウス 」を訪ねたい。その日が来るのを楽しみにしています。

※後日、感想を読んで下さった、柳さんから「 今年は冷麺屋に行きます。約束ね! 」とのメールを頂きました。


7冊目(4/23読了)
『 あなたが私を竹槍で突き殺す前に 』李龍徳(イ・ヨンドク)

うわあああああ。読み終えて、声が出ました。

まずタイトルを読んでブラックホールに吸い込まれるように、買い求めました。

次に、装丁。葬儀場に用いられる鯨幕を連想したのは、あながち間違いではなかったように思えます。

そして、大阪市生野区に住む、主人公の名前。柏木太一。「 太一 」は4.24阪神教育闘争を知る在日朝鮮人にとっては、特別な意味と響きを持つのです。

さらに、「 排外主義者たちの夢は叶った 」というショッキングな冒頭。

李さんは、丸善に檸檬(爆弾)を置くように、しかし、挑戦的に、テロリズムとしての小説を投下しました。

ディストピアの極地としての「 今 」に対して、「 私はこういう小説を夢見る 」で始まるユートピア小説を書いていたら、世界は変わったのでしょうか。

目眩のするような既視感、止まらない負の歴史の連鎖、怒りと哀しみの先に待ち受ける境地。

まさに時代が生み出した、もっとも邪悪な(あるいはピュアな)在日文学です。


以上、7冊を紹介しました。
「 在日文学 」は、日本語で書かれたものなので、在日コリアン(朝鮮/韓国人)によって書かれた日本文学とも言えます。今回、紹介できませんでしたが、深沢潮、鷺沢萠、玄月、金城一紀、崔実(敬称略)も著名な在日作家です。もし機会がありましたら、お手に取ってみて下さいませ。最後になりましたが、今は世界が大変な時期です。前記の『 南相馬メドレー 』からの一節を引用します。

〈 現実の中に身の置き場がなく、悲しみや苦しみで窒息しそうな人にとって、本はこの世に残された最後の避難所なのです。 〉

それでは、さようなら。いち早く事態が収束して、平穏な日々が戻りますように。

2020.4.28

朝の読書研究会「 はるか 」137号に掲載されました。

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