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退職を決断できたから今の私がある(双極性障害)

昨日、市役所の福祉課の方と、相談支援員さんという方と面談をした。
リワークに通うための正式な手続きのために、必要なことらしい。

私としては、あちこちに手続きに行き、リワーク体験をさせてもらい、
そうやって動き出したのが10月始めのことなので、
正直な話、「まだやっとったんかい」って感じなのだが、
書類を作成し、それが受理され、あちこち回ってくると、
こうやって時間がかかるっていうのが、今の公的機関のシステムなんだろう。

私を支援するための支援計画を作成するために、いろんな質問をされた。
リワークを含めた今現在の過ごし方、休職に至った経緯、目指すところなど。

休職に至った経緯を聞こうとして、市役所の方が、
「ここからは、少し辛いことをお聞きするかもしれませんが」と
前置きしてくださった。

が、ある日突然、自信や自己肯定感がゼロになり、
学校に行けるか、教室まで行けるかが不安になったという当たりの話をしても、
泣かずにいられた。感情に引っ張られずに、淡々と話をすることができた。

家に帰ってから、そのことを思い出して、泣かずにいられたのは、
①単純に、時間が経過して、思い出が風化したから。
②初対面のお二人の前で、「泣くまい」とどこかでストップをかけていたから。
③退職して、教職への未練を断ち切って、その決断に納得ができてきたから。

やっぱり③なんだろうな、と思った。

「いつか戻りたい」と思って、復職と退職の間で葛藤していた間は、
学校のことを語るたびに泣いていた。
去年のうちの半分くらいの期間を、その問題を頭の前にぶら下げられながら
生きていた気がする。今、思い出しても去年の自分は、しんどそうだ。

今は、双極性障害というものの特性を考えると、
あんなに刺激の強い場所(30人の予期しない言動が常に待ち構えている場所)
には、戻らない方がいいだろう、と心から思っている。
それに、葛藤の辛い日々が嘘のように、別の道に向かって歩き始めている。

目指す職場が決まっていないので、今はあてもなく歩いている感じだが、
リワークに通っているおかげで、前に進んでいる感覚が持てている。
一つ一つの段差がすごく低い階段を、一段ずつ丁寧に登っている感じだ。

あんなに辛かった「退職問題」。
でもそれを、決断し、乗り越えたから、今の私がある。

自分の経験や理想から職業を探すのではなく、
自分の心と体を第一優先に考えた職業を見つける方がいいと思うようになった。
職業に自分を合わせるのではなく、自分に職業を合わせたいと思った。

リワークに通おうという前向きな気持ちをもてるようになったのも、
「教員」へ向かう道を絶ったから。

今思うと、こうしてやってきた道のりはすべて、
「私の目指す何かの職業」につながっているわけではなく、
「病気と共に暮らしていく覚悟」につながっているような気がする。

完全にではないけど、少しずつ双極性障害というものを受け入れ、
生活記録をつけて活動の強度を調べたり、
疲れすぎないスケジュールにしようと考えたり、
どうやったら大きな波が来ないように暮らしていけるのか知りたいと思ったり、
自分の体調にアンテナを張って注視して、気付いたことを書き留めたり、
手探り状態ではあるけど、「病気と共に暮らす」準備をしている。

あのとき、別の決断をしていたら、別の未来があった。
でも、今の私は、あのときの決断に納得している。それでいい。
私は、その壁を乗り越えたし、先に進んでいる。それでいい。

「泣かなかったな。えらかったな」って話が、
こんな超大作になった。話を無駄に長くするのがうまい。

最後まで、読んでくださりありがとうございます。
また来てください。待ってます。

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