失恋と卒業


#未来のためにできること

  フラれた。それも卒論作成という一大イベントの最中に。
  卒業も危ういほどにメンタル崩壊した。卒業なんかどうでもいいや。
  しかし、卒業に不可欠なことはこなせないくせに、アルバイトだけは律儀にこなしていた。
  キツい肉体労働があるという現実を知るために、私は、構内作業のアルバイトをしていた。工場や倉庫などでの構内作業は、開発途上国から来日した人々が支えていた。ベトナム、ネパール、アフリカの国々の人々が作業員のほとんどを占めていた。日本語を理解することが出来なくても、例えば、番号さえわかれば商品の仕分けを行える。
  ある日ベトナム人の女性が、片言の日本語で話してくれた。彼女は若くして結婚し、本国で学校に通う子供たちのために仕送りをしていた。自分とは違って、子供たちにはきちんとした教育を受けてもらいたいということ。上の子が学校を卒業したことが本当に嬉しかったということ。子供たちが全員、学校を卒業することが、何より嬉しいことだということ。彼女と同様の事情のために来日した人々は多かった。
  世界を見渡せば “普通”の教育を受けられない子供たちがいる。学校に通えなかったり、学校を中退したりする子供たちがいる。子供たちが学校を卒業することを、人生の希望とする親たちがいる。
  きちんとした教育を受けられないことは、職業選択の幅を狭めることを意味する。“普通”の教育を受けることさえ出来れば、彼らにも違った人生があったのだろうか。しかし彼らが不平不満を言うことはなかった。彼らは明るかった。子供たちの卒業を心の支えとして、歯をくいしばって過酷な肉体労働に従事していた。
  彼らの姿は、私に、“普通”に大学まで通えることのありがたみ、贅沢さを教えてくれた。彼女の下の子は無事に卒業できただろうか。
  当たり前に教育を受けることが出来ない子供たちがいるという現実を、日本人は小学校時代からでも学ぶ必要があるのではないだろうか。開発途上国での子供たちが直面している現実を学ぶことは、“普通”に学校に通える先進国の人間の義務でもあると思う。
  懸命に働く彼らと一緒にいると、無言で去っていく元カレの背中の残像をほんの少しだけ忘れることが出来た。そして私は何とか卒業することが出来た。

 

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