書店とジムとプール
10年ほど前、今住んでいる町にも大型の書店があった。退社後、誰もいない部屋に帰る前の気分転換としてよく立ち寄っていた。店内をうろつき、本や雑誌を立ち読みしたり、本を買っていた。今思うと、たとえわずかな時間であっても、本を手に取ったり、発刊日を調べたりするのはいい時間だった。当時も仕事でストレスを溜め込むことが多かったが、書店ではそうした悩みを忘れていたように思う。自動ドアから一歩店内に入り、ふうっと息をつくと、滞在することに違和感を感じずに済む場所だと思えた。
当時、私はやっとの思いで正社員として働くこととなり、全く見ず知らずの土地に住むことになった。働いていても、社内は自分がいてもよい場所とは思えなかった。長年、地元に住んでいる人たちが通うスナックに間違えて入ってしまったような感覚がずっとあった。当時の住まいは社宅だったから、仕事を終え、自室のドアに鍵をかけるまで気を抜くことはできなかった。会社でも、住まいでもよそ者だ。だから、自分が自分でいて良い場所として、書店は貴重な場所だった。
しかし、自分と本との距離を考えると、昔に比べてずいぶん遠ざかってしまった。仕事が馬鹿みたいに忙しくなってしまったことも一因だ。昔は、休日に朝昼兼用の食事を摂ったあと、近くの書店で読みたい本を買うことが日課だった。今もそのころもこの町には知り合いがいないから、本を読むことと、ジムでトレーニングをするかプールで泳ぐくらいしかやることがなかった。店員さんとの挨拶を除くと、休日に人と話すことさえまれだった。
そのころ読んでいた本は、海外のミステリが多かった。大学時代からはミステリを好んでいたから、その流れだろう。身近な出来事より、遠い場所の話を好んでいた。とにかく本の世界に逃避することで、何とか自分を保っていたのだと思う。会社のデスクにも文庫本を入れておいて、昼休みに読んでいた。「罪と罰」も昼休みに読んだ記憶がある。本を片手も持っていさえすれば、パチンコや競馬の話に付き合わずに済んだ。
あのころも人間関係はうまくいかないし、仕事にしてもこのままでいいのかわからないし、悩みは多かった。今も人間関係は破綻しているし、転職活動中だ。人なんてそんなに変わるものではないというのが自分の持論だ。でも、また本とジムとプールの日々に戻れば、一からスタートできそうな気がしている。いいのか悪いのかはわからないけれど、あの日常が自分のベースになっていることは間違いないようだ。