ビスコ

 先日、また転職活動で大阪に行った。
 我ながら節操がないというか、日帰りできる範囲なら呼ばれればどこにでも行く。以前は、宿泊ありの転職活動をやっていたが、さすがに財政面が厳しくなった。金がないと、何もできない。
 早朝、鉄道で大阪に向かい、面接及び市内の移動時間合わせて1時間の大阪市内滞在ののち、早々に引き上げた。1時間のための移動時間は、往復で10時間を超える。いつもながら、何やってるんだろう、と遠い目をしたくなる。

 今回、途中の乗り換え駅で30分ほど待つことになった。ホームに置かれている椅子に腰を下ろし、鞄から買ってあったマックのメガマフィンを取り出し、頬張る。時刻は既に3時を回っているから、温かいはずもないが、移動距離が長くなればなるほど食事が疎かになる私にとっては貴重な食料だ。幸い、ホームの外れにこの場所には誰もいない。食べ終えた後、自室から持ってきたビスコを食べた。うまい。バタービスケットとクリームの絶妙な味わいが疲れを癒してくれる。

 そんな中、昔の記憶がよみがえった。今も多分、実家のどこかに1枚の写真があるはずだ。そこには、小学校1年生の遠足のとき、クラスメイトと一緒に写った自分がいる。その自分は、赤いビスコの箱を持って涙目になっている。朝から楽しい遠足だったが、弁当を食べたあと、おやつの時間になってビスコを取り出した私は同級生からからかわれたのだ。
「こいつ、ビスコなんか持ってきている。幼稚園児かよ」そして周りに囃し立てられた。私はビスコが好きだった。だからおやつに買ったのだが、その同級生の言葉に傷つき、反論することができなかった。そして泣きそうになった。このころから、咄嗟の攻撃に即応できない点は今も変わりがない。

 家に帰り、母に遠足のことを聞かれたが、「楽しかった」とだけ答え、ビスコの話はしなかった。母に悲しい思いをさせるのが嫌だった。それから、遠足にビスコを持っていくことはなくなった。

 時がたち、すっかりおっさんになった私は駅のホームでビスコを齧る。前途は絶望的で、一片の光明すらない。どうせ今日の面接も、明日になったらお祈り文書になるだけだ。それでもビスコはうまい。今ならシンプルに思う。うまいのだから、それでいい。どうしようもなくとも、明日、目が覚めたらまた働かなければならない。明日、今の会社を辞めることになるかもしれない。それでも生きていかなければならない。10年後の自分も、生きていたらしんどいことをやりながら、ビスコを齧っているんじゃないか。疲れ切った体を椅子に沈めながら、そんなことを考えた。

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