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他人の道を歩いてたって、ちゃんと理由があるんだってぇ~💦

こんにちは 五月美です


そういえば

今まで様々な人たちと出会ってきてるよなぁ~

と、たまに振り返ることがあります😊


例えば、人との関係で

「相談がある」

なんて言われてアドバイスすると


「でもぉ~」


「だってぇ~」


のオンパレード😅

いやいや、もうアドバイス受ける気ないやん💦


昔に読んだ本で、女性は、アドバイスなんかいらなくて、ただ話を聞いて欲しいだけとかって書いてたなぁ~

確かに・・あるか🙄


いや、ひょっとして、もう答えが決まっていて、同調してくれたらOKみたいな感じもあるのか?


そもそも同調って

調子を合わせること。 転じて、他人の主義・主張などに同意すること。 他と同じ意見・態度になること

AI

だったら、先に答えを言うとけってぇーー💦


私は、そんなやりとりに

「ほんとは、もう答えが決まってるんじゃない?」

と、次の一手を出してしまうことがあります


が、しかし


「はい😤」

なんて言うことは滅多にない!


なぜなら、その本人も、相談の渦中になってる人の同調してるに過ぎないことも多いんですよねぇ~💦

“同調”が起きる理由は、人間が周りの人の行動や意見を基準として自らの行動や意見を決めていくからです。 そこには、「何があるかわからないのでとりあえず同じ行動をとる」「人と違うことをして周りの人に嫌われたくない」という心理が働いています。

Google引用

あ、何か気になる文言がありますね ↑


嫌われたくない心理はわかるけど・・・

「何があるかわからないので、とりあえず同じ行動をとるぅ~?」


んん🙄

例えば、いきなり、周りが右に走り出したら、何か知らんけど自分もとりあえず右に走る的な?


で、途中で疲れ果てて

「何やってんだ?」

と、だんだん冷静になってくることもある


でも、周りは、まだ走り続けてるんで止まる勇気がないんだけど、一人止まってる人を見つけて足踏みしながら


「どうすれば?」


「止まればいいじゃん」


「いや、でも、だってぇ~」


「あっちには何もないけど」


「・・・・・」


さすがに「まだ一人しか止まってる人がいないんで」

なんて答えることができないか😅


私は、今まで様々な人たちに出会ってきたけど、大きく分けて二つの種類に分かれます


・自分の道を歩く人

・他人の道を歩く人


簡単に言えば、自分の意見を持ってるか、持ってないかなんですが、これはもっと細かく分けることができます😊


当然、我が道を歩いて行く人と

・何も考えることなく流されるまま他人の道を歩く人

・常に考えながらも他人の道を歩く人


まさに、似て非なり

外見は似ているが本質や中身は異なることを意味する慣用句です。

AI


本質は、全く違う考えを持ちつつも「嫌われたくない」という明確な理由が存在するのと違って、何か知らんけど、みんながやってるから自然にやってるみたいなこともある💦


確かに見た目は同じに見える


実は、何か行動をすることに理由って結構大事で、その理由が変われば、行動も変わりますね😊


極端な言い方をすれば

「別に嫌われても好きなことをしよう」

そう方向転換すれば、歩く場所は自分の道に変わるわけです


ところが

「何か知らんけど、みんなの言う通りにしとこぉ~っと」

ってなると思考は止まったままですねぇ~😅


時に、同調共感とをごっちゃにしてしまうことがあるんですけど、何が違うかって

どちらも相手の意見を肯定するという意味に思えますが、全く別のものです。 共感は相手の立場に立って考えることであり、同調は相手と全く同じ考えになることです。

Google引用


ありゃりゃ

意外に、共感してると肯定的な解釈を勝手にして、同調しちゃってることも多い気がします💦


相手に合わせることも、当然必要な場面もありますが、言葉の解釈や思考を常に持っていれば、次の一手が見えてくることがあるんですって😄


何も考えずに、他人の道を歩いていると、間違った方向だと気づいた時に、必ず他責思考になって「自分のせいじゃないってぇ~😭」みたい考えがやってきて、また違う誰かの道を歩くという・・・💦


何か今までの行動に疑問を持った時に

「何でこうやってきたんだろう?」

って少し考えてみるのもいいんじゃないかなぁ~😊


理由を明確に自分で知れば、次は自分の中にある優先順位に沿って、同調なのか、共感、また自分の好きなものかで歩く道の景色がどう変わっていくのかを知ることもできます


ってことで


思考停止にご用心です!


おしまい


本日のまとめ

まさに「人は考える葦である」です


思想家パスカルの言葉で

「葦(アシ)」はヨシとも呼ばれ、水辺に群生する、ススキに似た穂をつける多年草で、弱々 しいものを代表しています。 この言葉の意味は、人間というのは弱い面もたくさん持って いるが、「考える」という働きがあるから偉大であるということです。

Google引用


人は、一人じゃ、どうしても弱い部分があって、みんなと一緒じゃなきゃ、時にうなだれてしまうこともあるけど、ところが一人でも考える力が備わっているので、この言葉は強さでもある象徴かもしれないですね✨✨


あ、考えすぎもパンクしちゃうので、一つの行動の言い訳あれこれではなく、本当の理由を考えてみるってのもありかぁ~♪


合点承知だーーー😁


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