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アルゼンチン人のAちゃん

二十代後半頃、カメラマンの親分からある依頼がありました。
私の母校の大学を出たての女の子をカメラマンとして、雇おうと思うので、教育係をしてくれ
との事でした。

彼女はアルゼンチンから来たAちゃんと言って、大分出身の移民の子孫の3世で、お父さん方もお母さん方も日本移民という事で、ミックス無しですから見かけから日本人の子でした。
名前は、流石に日本語表記ではないので、見かけと名前が違和感を感じる雰囲気でした。
家では、スペイン語は話さず、日本語ばかりとの事で、難しい日本語も知っていましたし、発音も日本人と変わる事なく喋れていました。

親分は、将来母国に帰った時、カメラマンだと食べていけるだろうからと引き受けたそうでした。
当時、女性のカメラマンが大分にはいなくて
不自由な事もあるだろうし、カメラマン助手をしていた私になら、上達する手助けができるだろうと考えたようでした。

それから、仕事には、私も同行して、色々教えていました。
とても素直で、明るくて、さすが南米の子といった風でしたが、弱点もあって、
大陸育ちの彼女は、大雑把なんです。
何回も言うのですが、なかなか神経を使っての仕事ができません。
親分は、商品撮影など、1mmの移動や向きを要求するほどでしたから
「これくらいで、いいんじゃないの?」とやっては怒られる事も何度もあるのですが、全然気にしていませんでした。
彼女がセッティングするものは雑で、何回もやり直さなければなりませんでした。
あと、親分が、一番困って私に訴えてきていたのですが、私も困った事は、
時間にルーズな事でした。
何度、彼女のアパートに、呼びに行ったでしょう。
携帯も無い時代、固定電話も持っておらず、アパートに行って、扉をドンドン叩くしか無くて
昔の刑事ドラマのような光景が、繰り返されました。
きっと近所迷惑だったと思います。
また、日本語は凄く上手なのですが、「敬語」がいまいち解らず、言葉もその都度教えていました。
なかなかの強者だったので、半年程、教育係をしていました。

カメラ技術というものは直ぐに覚えるものですが、要領と、経験は、なかなか身に付きません。日本人でも、なかなか習得する事が難しいもので、ましてや、見かけは日本人でも、本当の日本人では無いのです。
それでも、少しずつ日本のルールにも慣れていき、一応、プロとして仕事ができるまでになったようでした。

その後、私は大分を離れたので彼女の活躍はよく知らないのですが、2年ほどして親分に
「Aちゃん、頑張っていますか?」と連絡を入れると、
「うん、四国に嫁に行ったよ」の答えでビックリ!
「結局、国には帰らなかったのですか⁉︎」
「ああ、そうだよ」との事でした。
あんなに苦労したのに、母国で、カメラマンとして活躍する事は無くなったのでした。

人生色々で、どうなるかなんて解りませんからね❗️

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