寝台車に乗って、東京へ
50年も前の話です。
小学校卒業後の春休み、従兄弟の結婚式で、初めて東京に行きました。
祖母も一緒だったので、大分まで行き、大分から、特急列車に揺られ、小倉駅から寝台車に乗り換え東京へ向かったのです。
確か寝台特急「あさかぜ」(ブルートレイン)に乗りました。
初めての寝台車。
節約の為、食堂車には行きませんでしたが、
家族4人、扉は無いもののボックス席になっていて、家族団欒で、持ち込んだ駅弁に、当時あったお茶のボトルで旅行気分を味わいました。
夜になると、車掌さんが、ベッドを作りに回ってきて、ものの見事にパタンパタンと作っていきました。
窓にはハシゴが付いていて、上のベッドに寝たかったのですが、子供だからと下に寝かされました。
初めは、“ガタンガタン”とうるさかった音も、程よい同じテンポの響きと揺れで、目が覚めたときはもうすぐ、東京駅でした。
従兄弟の結婚式は、中野にある「中野サンプラザ」ででした。当時、まだ出来て間もない頃で
都会に来たんだなぁと感じたものです。
もうすぐ、取り壊しになりますよね。
老朽化したなんて、歴史を感じます。
当時、父は洋式トイレが苦手で「中野サンプラザ」の中を探し回り、1階に、1ヶ所だけ和式トイレがあったと喜んでいたのを覚えています。
その後、結婚式も無事に終わり、折角だからと、「はとバス」に乗りました。
旗を持ったバスガイドさんの後をついて、東京の定番、皇居の二重橋の前で写真撮影。
「世界貿易センタービル」40階の展望台、ここから東京タワーを望みました。当時、最も高いと言われていたビルでした。取り壊しになっていますよね。時代を感じます。
この後、浅草や、上野公園にも行きました。
来園したばかりのジャイアントパンダの「カンカン」「ランラン」を見ました。しかし立ち止まってはいけなくて、お尻を向けて寝ているパンダを見ました。
その後、日光にまで行き、東照宮見学もしました。
あれが「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿だよ、
あれが「眠り猫」だよと覚えています。
3月の下旬だというのに、日光への道は雪の壁があり、初めて見る光景に崩れてくるのではと恐かった事を、覚えています。
温暖化なのか、その雪の壁は日光だともう今は無いのではないでしょうか。
「華厳の滝」その頃はまだ崩れていなかったので、綺麗に滝壺に水は落ちていました。
「いろは坂」バスに揺られ、カーブの文字表記を「い、ろ、は」と数えていました。
帰りは、大分の祖母はもう少し東京に残って、叔父、伯母の家に滞在して帰るとの事で、
家族3人は『新幹線』に初めて乗り、その速さに感動して、大阪まで行き(まだ、新幹線、九州迄伸びていなかったのです)また、寝台車に乗って博多駅迄宿泊しました。
帰りの寝台車は、なんと、三段ベッドで、まるで「カプセルホテル」❗️
もしかしたら、ここから「カプセルホテル」を思いついたのではないかと言うくらい、ベッドだらけの世界でした。
もちろん、一番下に寝たのですが、子供なのに凄く狭かった記憶があります。
言っときますが、半世紀前の話です‼️
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