「働き甲斐」を調査する意味について
ここ数ヶ月、念願のPS5を買ってからは、ずっとエルデンリングをしていました。また、先日は、The Last Dinner Partyの1stアルバムが出たり、ジュビロ磐田の2024シーズンに向けた戦力が整ったりと、色々とありました。心の痛ましくなる事件や報道も多く、ネットからは距離を置いています。
楽しいことがあると、誰かに伝えたいと思わない性格なので、ここもすっかり過疎になってしまいました。元々文章の勉強として始めたものですが、それも次第に目標達成となりそうなので、終わりが近いかもしれません。
そんな中、以前より考えていたことをまとめてみるため、他者が読むかもしれないというプレッシャをかけるため、再び書いてみようと思います。
過去、私の働いている企業では、全社員に向けて、「働き甲斐」を調査するアンケートがありました。第三者機関が行っている、格式高いもののようです。そうした信憑性はともかくとして、企業がアンケートをとる意味は何だろう? と考えました。
以下は、私が考えた理由ですが、それぞれに対して疑問も浮かびました。あくまでも個人の一意見です。ご了承ください。
①(良い結果だった場合は)対外的にアピールするため
これは最初に浮かぶ理由です。少子化のため、企業は学生の奪い合いをしているそうです。その場合に、いわゆる「ブラック企業」ではないという客観的なデータとして、これを利用したいのかな、と考えました。
私自身、就職活動を経験してきました。そこで思ったことは、「どうして本当のことを言わないのか」ということでした。
(あくまでも、当時の話です。今はわかりません)
企業は、特にメーカの場合は、説明会の時には、主に開発職の話ばかりしてきました。先輩社員として呼ばれるのも、大抵が開発職です。どうやら企業側では、開発職が花形で、それがいかに素晴らしいか、社会に貢献しているか、といった話をしてきます。それに惹かれる学生も数多いことでしょう。
ですが、実際には、開発職だけでは到底成り立ちません。それどころか、開発職は、「借金をして、可能かどうかわからない新製品を開発する」という職種に他なりません。社員にとって最も重要である「給料」の元となるお金を稼いでいるのは、開発職以外の職種ではないでしょうか。
もちろん、開発職が懸命に開発したからこそ、他の部署は仕事があるわけです。ですから、極めて対等な関係にあるはずなのですが、どうも採用担当者はそうは思っていないらしい、と私は考えていました。
学生は、それまでアルバイトくらいしかしてこなかった人が多数だと思います。そこに対して、ある特定の職種の話だけをするというのはいかがなものでしょうか。それよりも、きちんと現実を伝えて、希望する職種につけるわけではない、ということをあらかじめ伝える方が、何倍も真摯な姿勢ではないでしょうか。少なくとも、私は、その方が好感が持てます。
そのため、開発職につけなかった人間がすぐにやめるという人も多いのでは? 私のところではそういった人が一定数いました。5%程度でしょうか。それが多いのか少ないのかはわかりません。
また、こうしたアンケートは、それぞれの職種についてどうだったかを提示しなければ意味がないでしょう。もしかしたら、開発職の回答が最も悪く、他が良いので、全体的には良い、とされる可能性もあるからです。
企業側は、こうしたデータを開示するのであれば、逆に「開示されない情報」が何か考える必要があると思います。
②社員の不満を事前に摘み取るため
もしこれが行われているのだとしたら、奇跡的なことではないでしょうか。そしてそれは、実際に行われることはないでしょう。
もし何かが行われるとしても、例えば、オフィスを改装する、売店を充実させる、といったことに留まるでしょう。なぜなら、それが一番簡単で、かつ、見た目にわかりやすいからです。
「働き甲斐」の定義を調べてみると、生じて、個人から生まれてくるものだということです。となると、オフィスの充足は、労働環境の整備という観点からいくと、あながち間違いではないのでしょう。
では、それだけで十分なのでしょうか。私にはわかりません。ですが少なくとも、不満は消されないと思います。
私の場合、仕事というのは、日々変わります。同じことをずっと続けている日もあれば、そうでない日もあります。そうでない場合も多岐に渡り、分類が難しいほどです。
そうなってくると、すべての仕事に対して誇りを持つというような「動機づけ」は困難です。そもそも無意味とすら思えます。
仕事に誇りを持つ、というのも、私はよくわかりません。それはその人によって、「仕事によっては誇れないものがある」ということでしょうか。もしそうであれば、その人は、仕事の種類によって自身の価値が変わると考えているのではないでしょうか。
それこそ、①で言ったような採用担当者と同じ状況ではないでしょうか。
どうして、法律に触れない限り、「どんな仕事でも価値は変わらない」と言えないのでしょうか。
そう考えると、「社員の不満を取り除く」というのは、極端に言えば、「会社の業務を変える」ということにならざるを得ないのではないでしょうか。そしてそれは、現実的でしょうか? 社員全員がやりたがっている仕事だけを選択するということが、本当に起こりうるでしょうか?
重要なことは、「どんな仕事をしていてもあなたが必要だ」と会社が一人一人に語りかけているかどうか、ではないでしょうか。それを直属の上司だけに任せているようでは、まだまだダメだろうな、と思ってしまいます。なぜなら、その直属の上司にも、働き甲斐を持ってもらいたいのでしょう?
③調査しているというアリバイづくり
これは、可能性は低いでしょう。いくらなんでもあからさますぎます。SDGsに掲載されたから慌ててアンケートを取るなんていうのは、「何かが起こってから」調査するのと同じことです。リスク管理がなっていないと言わざるを得ません。
おわりに(働き甲斐のデメリットについて)
あまり多様性のある理由は浮かびませんでした。他にあると思いますが、これが限界ということで・・・。
少し愚痴っぽく書いてしまいました。というのも、私は、「働き甲斐を感じないように仕事をする」のがモットーだからです。
数年前、私は精神的な病気になり、医師に通っていました。その時の経験から、こう考えたのです。
「感情の起伏があると、精神が疲れる」
これは、金属疲労と似ていると思いました。また、感情を時間関数として波関数で表せられるとすると、微分して0以外になる状態は、それだけ高低差が生まれる。その高低差が、時によっては耐え難くなります。
飛行機に乗った時に、圧力差で耳が痛くなるどころか、身体中が痛くなって目玉が飛び出してしまう、ような状況になってしまいがちだ、と気がついたためです。
私の中では、「働き甲斐がある」=「やりたい仕事がある」という認識なのは、上記の、特に①の経験があるためです。ですから、この考えが間違っている可能性は大いにあります。それを承知で書きます。
やりたくない仕事をきちんとしなければ、やりたい仕事なんてできません。そんな人には仕事を振りたくないのが通常の感覚ではないでしょうか。
それに、「自分がやりたい仕事」=「その人に適切な仕事」ではありません。この視点が抜けているのが危険だと思います。
働き甲斐をみつけようとして視野が狭くなり、結果的には他のことをしたくない人間が出来上がってしまうのでは、と危惧しています。
いいではないですか、仕事なんてほどほどでも。仕事がそんなに価値のあるものとは思えません。
そう考えている人が、少なくとも1人はいる、ということが言いたいだけです。
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