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子どもと飼っていたカブトムシが死んだら、子どもはどう感じるか。

生き物を飼っていると、自然と死に出会う。
子ども(幼児)はどれぐらい死というものを理解しているのだろうか。

自分が小学校の時におじいちゃんが死んだ。(当時6年生)
おじいちゃんが死んで、親は色々な手配に忙しいので、葬儀場の6畳ぐらいの部屋に、妹(当時4年生)とおじいちゃん(死体)の見張り番をさせられたことがある。

今思えば、すごい体験。

一晩、死体と一緒に過ごす。

おじいちゃんとはよく交流があったので、見た目は知っている思い出いっぱいのおじいちゃん。
だけど、鼻や耳に綿が詰まってる。
化粧をしているので、顔色は悪くない。

死体に妹と一緒に触ってみる。脇や脚にドライアイスが詰めてあるからか、すごく冷たい。そして体は固い。皮膚はゴムのようだ。今でもあの感触を覚えている。

小学生時代に思ったことは、死体とは、おじいちゃんのようでおじいちゃんでない(置き物のような感覚)。

話は戻して、カブトムシの死体を見ると、軽くて(中身がカスカス)、頭と腹の間がぷら~んとしている。(カブトムシは死ぬと、頭がプラプラするらしい。)

家で飼っているカブトムシが死んだとほぼ同時期に、保育所で飼っているカブトムシも死んだらしい。
夏の終わりですね。

私が娘に保育所のカブトムシのことについて、
「死んだあと、どうしたん?」
と聞くと、
「みんなで園庭に埋めた。」
と言っていた。
その後、ある子が
「ぼくんちにクワガタいるから替わりに持ってこようか?」
と言ったそう。
「寂しいから持ってきてほしい~。」
といった子もいれば、迷っている子もいたらしい。

新しくクワガタを飼うかどうか、担任の先生が集まりの時にこのことを話題にしたよう。(さすが)
「カブおの事忘れてしまいそう。」
「また死んだらどうしよう。」
「でも新しいクワガタも見てみたい!」
と意見は様々。
一旦保留にしたそう。

担任の先生は、カブトムシの死についての子どもの発言を逃さず、集まりの時に、命についてみんなで話し合う機会を作ってくれたようです。

肝心の私の娘は、その真剣な命について、死についての話し合いをどう受け止めているのか。

「私の家のカブトムシも保育所に持ってきたい。」

とその話し合いの後にこっそりと先生に言ったそうです笑。
その直後によく言うたな。。
私の娘は、どうやら死というものに対してあまりピンときていないようだ。

おじいちゃんが死んだら、また替わりのおじいちゃんを探せばいい。とはならない。
おじいちゃんとの思い出はそのおじいちゃんとだけ。
命はオンリーワンの存在。
死を悼むことがでかるのは、死というものがどういうものかを知ってからなのだろう。

これから色々な経験をして、死というものを理解していくのかなと思った夏の終わりです。




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