正論って本当に絶対?違いを理解して人間関係をラクにする思考術
こんにちは!
写真を撮っていると、目に見えている景色と
写真に写る景色がまるで違ったものになる事がよくあります。
これは僕が下手くそなだけという時と、
狙ってそうなった時があります。
また、カメラの設定によって様々な明るさや
色味を変えた表現をする事ができます。
例えば、この間撮影したこの夕日の写真。
同じく夕日でもオレンジっぽいものと
紫っぽいものに変わります。
この風景を撮ったとき
「じゃあ、本当の夕日の色って何が正しい色なんだろう??」
と思ったのです。
正しさの相対性
僕の考えた結論的には
「どちらの夕日も正しい」
でした。
なぜなら写真は、撮影した人が被写体を
どう見たいかが重要だから。
撮影者が決める表現方法が正しいわけであって、
そこに一般的に絶対的な正しさはないと思うのです。
正論だけでは生きていけない理由
少し話は変わって、
僕は正論を押し付けられるのが少し苦手です。
これは写真と同じで、対象となる物事の正しさは
見ている人や側面によって変わってくると思うからです。
僕がAという面を見ているときに、
Bという面からの正論はあまり意味が無いし、
むしろ間違っていることだと思います。
つまり、正論とはあくまである一つの視点に
基づく「正しさ」であって
「そういうこともありそうだよね」
くらいの受け止めだと考えています。
夕日の色が人によって多様であるように、
物事の正しさも多様であるべきです。
例えば、僕は休日何もせずに家でゴロゴロする
ことは仕事や子育てや家事から解放されたとき
にできる貴重な時間で、最高の贅沢だと思って
いるのですが、
これを知人に言うと、
「休みの日に一日中何もしないなんて勿体無い!
外に出たりしてアクティブに活動するべきだ」
と言われることがあります。
ここからは僕の思いを知ってもらうためには
対話が必要なのですが、人によっては自身の
”正論”を覆さずに僕の考えを完全に否定する
スタンスの方もいます。
僕はそういう人との対話は
疲れるので諦めたりします。
このように、自分の視点から見たときに誰かの
行動が間違っていると感じたとき、その背景には必ず理由があります。
育った環境や経験、また、その選択肢がその人
にとって「今のベスト」なのかもしれません。
冒頭で述べた通り、写真は同じ風景でも
様々な見え方があり、どの写真にも
その人なりの正しさがある。
それが写真の面白さです。
それと同じように、自分の考えと異なる考え方も一つの「面白い世界」として捉える。
そうする事で、
「なるほど!この人はこういう考え方を持っている人なんだ、面白い!」
と思えるようになり、自分の視野を広げ、
人間関係が豊かになると思います。
自分と異なる価値観を受け入れる方法
とはいえ、自分の正論と異なる考え方を自身に
取り入れるのは結構壁があったりするものです。
(こう書いておきながら、僕もたまに自分の正論を他人に押し付けてしまう時もあります)
以下の方法は僕が日頃意識している自分と異なる価値観を受け入れる方法です。
①どうしてそう考えたのか理由を聞いてみる
なぜその人はこの選択をしたのか、
「どうしてそう考えたんですか?」
と素直に質問してみます。
②「面白い」と捉える
その考え方が自分の価値観と
全く違うものであった場合、
それを「面白い」と捉えるのが重要です。
そういう視点もあるのか!
と積極的にポジティブに捉えます。
③自分の正しさは変える必要はない
最後に重要なのはここです。自分の正しさは
大切にしてあげる必要があると思います。
当然他人の正しさが自分の納得のいくもの
であれば柔軟に変えていけば良いと思います。
ただ、無理やり他人の価値観を
受け入れる必要はなく、
「そんな考え方もあるんだ〜」
くらいにしておくのが肝要です。
”みんな違ってみんないい”
ってやつです。
まとめ
写真の夕日が色とりどりで美しいように、
人の考え方もそれぞれ異なるからこそ
価値があると思います。
正論に縛られず、他人の考え方をライトに
面白がるスタンスが自分の世界を広げてくれます。
皆さんも是非、次に誰かが自分と違う
行動や言葉を取った時、
こう考えてみてほしいです。
「そういう考え方もあるのか!
自分とは違って面白い!」
それが新しい視点が見えて、あなた自身の夕日をもっと色鮮やかにしてくれるはず。