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短編小説「題『いのち』」

若い男性書道家が主人公のオリジナル短編です。
よければ、お楽しみください。

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 集落が点在する山奥にある、簡素な日本家屋に、ひとりの女性が向かっている。車を路肩に停め、車から降りて紙袋をさげた女性は、家屋につくと、インターホンを鳴らした。
「はーい」
穏やかな若い男性の声がし、引き戸が開く。顔を出したのは、作務衣を着た大学生くらいの青年だ。
「あ、新木さん。また来てくれたんですね」
「狛太さん。今日は、仕事で福岡に行ってきたのでお土産を」
 女性が紙袋を掲げると、狛太は
「先生は、いま裏手の庭の花に水をやってるんです」
と言い、庭の方へ歩き始めた。庭には、色鮮やかな桜、バラ、牡丹、百合、パンジー、マーガレット、など多くの花が咲きそめている。また、きゅうりやなす、大根などが植わった菜園スペースもあり、自然に彩られた庭だ。そこで、ひとりの着流し姿の男性が、白いバラの花に水をやっていた。手にはあちこちまめができ、厳しい目つきと、引き結ばれた口元が意思の強さを示す。  
 顔つきが険しいので、実年齢よりすこし年上に見える男だ。だが、鼻筋が通り、全体的に涼しい顔をした美青年である。
 人気もなく、みすぼらしい小屋のような住処だが、ここは高名な書家、和光大道(わこう たいどう)の一人息子、和光雅也(わこう まさや)の創作所兼住居だ。雅也は28歳と若手ながら、書家として個展や本の装丁、書の販売などで活躍している。 
 雅也の元を訪れた新木ひまり(あらき ひまり)は23歳のデザイナーで、歴史小説の本の装丁を頼んだことをきっかけに、雅也の書のファンになったのだ。仕事をしたことで、雅也のもとにもちょくちょく顔を出すようになった。
「先生、新木さんですよ」
「おう、あんたか。茶でも飲んでくか?」
「え、いいんですか?じゃあ、買ってきたお菓子、お茶うけにしましょう」
「おい、狛太。早く準備しろ」
 雅也の手伝いをしている文治狛太(ぶんぢ こまた)は、はいっと勢いよく返事をすると慌てて台所へと向かった。
「お花好きなんですか?」
 ひまりは雅也に話しかける。雅也は持っていたハサミで、簡単にバラの枝の剪定を始めた。
「自然っていうのは、一番尊ぶべきものだ。俺たちは自然に生かされてる。創作の手掛かりになるのはいつも山や花や生き物の息吹なんだ。だから、自分の手で育てたい」
「へぇ、素敵な心掛けですね」
 ひまりは雅也の書を思い出した。暴れ狂うような大胆な筆遣いに、繊細なかすれぐあいの表現は、自然を敬うからこその雄大さなのかもしれない。
「今度、京都で個展を開くって聞きました。絶対見に行きます」
「そうか。ま、暇があったら来てくれ」
「今度の個展は、太陽と月、昼と夜、生命の営みがテーマなんですよ」
と3人分のお茶を淹れた狛太が庭へ戻って来た。縁側にひまりを座らせ、お茶を並べると、3人は買ってきたお菓子でお茶を飲む。ひまりが買ってきたのは鯛最中だった。
「おお、最中じゃねぇか!やったぜ」
「先生、昨日、大福を3つも食べていたじゃないですか。これはお預けです」
 そう言って狛太は雅也の分の最中を箱にしまった。
「おい!せっかく買ってきてくれたんだから喰わねぇともったいねぇだろ」
「先生の甘い物好きは異常です。糖尿になったら大変ですよ?お腹に注射しなきゃいけないんですよ?」
「う…けど、俺は若いんだから平気だよ」
「そんなこと言って調子に乗ってちゃいけませんよ!」
 ひまりはくすくすと笑いながら、狛太の淹れた茶を一口すすった。
「ああ、すみません。個展の話でしたね。先生は最近、海を眺めたり、山に登ったり、近くの農村に行って畑をする様子を見学したりしてるんですよ」
「へぇ、それも創作のために?」
「まあな。自分の心から湧くものを形にしなきゃ、人の心を動かす書は作れない」
 そういいながら、雅也は庭の花に視線をやる。パンジーの足元に生えた細かな雑草が気になるようで、しゃがみこんで雅也はそれを引き抜き始めた。
「けど、ここだけの話、今日は新木さんが来てくれて助かりました。先生、朝からぴりぴりしてたから」
 雅也が輪から抜けたのを見て、狛太がそっとひまりに耳打ちする。
「え、どうしてですか?」
「実は、京都でやる個展に、大道先生が一作、作品を提供することになってるんです。共同参加という形で」
「親子で同じ場所に作品が飾られるということですか?」
「はい。それで、先生はそれがすごく気になっていて…。同じ場所に飾られる以上、先生の作品と比べられるわけじゃないですか。それに先生は、大道先生を越えたいっていう気持ちが強いから」
 ひまりは、雅也の心中を思い、うーん、と唸った。大道は書家として50年以上の経験がある重鎮だ。そんな大道と同じ場所に作品が飾られるというのは、プレッシャーも相当大きいだろう。
「おい、なんか余計なこと喋ってないだろうな」
 雑草を片付けた雅也が、狛太に声を掛ける。
「いえ!全然」
「どうだか。お前は新木さんにどうも弱いところがあるからな」
 すいません、と笑うと、狛太はお茶を一口すすった。

 ひまりが帰ったあと、雅也は険しい顔に戻り、書室にこもった。大人がひとり横たわれるくらいの大きな半紙を前に、正座し精神を集中させる。雅也は先日山を登って来た記憶を想起する。険しい山道、青々とした緑、うっそうとした草いきれに虫の音。しばらく黙って書に集中するが、思うようなものが書けなかった。
「親父はいったいどんな書を書いてくるんだ…?」
 何枚も書の残骸が積み上がり、雅也が重い溜息をつく。様子を窺っていた狛太は恐る恐る、障子の向こうから声をかけた。
「先生、夕飯ができましたよ」
 狛太の気遣うような声がうっとうしくて、雅也は怒鳴った。
「少し黙ってろ!いま集中してる」
「…すみません。食卓に置いておきますね」
 狛太の申し訳なさそうな声を聞き、雅也はまた、筆をとり始めた。雅也の心につのっていくのは焦燥感ばかりだった。

「こんにちはー」
とひまりは、後日、また和光邸を訪れた。顔を出した狛太は、少しやつれた表情を浮かべている。
「よかった、新木さん。来てくれてありがとうございます」
「あの…いま、個展の準備でお忙しいんじゃ?ほんとに来てよかったんですか?」
「はい。先生も息抜きしないといけませんから。このところ、どうも行き詰ってるみたいで…紙の大きさを変えたり、書体を変えたりしてるんですけどうまくいかないみたいです」
 そういって狛太は書室にひまりを案内した。
「先生、新木さんですよ」
「は?なんで?」
「たまには息抜きしないと、いい作品が作れませんよ」
「俺は別に疲れてなんか…」
「わあ、大きな紙!」
 ひまりは書室いっぱいに広がった全紙に目を奪われた。大人が5人は寝転がれそうな大きさの紙だ。何枚か失敗したのか、丸められた紙がバケツに入れられている。
「なんていう字を書くんですか?」
「ひらがなでいのちと書く。個展の最後に、親父の作品の隣に並ぶものだ」
 雅也は疲れ切った声で答える。
「最後の作品だなんて、それは大事なものですね」
「ああ。だが、どうにも筆が乗らない。なにか、今までの俺と違う、殻を破って新しい自分にならなきゃ、親父は越えられない」
 と雅也は低く唸った。ひまりは不思議そうな顔をする。
「新しい自分…そんなものになる必要があるんですか?」
「は?」
 雅也は訝しげな声を出す。ひまりは慌てたが、拒絶されている雰囲気はなかったので続けた。
「い、いえ。私、雅也さんの書く字って好きなんです。生き物への尊敬と、大胆さと、細やかさと…それがうまく調和して、風の音、草のこすれる空気、揺れる花までも想像させるような…。そういう、不思議な力を持った書だと思うんです」
「…」
「だから…その書を見た人が、喜んでくれる姿を想像して、いまのままの雅也さんをぶつければいいんじゃないでしょうか?なんて、私ごときが言っちゃってすみません」
 雅也はなにか心が軽くなったような気持ちになり、立ち上がると墨汁を大きなバケツに注ぎはじめた。
「いまなら、いいのが書けそうな気がする。狛太、墨、もってこい」
「はい!」
「おい、新木さん。悪いけど、この部屋から出てくれるか?」
「え、ええ?いまから書くんですか?」
 ひまりは追い立てられるように部屋を出た。廊下に立ち尽くし、隣に立った狛太が嬉しそうに笑う。創作の邪魔にならないよう、狛太はそっと障子を閉めた。
「先生、すごくすっきりした顔してました。ありがとうございます」
 改まってお礼を言われ、ひまりは恐縮する。
「なんか、偉そうなこと言っちゃってません?私」
「そんなことないです!きっと、先生吹っ切れたんだと思います。いつも書を見てくれる新木さんの言葉だから響いたんですね」
 ひまりはくすぐったい気持ちになりながら照れたように微笑んだ。そして、書が書き終わらないうちに和光邸から家路についた。

 ひまりは仕事が休みの週末に、新幹線に乗り、京都へ向かった。新幹線を降りてビル街を歩く。季節は夏になり、眩しいほどの日差しと、熱気が押し寄せる。
 5階建てのビルの2階を貸し切り、雅也の個展が開かれている。会場につくと、青と白の青海波の壁紙に、額縁に入れられた書が飾られている。今回の書は命のおおらかさを表現するために、ひらがなが多く使われている。
 ひまりはひとつひとつ、作品を観て回った。
 見ているほうが微笑んでしまうような朗らかに書かれた「ひかり」という文字。
淡い薄墨で書かれた、たゆたうような「なみ」という文字。体を揺らし、全身で虫が音を出しているかのように震える「鳴」という文字。ひとつひとつに生き物の気配を感じさせるいい書だった。
 そして、一通り書を見て回った後に、両手いっぱいを広げたくらいの全紙に書かれた、大道の書があった。
 文字は「終」。いのちの終わり、日々の営み、朝を迎え夜が訪れるサイクル、毎日の断続を表現している、とキャプションに書いてある。切り込まれるような鋭い一画に、優美な曲線を描くはらいが、開いていた花弁が夜になり閉じていくような静謐さを伝えてくる。ひまりは思わず見いられた。
「やっぱり、大道先生の書はすごいな」
 ひまりは内心緊張しながらも、次のブースへと移った。最後のブースには、この個展の総体ともいえる雅也の書が飾られる。どんな作品を書いたのだろう、とひまりはどきどきしていた。
「わぁ…」
 雅也の書を見たとたん、ひまりのくちから感嘆の息が漏れた。力強く、大きな筆で書かれたいのちという文字が、見上げるほど大きな紙の中で、跳ねるように踊る。それは紙面を突き破って、こちらへ迫って来そうな躍動感を持っていた。
 いのちの鼓動や、生命の息づかいを表現した、と説明されたその書は、見ている人を勇気づけ、快くさせる力があった。大道の書にも負けない魅力を備えている。
「来てくれたのか」
 着流し姿の雅也がお客さんの間を縫って、ひまりに声をかけた。隣には、狛太の姿もある。
「雅也さん!この書、すごく素敵です!」
「ああ、あんたのおかげで、いい書が書けたよ」
「この書、すごくいいって評判なんですよ!僕も見た時感動しました!」
「はい。雅也さんらしくていい書ですね」
 狛太が顔をほころばせる。そのとき、壁から離れてじっと書を見ていた老人に、雅也の目が止まった。
「親父…」
「え、大道先生?!」
いかめしい顔をした和服姿の大道は、雅也と目が合うと、重々しく口を開く。
「まあ、悪くない書だ。…私の書とはずいぶん違うな。まだまだ粗削りだが、すこしは成長したか」
 そう言って大道はギャラリーを後にした。雅也はその背中を見つめ、少し口元をほころばせた。

 個展が終わった翌月、ひまりは新たな本の装丁を依頼しに、雅也の住居を訪れていた。
 茶の間で狛太にお茶を淹れてもらったひまりは、文机で墨をする雅也に声をかけた。
「大道先生が褒めてくれて、よかったですね」
「ん?別に。俺はあの人が俺の書をどう思おうとどうでもいい」
 つっけんどんな言い方をする雅也に、ひまりが苦笑する。
「またまた、すごく気にしてたって狛太さんから聞きましたよ」
「あいつ…余計なこと言いやがって。あとで説教だな」
 そのとき、どたどたと激しく足を踏み鳴らし、狛太が茶の間に入って来た。手には平べったい大きな段ボールの箱を抱えている。
「先生!なんですか、この『あんみつ詰め合わせ』って!甘い物はだめだっていったじゃないですか!」
「いいだろ、少しくらい。うまそうな京都の甘味処で見つけたんだ」
「少しって量じゃないですよ!ひとりでいったいどれくらい食べる気ですか!」
「それより、お前、親父のことで新木さんに余計なこといったらしいな。なにべらべらくっちゃべってんだ?それでも弟子か!?」
「話そらさないでください!いまはあんみつの話でしょ!」
「いや!お前の弟子としての姿勢を叱るほうが重要だ!」
 わめきながら口論をつづける二人を、ひまりはほほえましく見守った。そのとき、ひまりは縁側のむこうで、庭の花に、蝶が近寄り、甘い蜜を吸うのを見た。いのちの営みは今日も連綿と続いている。

End

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ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
他の小説サイトに上げようかと思いましたが、
書道家というある種の芸術家、という人が主人公になっていて、自分のブログのような、個人的な想いが多分に含まれた作品なので、今回はNOTEに上げさせていただきました。

また、機会があればお読みいただけると幸いです!

因幡

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