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【映画感想】罪の声 罪、過ちの償い方


失恋後に見た映画、、、
引用 https://cinema-hitstv.com/tsuminokoe-netabare/

罪を背負う子供たち 罪を背負わせる大人たち

犯罪に加担してしまったと罪の意識を感じる子供達。
反して、お金だとか自分の思想だとか、自己の欲望を叶えるために子供を利用し罪を背負わせる大人たち。

罪を背負う子供たちと罪を背負わせる大人との対比が感じられた。
曽根俊也(星野源)は幼い頃に犯罪に加担してしまったという罪を感じている。一方彼の声を録音した大人は、大きな権力に対する鬱憤を晴らすために、子供を利用する。そこに罪の意識はなかっただろうか。

録音したテープと曽根達雄のノートを曽根俊也に黙って処理しようとした大人は、罪というより子供を犯罪に加担させ、自らの欲、思想を優先させたという下劣な自分を知られたくないという思いだろう。そんなこと誰かに知られたら他の人はきっと自分のことを軽蔑するだろうという、自分のメンツを守るため。

生島望(お姉ちゃん)もまた自らの声が犯罪に利用されたことに、罪の意識を感じていた。また、翻訳家になりたいという将来の夢から自分は外れてしまったことに、怒りと失望、絶望を感じていた。
生島聡一郎(弟くん)は結果的に自らの姉を殺してしまったこと、母親を置いて行って逃げたことに罪の意識を感じている。
一方、彼らの声を録音した大人はお金のため、警察の捜査を撹乱するため、彼らを利用した。そこに罪の意識は感じられなかった。

罪はどうやって償うのか

曽根俊也(星野源)は自分の犯した罪について、真実を追求することが罪の償いだと感じただろうか。

生島望(お姉ちゃん)は通信高校に通って英語の勉強をして、もう一度翻訳家の夢に向かうために人生をやり直すことが自らの罪の償いであると感じただろうか。

生島聡一郎(弟くん)は、罪に向き合って自らの命を絶とうとした。

これらから、何がわかるだろうか。罪を償うとはなんだろうか。本来、罪を償うとは定性的なものである。しかし人間社会において罪を償うことはほぼ定量的に扱われる。ここで、困ることがある。法を犯していない、または法の網を掻い潜って、法で裁かれない人間はどのように罪を償うべきか。罪を償ったところで、失ったひと、ものは蘇るはずがないのに。罪を償う意義があるだろうか。

いや違う。罪を償うとは、自分が犯した過ちを罪だと感じ生き続けることが罪の償いではないだろうか。自分の過ちが罪だと感じているなら、同じ罪を犯そうとしている人の気持ちに寄り添い、止めるよう説得することができる。罪を償うとは、より人の気持ちを理解して、優しく接することだと感じる。罪とはまでいかなくても、人に謝りたいような過ちはみんな持っているだろう。自分の体調が良くなくて、または人生がうまくいかなくて、他の人に八つ当たりする経験。あんなこと言わなきゃよかった。あんなことしなきゃよかった。過去の過ちを過ちとして感じているなら、もうそんなことは言わない、しないと言える人間が過ちを償うと言えるのではないだろうか。また、他人の過ち、罪を理解し、相手がなぜその行為をするまでに至ったかを考え、それを許すことも償いであると言えると思っている。「罪を憎んで、人を憎まず」の意味が深く理解できた。

最近のあやまち

最初の記事で書くには重たいことかもしれないけど、、、実は最近彼女に振られたのですよね。彼女にはたくさんひどいことも言ったし、ひどいこともした。彼女の言動行為が理解できなくて、不満を言ったこともたくさんある。それでその結果、案の定振られた。

彼女にしてしまったひどいこと。これはもう他の人にしないと決めた。今まで出会った人、これから出会うひとにもうあんなことはしない。
今まで出会った人、これから出会う人から受ける過ちも許して、理解して、寄り添える人間に少しずつなろう。

もしまた逢えたら、また映画を見よう。











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