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広辞苑がやってきた
辞書が無くても、たいていのことはネットで調べられる。ところが今回、どうしても広辞苑が欲しくなった。最新の第7版は高くて手が出ないので、ヤフオクで第5版を手に入れた。
包みを開け、辞書を目にした時、分不相応な物を手に入れた気持がした。見ているだけで幸福な気持ちになった。
先ず、求めるきっかけになった「ちちゅう(踟蹰)」を引いた。「進むのをためらって立ち止まること。行き悩むさま。」とあった。私が期待した語意は載ってなかった。
私が住む豊後高田市では、この難解な語彙が今も使われている。ただし植物に対してである。移植した植物の成長が一時停滞することを「ちちゅうする」と言う。
そこで市立図書館に行き、日本国語大辞典で「踟蹰」を引いてみた。
「歩を進めることをためらい、そこにしばらくたたずむこと。ためらうこと。躊躇すること。」とあった。そして{方言}ためらうこと。躊躇すること。また、停滞すること。丹波、新潟県佐渡、静岡県榛原郡と記されていた。 もう一つすっきりしないので、日本方言大辞典を引いてみると、静岡県榛原郡「こう寒くっちゃ―茶が(茶のできが)ちちゅーする」とあった。
都でできた言葉が、長い時間をかけて波紋のように広がっていき、やがては遠く離れた地域で僅かに生き残る。そんな言葉の持つはかなさを感じた。
次に「じゅうふく(重複)」を引いてみた。しっかり載っていた。
ニクソンショック、あさま山荘事件が起きた頃、私は語学留学でパリにいた。アリアンス・フランセーズの同邦の学友達と、連れ立って街中を歩くことがよくあった。 だいぶ年上で、京都生まれの女性と帰る方角が一緒で、部屋でよくお抹茶を立ててもらった。 ある時彼女が、「この字は何て読む?」と紙に「重複」と書いて私の前に差し出した。私が「じゅうふく」と言うと、彼女が「賭けようか?1万円」と言った。私は自信満々に受けて立った。 この時彼女が取り出したのが広辞苑(第2か1版)で、「じゅうふく」では載ってなかった。 私は沈黙した。彼女は「いいよ」と言ってから、同じ賭けで友達から、何だったか忘れたが、高価な物をせしめたと自慢げに語った。私はいよいよ惨めな気持ちになった。 今考えると、私との賭けは、彼女にしてみれば「落語の枕」のようなものだったのだろう。しかし私には、負債として今も心に残っている。 その彼女も今や、いいおばあちゃんになっていることだろう。