花 の 思 い 出
うらしま(百日草)
私の散歩コースの中に、道の両側に花木や草花が途切れることなく植えられ、散歩する人々の目を楽しませてくれる、通称「フラワーロード」がある。豊後高田市を流れる桂川左岸にあって、引瀬橋から折渡橋までの400m、舗装はされているが、農道になるのか、道幅が狭く車の離合はできない。歩く人にとっては短くても、定植し、手入れをする人にとっては、とてつもなく長く感じることだろう。元市議の近藤今朝則さんに感謝!。そこにあって、今一番元気なのが「うらしま」、この花には旧友のような愛着を感じる。セミやトンボを追いかけていた頃から、畑のあちこちに咲いていて、よく仏花になった。強い花のイメージがあったが、耕作を放棄された畑からは、いつの間にか消えてなくなっている。実は、人と共にしか生きられない、可憐な花なのかもしれない。
タイサンボク
鍼灸専門学校の夜間部に通っていた頃、東京ゴム製品㈱の商品管理部で3年間働いた。主に靴を扱う卸問屋で、商品の発送・在庫管理が私の仕事であった。一つ年上の経理のTさんと気が合い、よく二人で出掛けるようになった。彼女は国学院大学・山岳部で本格登山を経験した山女で、自然豊かな高尾山や、ショクダイオオコンニャクで名を馳せた小石川植物園にはよく行った。木や花の名前や特徴、類似種との見分け方等を教えてくれた。 新宿御苑に出かけた折、一抱え程もある大きなタイサンボクの前で「この木は、人の手の届く所には花を付けないんだよ」と教えてくれた。 2年前、娘の成人記念にタイサンボクを植樹した。その年の夏、高さが1m程の木に2つの純白・大輪の花を咲かせた。私はこの時、彼女にもう一度会いたいと強く思った。そして、「燕岳に一緒に登ろうね」と言っていたのを思い出した。
ライラック(リラ)
中野区沼袋に3年半程住んでいた。すぐ近くには三波春夫の豪邸があった。中野区には「郷 土の家」という制度があり、区在住の同県人が、日曜日に自由に集まることができた。 大分県は協力者がなかったのか、奥さんが宮崎出身の當間さんの家が「大分・宮崎郷土の家」であった。ご主人は沖縄の人で、ルーテルセンター教会の牧師をされていた。そこで信者でない私達も、クリスマスイブは教会のミサに参列、終わると、左手に讃美歌集、右手にキャンドルを持ち、近くの数ヵ所の病院を、大勢でキャロリングした。教会に戻ってからいただくお汁粉は、何とも美味しかった。その當間さんの家の庭先に、ライラックの若木があり、薄赤紫の房花を付けていた。 大分県に帰ってから、2本のライラック(紫と白)を植えたが、その年にわずかな花を咲かせただけで、消えるように絶えてしまった。本当の花は北海道に行かないと見られないと教わったことがある。この花木には九州の夏は耐え難かったのだろう。
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