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残しておきたい「大分方言」
言葉と云うものは、長い間耳から遠ざかっていると、あやふやになり、終には失われてしまう。そうなる前に残しておこうと、思い立った次第である。都(文化の中心)で生まれた言葉が、長い時間をかけて波紋のように広がっていき、やがては遠く離れた地域で僅かに生き残る。そんな言葉の持つはかなさを感じる。
◇ろく
平成31年2月22日(金)NHK総合の「チコちゃんにしかられる!」
チコちゃんが、「ろくでなし」の「
自転車の旅日記 ―良寛さんの新潟へ―
今回は愛車ブリジストンRM5型での4度目の旅になる。有明埠頭からフェリーに乗り、船中2泊して苫小牧へ、上陸後海岸線に沿って函館へ、津軽海峡をフェリーで渡り、青森から日本海側を通って新潟へ、良寛さんの足跡を訪ねるのが一番の目的である。その後は三国峠を越え、一路東京までの8泊9日の行程である。昭和55年の夏は梅雨明け宣言こそあったが、実際は開けないまま秋になった。この異常気象の為冷夏となり、農作物に多
もっとみる自転車の旅日記 ―四国路―
今回は愛車ブリジストンRM5型での2度目の旅になる。有明埠頭からフェリーに乗り、船中一泊して徳島に渡り、四国を三泊で横断、三崎からフェリーで佐賀関に渡り、田舎まで帰る四泊五日の計画である。東鍼校は夏休み、4月14日から勤めたイナバ堂は7月30日で退職した。夏休み中、故郷で過ごす予定である。東鍼校別科Ⅱ部の同級生で看護婦の永沢渓子さんの世話で、9月から上板橋病院に勤めることが決まっている。
自転車の旅日記 ―故郷へ―
自転車で大分まで帰ることを決意した。6月22日に新宿ニュー丸井でブリジストン・ロードマン5型(セーフティーレバー、荷台付)を50,300円で購入契約、7月1日に受け取った。東海道は通りたくないので、甲州街道から中山道を通って京都の姉の所まで行き、それから山陰道を通り、途中から徳山に抜け、フェリーで竹田津に渡り、高田経由で帰郷する計画である。観光は予定にない。
昭和51年7月12日(月)一日
自転車の旅 ―能登路―
今回は愛車ブリジストンRM5型での3度目の旅になる。東京練馬区の住まいから高崎、長野を通り上越で日本海に出て、それからは海岸線に沿って西へ、能登半島をぐるっと回り、敦賀で日本海と別れ大津の姉の所で一泊、翌日松阪からフェリーで帰って来る八泊九日の旅である。台風10号は速度を速めながら北海道付近に達しそうなので一安心であるが、既に発生している11号の動きが気がかりである。
昭和54年8月19日