法然・浄土教の歴史
ゼミで扱う浄土教の歴史や法然の思想とその背景についてまとめる。
浄土教とは
浄土教は、インドで生まれた仏教の一派である。
阿弥陀仏を信仰し、念仏を唱えることで浄土(清浄国土)での往生を目指す。
念仏は「仏を念じる」=「阿弥陀仏に帰依し、その姿や功徳を思い浮かべること」である。
浄土教の伝播
阿弥陀仏は梵語のアミターユスまたはアミターバが由来となった言葉であり、大乗仏教とともに中央アジアや中国、そして日本へと伝播していった。
中国では5~6世紀に曇鸞が「阿弥陀仏による死後の世界=西方浄土」という形を確立し、中国浄土教の礎を築いた。
日本では7世紀に浄土教が伝来し、比叡山を中心に天台浄土教が栄えるなど広まった。
伝来当初の浄土教は念仏以外にも善行などを行なっていたが、11世紀には法然が日本における浄土教を確立し、念仏によってのみ浄土に往生することができると説いた。
また、親鸞(浄土真宗)や一遍(時宗)がそれに続き、より念仏を重視して道を狭めていった。
日本の浄土教の思想
法然は幼少期に親を略奪で亡くしており、末法思想についてより身近に感じていた。
※正法→像法→末法 釈迦の入滅後時間が経てば正しい教えが弱まり、修行によって悟りに至ることができなくなるという考え。
出家した法然は念仏に専念し、中国からも浄土関係の書物を集めるなど勉強熱心であり、社会的な要求に応じて思想を変化させていった。
法然は当時の時代において修行による悟りが不可能だとし、阿弥陀仏の願力を持って念仏をすることでのみ浄土に往生することができると説いた。
すなわち、衆生は自力で成仏することができず、阿弥陀仏の願力によって初めて救われる身なのだとしたのである。
従来の僧侶は学問や瞑想などに励まなければならず、そうした修行を経て悟りに至ることを目指したが、そうしたことすら必要ないとする法然の思想はその意味では革命的な思想であった。
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