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【覚書】D・W・グリフィス監督『東への道』(Way Down East, 1920)

 『ステラ・ダラス』(キング・ヴィダー監督、米、1937年)の場合(註1)と同様、終盤のシーンをどう解釈するかが『東への道』を評価するか否かの鍵となっているように思われる。しかし、それについて考える前に、この作品を映画史、あるいは「メロドラマ」という物語ジャンルのコンテクストにおいて再確認しておきたい。
 本作の監督は「映画の父」やら「ハリウッドの父」と讃え称されるデイヴィッド・ウォーク・グリフィス(David Wark Griffith, 1875-1948)である。彼がなぜ「映画の父」と呼ばれるかといえば、クロス・カッティング(平行モンタージュ)やクロース=アップを「発明」したからではなく、これら技法によって物語表現としての「古典映画」の基礎を確立したからだ。確かに、3D映画の時代を生きる我々の目には、カメラ自体の移動がほとんど見受けられない(固定ショットの連続からなる)グリフィス映画は、古臭く映るかもしれない。しかし、グリフィスがいなければ映画は、依然として労働者階を相手にした単なる素朴な「見世物」、「スペクタクル」であるに留まっていたであろう。
 最も重要なことには、グリフィスは同一の「シーン」を複数の角度やサイズ(ロング/ミディアム/クロース=アップ)の異なるショットの連続によって構成したのだが、その結果、映画に複層性がもたらされた。例えばロング・ショットでは、切り取られた構図の中を俳優は自由に動き回ることができる。これに組み合わされるクロース=アップ・ショットは登場人物の表情(感情)を観客に伝える。そのようにして作られた十何巻ものフィルムからなる作品は、それまでの「二巻もの」(フィルム一巻につき10分~15分)の映画とは異なる次元での「物語」を獲得した。演技空間もまた画面外(上下左右前後)に至るまでの広がりをもつに至ったのである。
 こうしてグリフィスは(演劇の模倣に始まったにも関わらず、それには劣る)「労働者階級」向けの「娯楽」に過ぎなかった映画を、演劇とは叙述形式の全く異なる、「中産階級」以上の階級に属する観客の鑑賞にも堪える「芸術」の領域に引き上げることに成功する。舞台の映画化作品としての『東への道』はそのような文脈において考えなければならないだろう。
 さて、グリフィスの映画のモンタージュは対位法的、あるいは弁証法的であるといわれる。なぜならば「平行モンタージュ」といわれる編集技法をグリフィスが用いているからである。つまり、対照的な二つのシーンが交互に提示され、その交替速度が物語りが進むに従ってどんどん増して行く。その帰結が『東への道』に典型的に見られたいわゆる「ラスト・ミニッツ・レスキュー(最後の瞬間の救出)」である。
 グリフィスが「メロドラマ」を得意としていた映画監督であったことはこの映画的編集技法の特徴と大きく関わっている。本来、「メロドラマ」とはヨーロッパの18世紀から19世紀の物語文化に登場した一ジャンルであり、男女の恋愛を崇高で美しい「善」として描き、これを邪魔する人物を醜き「悪」として倫理的に二分するという基本パターンを持っている。またメロドラマは、恋人間の困難を「身分」の差(金持/貧乏)に見出し、これを克服することを核としたが、ここでもまた二分法が呼び寄せられるわけである。
 グリフィスの平行モンタージュは、つまり、「善/悪」、「美/醜」、「金持/貧乏」、「都会/田舎」、「内/外」、「南/北」、「東/西」といった二項対立的葛藤状況(Situation)に始まり、それによってこうした諸対立を収束する諸行動(Action)が引き起こされ、またあらたな二項対立的葛藤状況が生じる(Situation rétablie ou transformé)という一連の流れを繰り返すことによってなりたっているが、その形式が「メロドラマ」における二項対立的主題を描くのに非常に適しているということなのである。とりわけクロース=アップは、この頃から確立されていく「スターシステム」下で、スターに対し「崇高な愛が困難に出会うとき穿たれる内面の苦しみを表現するために」用いられたものであった(北野 55)。

註1:【映画評】キング・ヴィダー監督『ステラ・ダラス』(Stella Dallas, 1933)|岡田尚文 (note.com)

〈参考文献〉北野圭介『ハリウッド100年史講義—夢の工場から夢の王国へ』、平凡社新書、2001年/アン・カプラン『母性を読む—メロドラマと大衆文化にみる母親像』水口紀勢子訳、頸草書房、2000年/ロバート・スクラー『アメリカ映画の文化史(上)』鈴木主税訳、講談社学術文庫、1995年/ジル・ドゥルーズ『シネマ1—運動イメージ』財津理/斉藤範訳、法政大学出版局、2008年/野沢公子「メロドラマ・女性・イデオロギー」(メロドラマ・女性・イデオロギー (pref.aichi.jp)/四方田犬彦「メロドラマのすばらしさ」『映画史への招待』(岩波書店、1998年)、174-182。


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