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C011_カラスが枝を口にくわえて、木の中に消えて行った

タイトル通りのことを、さっき、駅前で見かけた。

カラスが枝を口にくわえて、木の中に消えて行った。

ただ、それだけのこと。

でも、あのとき、全く同じことが日本のどこかで起きてたかもしれない。

「カラスが枝を口にくわえて、木の中に消えて行った」

「カラスが枝を口にくわえて、木の中に消えて行ったのを人間が見ていた」

つまり、カラスだけでなく、私のようにカラスを見ている人間がいたかもしれない。

きっといたと思う。

なにせ、日本には駅が無数にあって、駅前にはたいてい木があって、カラスはどこにでもいるからだ。


自分は決して唯一の経験をしている選ばれた人間ではない。

でも、今、こうしてそれを言葉にしている。

「カラスが枝を口にくわえて、木の中に消えて行ったのを人間が見ていた。
 
 ・・・その人間は、そのことをnoteに書いた。」


さらにこんな展開もありえる。


「カラスが枝を口にくわえて、木の中に消えて行った・・・そして、私はこう思った。


人間は目に見えるものは知覚できるが、

目で見えないものは知覚できない。

知覚はできないが、木の中にカラスが消えて行ったことは記憶している。

現在、知覚できないことでも、木の中にカラスがいることを私は知っている。

今、この場に新たに訪れ、木の下を歩く他の人は、木の中にカラスがいることを知らない。よって、その人は一切の警戒心を持たず、木の下を歩き抜けようとし、カラスに襲われるかもしれない。

特に、カラスは3月以降に繁殖期を迎えるため、今は巣作りの時期。若干早めだが、これも温暖化の影響かもしれない。


経験した内容は同じでも、その出来事を意味付けするのはそれを見たその人次第だということ。

カラスを不吉の前触れと捉える人もいれば、吉兆を示すと捉える人もいる。


だから、言いたいことは、

「あなたはそれをどう思った?」「あなたはそれをどう感じた?」

これに対する答えがあなたを唯一無二にするということ。


「何とも思わない」「何も感じない」

それでもいい。無理に何かを思おうとか、何かを感じようとしなくてもいい。


でも、ちょっとしたときに、

「カラスかぁ・・・」

と何でもない日常の一コマを楽しんでみてください。


毎日じゃなくていいんです。

ふとしたときに。」



ここまで書けば、さすがに私と全く同じ人はいない。

書くことは、自分を他でもない自分にしてくれる。


ありがとうございました。

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