のりかな毎日エッセイ241030:この世界の片隅で値上がりを嘆く;電気代とか
2024年10月30日、22時59分。
今日はバイトが無いので少し早く始めよう。
月末が近いので、今月書いたことを少しまとめたいと思う。
その前に少し。
西友に買い物に行ったら、冬場はホットコーヒー用に砂糖を使うのでそろそろ買っておこうと値段を見たら倍くらいになっていた。
500g100円くらいだったのが、税込で200円くらいになってる。
まあそんな予感はしていた。お米も値上がりしてたし。
以前書いた時は、お米の値段が1.5倍くらい?になってると書いた気がするが、別のお店でそんなに変わらない価格で買えたのでその時は事なきを得たのだけど…
その後、その店のお米も2kgで1800円くらいになっていたのを発見し窮地に陥りつつある。今のお米の兵站が尽きたら補給が必要だけど、どうするか。まあ買うしかないんだけど。
ネットのニュース一覧で、本文は読んでないけど、「お米が高いので代用食として庶民の間で流行っている麺類ランキング」みたいなタイトルを見てなんだかな~と思った。
憤りを感じたというより、なんか戦時中みたいだなと思った。
「この世界の片隅に」の主人公すずさん一家の態度を思い出した。苦境をお笑いに変えようとする態度というか、何があっても笑っていようとする感じ、だってそうするしかないのだからといういじましさ、やりきれなさというか。配給が滞っても憲兵に捕まっても理不尽に怒ったりしない、怒れない感じ。呉の町をスケッチしたら、軍港の一部を書き込んでしまったかどで憲兵にしょっぴかれそうになる。一歩間違えば国賊として銃殺刑だったかもしれない恐怖を、「こんなポヤンとしたスパイがいるもんかい、あの憲兵さんもアホやなー」と憲兵さんが帰った後で笑い飛ばす一家。
すずさんも私がスパイなんてねー(笑)、といっしょになって笑いにする。
それを「つらい状況を笑いに変えて乗り切ろうとするたくましい庶民の知恵」と肯定的に描いている、…ようには僕には見えなかった。
そんな甘くない。原作も映画版も。
現実を直視せず、空想の力で楽しい笑い話に替えて逃避する癖のあるすずさんが、手痛いしっぺ返しを食らって少しだけ成長する物語だと、僕には感じられた。原作者の残酷な意図を監督もきちんと読み取っていて、それは観客への痛烈な風刺になっている。でも一方で、弱いすずさんを救っていたのもこの空想癖なんだよね。現実つら過ぎだし。
「物語」の功罪両面を描いている作品だと思う。
…という話に何でなったんだっけ?砂糖の値段が上がった話だった。
いや普通に怒っていいのでは。「私たち賢い庶民なんで怒ったりしませんよ」という態度は、怒るタイミングを見失ったまま戦争協力につながっていくのよさ。ピノコなのよさ。と冗談を交えつつ。
でも何かを起こす前に、まずは何でそうなってるのか考えてみよう。
えーと、お米や砂糖の値段が上がってるのは、カップ麺とか本とかの値段も上がってるけど、まとめて燃料の値段が上がっているからと仮定しよう。
個別的にはお米の値上がりには別の要因もあるのかもしれないけど、より大きな問題として、なんで最近いろいろなものが値上がりしているんだろう、と考えてみる。燃料が値上がりしている?のは何で?戦争のせい?燃料自体が貴重になっているから?燃料が高くなるとあらゆるものの輸送費が高くなるから、特に外国とか遠くの場所から運んでくるものは高くなってしまう。
ん?でも小麦は外国では?ご飯の代用食として「安い」麺類をセレクトするという話だったはず。パスタの麺は確かにあまり値上がりしてない気がする。それともこれから値上がるのかな?
ガソリンの値段とか、レギュラーでリッター170円超える感じで高くなってる。ちなみに砂糖については、500gが200円で2倍というのは厳しいので、1kgで290円の方を買ってダメージを少なくするという庶民の知恵を発動して乗り切ったけど。1.5倍で我慢するしかない。
なんで何もしてないのに1.5倍の値段を払わされるんだろう、理不尽だねえ。
というか、何でお砂糖1個買うのに、こっちがいいかあっちがお得かと悩まなければならなくなったんだ?不思議~。
というわけで、怒りのエネルギーを笑いに変えて消費せず、不思議を探求するエネルギーに変えると少しは有意義なのでは?と思うので、来月はこの辺の話について考えてみようと思う。以前ちょっと書いた、「電力危機」という本を読み終わったのでその話から。
電力危機 私たちはいつまで高い電気代を払い続けるのか? (星海社新書) | 宇佐美 典也 |本 | 通販 | Amazon
↑リンク貼っておきます。良書。
電気代が値上がりしているのは燃料の値段が上がったから。
燃料の値段が上がると、石炭や石油やLNGといった燃料を燃やす火力発電が赤字になる。というかもともと赤字なのを、国が電力会社に補助金を出して無理やり続けさせていたけど、電力会社が限界なので値上げに踏み切った。というか、電力自由化で、これまでの九電力は市場の独占権を失った代わりに、市場に必ず電気を届ける責任からも解放された。結果、赤字してでも火力発電を動かし続ける責務が無くなったので、電気不足が続いて投機的な値上がりが頻発するようになった。で、そもそも何で赤字必至の火力発電なんか動かしているかというと、2011年の原発事故と、その後の反原発デモによって、停止に追いやられた原発の多くが未だに再稼働できてないから。
企業や民間の電力需要に応え続けるために、2011年以前は「原発を増やして火力を減らす」方針だったのを急遽変更。
原発を増やす積りだったのは、CO2を減らさないといけないルールが課されたせい。日本は温暖化対策として、CO2を何%減らします!と国際社会に公約しちゃったので、「燃やすとCO2が出る火力発電は減らす方向で、クリーンな原発を増やしていこう!」という解決策。だったのが、原発が事故ったせいでその手が使えなくなってとりあえず、火力を動かしてその場しのぎしているのが現状。
で、火力が赤字になったのは、もともと石油は安かったのに、70年代の中東戦争で値段が跳ね上がって動かせば動かすほど赤字状態に…という、まあどうしようもない事情があったわけで。
と、大雑把にこの本の、電力価格値上がりに関する部分だけを僕なりに要約するとこんな感じかな。原書はこの辺の事情を分かりやすく、といっても読者をバカにした分かりやすさではなく、堅実な文章で、この手の本にありがちな党派的な批判というか二元論的な煽りもほとんど感じられない真面目な本だと思う。そもそも電気とは?という所から、戦前からの電力会社の成り立ちの歴史など、電力に関して網羅した本で、反原発デモに行く前にとりあえず読んでおいたらいいのでは、と思う本。感情的な怒りをぶつける前に、まず相手の事情を知って議論できるようにしたい方にはお勧め。
本の紹介を駆け足でしてしまったけど、とりあえず電気一つとってもこれだけのバックボーンがあって値上がっているのであって、国とか九電力とか京都議定書とかいろんな主体と正しさが絡み合っている。「ヤツラが悪の親玉だ!」と単純に陰謀論的には言えないのだ、ということは伝わってくる本だと思う、僕は。事情を理解したうえで、では何に対してどう怒ればいいのか?を考える人が増えればいいな、と僕は思う。
などと偉そうなことを書いたところで、早めに始めたのに1時間延長してしまっていつもの時間になってしまっているので今日はここで締めます…本題に入らないまま…今月のまとめは明日やろう、明日で終わるのかな?
ではまた明日♪
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