
のりかなエッセイ241021:ニュースに足りないものとは?白熱教室①
2024年10月21日、23時8分。
ついに3週目だ。
ニュースに足りないものは何かと言う話。
…少し前に、ニュースはそれ自体では不完全なものではないか、
と言うことを書いた気がする。その思いつきについて、今日は考えてみようと思う。
前回は確か、マックのゴミボックスの表記が、燃えるゴミと燃やせないゴミとなっている違和感について考え始めたと思う。燃えるゴミと、燃えないゴミの他に、燃やせないゴミという新カテゴリーが90年代頃にできて、プラやビニールは燃えるゴミだけど燃やせないよ、という区分ルールができた。
燃やせないとは、燃やしてはダメという人間ルールであって、時代や場所によって変わりうるものだ。現に、昭和時代にはプラは燃やしてたのだし、プラを燃やしていいという国は今でもけっこうあるのではないか?ないのかな?知らんけど。
そして今は、プラは燃やしてはいけないだけではなく、理由がない限り使ってはいけないものになろうとしている気がする。
特に理由がない限り、プラのストローやフォークは使えないし、ビニル袋を使うヤカラにはお金を払うというペナルティが課されるようになった。
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