もっち

自己診断HSP/92年生/看護師/転勤族/夫婦ふたり暮らし/無精子症/チャイルドフリー/自己肯定感の高め方・生きやすさ探求中/パン作り好き

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相手に寄り添った人生を歩みたい

自己紹介 はじめまして。もっちと申します。 石川県在住の32歳、転勤族の夫と二人暮らしをしております。 好きなことは、パン作り、夫の過ごす時間、祖父母と過ごす時間です。 性格は控えめで真面目な頑張り屋さん。 相手に寄り添うことが好きで得意なため、執筆にも活かしております。 経歴 看護大学卒業後、約10年間看護師として勤務してきました。 総合病院:病棟(血液、脳神経、糖尿病内分泌内科) 歯科大学附属病院:病棟(口腔外科周手術期、眼科、耳鼻咽喉科) 一般病院:内視鏡セ

    • 今まで、ただ生きていただった。

      • ふと思い返すと、私は今まで目の前の事に精一杯なのと、先への不安でいっぱいで、周りにある景色や空気をちゃんと味わえてなかった気がする。

        • DINKSの私が「存在のすべてを」を読んで。

          「存在のすべてを」を読み終えた。 (これから読む方はUターンお願いしますෆ) 描写や言葉の表現力、展開の面白さを楽しみながら読み進めていた。 気持ちがぐっと入り込んだのは、「空白の3年間」。 特に、優美の心情。 子を持つことを諦めて、愛する夫との生活を守ってきた。 そこに関する心情は書かれていないが、葛藤が想像できるし共感できて心が痛かった。そして他人事として見られなくなった。 亮と過ごした日々は本当に幸せな瞬間に溢れていたんだろうな。 「お母さん」と求められる

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        相手に寄り添った人生を歩みたい

        • 今まで、ただ生きていただった。

        • ふと思い返すと、私は今まで目の前の事に精一杯なのと、先への不安でいっぱいで、周りにある景色や空気をちゃんと味わえてなかった気がする。

        • DINKSの私が「存在のすべてを」を読んで。

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        • 看護師関連
          5本
        • HSP、生きづらさ
          3本
        • 不妊を経て
          3本

        記事

          【看護師経験を振り返る】患者さんとの信頼関係について

          私はこれまで、看護師として約9年勤めてきました。その中でライフスタイルの変化に伴い、3度転職を経験しています。 病棟、外来、施設と様々な現場でたくさんの方々と関わる中で、「相手との信頼関係」を一番大事にしてきました。 そして、自分では特別なことをした意識はありませんが、ありがたいことにどの現場においても良い信頼関係を築けたと実感することが多かったのです。 しかし私は今まで、その理由や根拠などについて深く考えたことがありませんでした。 そこで、この記事では「患者さんとの

          【看護師経験を振り返る】患者さんとの信頼関係について

          とりあえず、なんとか、きちんと過ごしてきた

          私が苦手とすること。それは自分の思いを言語化することです。 いつも不安で逃げたい、恥ずかしい思いをしたくないからきちんとしていなくちゃ、と人の顔色やその場の空気を読み、その場をとりあえずやり過ごすことで精いっぱい。 言語化できない理由。それは、 その場をとりあえず、なんとか、きちんと過ごしたことに達成感を覚えるため。 この太字がミソです(笑) 過ごす中で分からないこと、不安に思うこと、不快に感じることがあったにも関わらず、スルーしてしまうのです。 負の感情を言語化し

          とりあえず、なんとか、きちんと過ごしてきた

          子なし夫婦の日課

          私たちは、子なし夫婦です。 そうなるに至るまでの苦悩や葛藤はこれまで書いた記事にありますが、今は前向きに過ごせています。 そして、母になることも、父になることも出来なかった私たちは、恋人の延長線上にあるカタチになっていると思います。 ラブラブ、という感じではないですが、穏やかにお互い愛し合って、思いやりを持って過ごせている事に、幸せを感じる日々です。 毎朝、先に仕事に出掛ける方を玄関先までお見送りをして、扉が閉まるまで顔を合わせて手を振る。 それが日々の大切な習慣です

          子なし夫婦の日課

          入浴介助について*HSP迷子看護師が感じたこと*

          「私、○○さん(私)が出勤の日だけお風呂お願いしてたんよ」 看護師5年目で総合病院を退職する際、ある患者さんから言われた言葉。 その患者さんに入浴介助が必要だったのは私が看護師1年目の時で、担当になった日は看護させて頂いていた。 看護師1年目で右も左も分からず必死に毎日の業務と戦う中で、まさか私の看護が必要とされていたなんて驚いた。 特別な事をした記憶もないし、とにかく必死でちゃんと寄り添えた自信もなかった。 それに、正直当時の私は入浴介助の業務にそれほど重きを置い

          入浴介助について*HSP迷子看護師が感じたこと*

          派遣先に水筒を忘れて帰ってしまった

          その派遣先はきっとこの先行くことはない職場で 家から電車で30分程かかり 運賃は片道190円 “最悪だ。時間もお金もかかるし手間過ぎる。破棄してもらうか…?いや、潔く戻ろう” 派遣先に取りに行く旨を連絡し、担当者が退勤後になるかもしれないため、ドアの外に置いておいて欲しいことを依頼した 憂鬱な気持ちを感じながら電車に揺られ派遣先へ向かった 到着時には18時を過ぎ、室内の電気は消えていた ドアの外に手提げ袋に入れて下さった水筒があり、受け取った 中を確認すると、

          派遣先に水筒を忘れて帰ってしまった

          子どものために生きたかった

          ↑半年前に書いた思い。最近全く違う思いに戸惑っています。 どれが自分の本心なのかわかりませんが、 最近考えることがあります。恥を承知で吐露させてください。 DINKsとなってからこれまで、子供がいないメリットを考えたり、マジョリティを目指してきた自分を否定したり、現状を正当化することに必死だったように思います。 けれど、やっぱり私は二人の遺伝子を持つ子供が欲しかった。 無条件に愛せて無条件に尽くせて見返りなんていらない。 そんな存在が欲しかった。 そんな存在のために頑張

          子どものために生きたかった

          機嫌よく過ごした後は。

          前回の記事に加えて、機嫌よく過ごすためには「思考を緩くする」ことも必要。 ゆとりある時間が欲しくて手に入れたけれど、それはそれで悶々と考える時間も増えて一長一短。 思考を緩めて楽観的に過ごせた日は、機嫌よく夫と過ごせて心地が良い。 けれど、その後には決まって先への不安に襲われる。 今のままでいいのだろうか。きっとダメだ。 勝手に決めつけて自分を苦しめる悪い癖。 自覚はあるんだけどなぁ。

          機嫌よく過ごした後は。

          機嫌よく過ごせる条件

          現在の私のプロフィールを簡単に。 ・31歳女、既婚、子なし、転勤族、HSP ・正社員を辞めて単発派遣看護師として週に1~2回緩く働き中 今年の目標は「機嫌よく過ごす」こと。 退職してから人生迷子中の私は、元々の気質を発揮しネガティブで卑屈になることが多い。 私の生き方を非難する人もいなければ、考えを押し付けてくる人もいない。 それでも自分の思い描いていたように生きれず悶々とする日々。 そのような中でも、気分が明るく過ごせる日もある。 今回はその条件の覚書。 ①晴れて

          機嫌よく過ごせる条件

          31歳、専業主婦、子供なし

          31歳、専業主婦、子供なし。です。 世間からみたら下級なんだろうなぁ。私もそう思う。 昨年7月末で退職し、夫の春の人事異動(転勤)に備えて春まで フリーター?専業主婦?として過ごすことに決めている現状です。 転勤がなければパートか派遣で仕事を探そうかなと。 今の生活になり半年が過ぎようとしている。 初めは焦燥感と罪悪感、不安感に駆られて、ストレスフルな仕事を辞めたにも関わらずストレスを感じる日々だった。 単発日雇い派遣をしたりしていたが、失業保険が振り込まれるように

          31歳、専業主婦、子供なし

          今は村人Bとして生きる。

          私は今無職のフリーターだ。 一応、多くて週一程度で単発派遣の仕事に出ている。 前職の人間関係と仕事のプレッシャーから逃げるように退職した私は、罪悪感で自分を責める日々だった。 安定した収入も得ず、DINKSのため子育てや母親業もしておらず、ダメ人間だと落ち込みながら憂鬱な日々を送っている。 働く意思はあるが、夫の転勤が近い可能性があるため、すぐ対応出来るように備えておこう。 という楽をするための良い言い訳をしている自分に嫌気がさす。 しかし、この状況を選んだのは自

          今は村人Bとして生きる。

          上手に看護師が出来ない

          看護師を選んだ理由「安定」の一言に尽きます。 進路を決める時期がちょうど不景気で就職氷河期だったということ、 そして元々、夢ややりたい事がなかったため、とにかく安定という ことしか考えていませんでした。 常に限界ギリギリ最初は大きめの急性期総合病院に就職し5年間勤めました。 常にキャパオーバーで、私には荷が重い、逃げたい、という思いで いっぱいでした。 そのため、いつも逃げ腰で消極的で向上心もなく、ミスに怯える日々 でした。 今思えば、不安を払拭するためにもっと勉強した

          上手に看護師が出来ない

          ないものねだり*不妊を経て気が付いたこと*

          これまでの私の人生を思い返すと、「ないものねだり」によって気が沈み悩むことが多かったように思う。 それは「生きづらさ」を感じる一因なのではないか、と最近ようやく気が付く事が出来た。 私はいつも周りと比べて、自分を卑下する癖がある。 「お金があっていいなぁ、私なんて…」 「センスがあっていいなぁ、私なんて…」 「可愛くて、綺麗でいいなぁ、私なんて…」 「素敵なプロポーズされていいなぁ、私なんて…」 「妊娠・出産・子育てが出来ていいなぁ、私なんて…」 「仕事が出来ていいなぁ

          ないものねだり*不妊を経て気が付いたこと*