足るを知るに至るまで
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あふれる豊かさへ至る二つの方法。
それは、「多く生産することで欲望を満たす」か「少なく欲求することでたやすく充足する」か。
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今のシステムではきっと初めの考え方の先に、あとの考え方が待っている。だって、食べ飲み放題に飽きてうんざりしてはじめて、おいしいものを少しいただく幸せを覚えると思う。ものを持ちすぎて初めて、本当に自分が愛着あるものに気づけると思う。
だから下のフェーズを経て上のフェーズに到達できる、そのようなものだと思っていた。
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でも、本当に足るを知るためには、やはり「飽和」「過剰」からの「飽き」のフェーズを経る必要があるのだろうか。
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『小商いのすすめ』という本を今、読み進めている。正月に読んだ『シンプルに生きる』という本と考え方が通底していて好きだった。
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「足るを知る生き方が未開社会の狩猟民の経済」だとのこと。
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これまでの社会は欲望の膨張ゆえに「多く生産することで欲望を満たす」ことを可能にしてきてしまったんだろうな、と。そして、その多く生産することのできる可能性が、「少なく欲求して、たやすく充足する」考え方を覆い隠してきてしまったのだと思う。
どちらもあふれる豊かさへいたる道ではあっても、やはり幸せにいたる道は、今現在普通に過ごしていたらなかなか見えにくい方の考え方であるはず。
心の中では少なく欲求する、そんな生き方をしたいと強く思っている。境地みたいなところがあるのなら早く至りたいとも思う。
今の私は足るを知った気になっているだけなのか。もっとおなかいっぱいになる欲を持った方がいいのだろうか。その欲は向上心なのだろうか。
私も未開社会に生まれてみたかった。小さい、だけれどもとても人間的な幸せに目を向けて生きる、そんな生活に。やっぱり縄文時代くらいかな。
追伸
免許合宿、こうやって本が読みたかった。最高すぎる。
多すぎるお昼ごはんの米をのぞいて。