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ワクワクすること vs. 負けず嫌い
直観をたよりにすること、ワクワクすること、それを妨げるのが、自分の負けず嫌いだということに、最近気づかせてもらいました。
でもそれはただの負けず嫌いではなく、負けず嫌いの負の要素。
今まで私は負けず嫌いの原動力に結構頼ってきた。
中高一貫校に入ってからの勉強。
中学で始めた部活のバドミントン。
大学受験。
地頭が良く、軽々と高得点をとる(ように見えて陰で努力していたと思うのだけど)クラスメイトや、ポテンシャル高かったり、賢かったり、フェイントうまかったりした部活の仲間に、とにかく負けたくなくて、たくさん勉強したし、フェイントかけられても体力で勝てるくらい走り込みをした。
そうやって負けず嫌いは今までいろんな場面で自分を強くしてくれて。
まるでスーパーサイヤ人になったかのように。
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スーパーサイヤ人になるための条件。
それは、
「一定以上の戦闘能力と穏やかで純粋な心を兼ね備え、極端な危機感、強い怒り、悲しみに苛まれていること。」
試しに条件を満たしていたかチェックしてみた。
・勉強もバドもよく悔しくて泣くくらい本気だったから、一定以上の戦闘能力あったんじゃないかと思う。
・弟以外と喧嘩とかあまりしたことなかったからきっと穏やかな気性だったと思う。
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弟の顔に泥を塗った時のこと
・純粋だったか?うん、高校生の時純粋だったと思う。
・そしてとにかく負けず嫌いだった。だから悔しさや、負けたらたまるか、といった危機感、負けた時の絶望、悲しさがとにかく強いものだった。
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というわけで今までスーパーサイヤ人で、戦闘力をあげて必死に負けないように生きてきた。
でも、私の負けず嫌いの負の要素は遊び心を抑圧してしまう。
ワクワクすることに向かって考えをめぐらすことを抑えてしまう。
だから、5月頃から少し、自分の信念に合わないことに対する負けず嫌いを手放してみた。それこそ自分の負けず嫌いの負の要素が対象とするものだと思ったから。
その結果、本当に自分の大切にする考え方と共通する物事に、目を向け、考えをめぐらすようになった。
これは自分の信念にあってるなとか、この人の考え方はこの部分だけ共感できるなとか、いい意味で好き嫌いがはっきりしてきた。
自分が大切にしたい人をより一層大切にしようと思うようになった。(大切にするということが一体どんなことなのか。今は感謝の気持ちを伝えて、行動でお礼を返そうと意識していますが、まだまだ検討の余地があると日々感じています。)
それに加えて、自分の信念をより一層強く意識するべく、それを言葉にする機会を少しずつ増やしてきた。
まだ苦手だけども。
こうして、負けず嫌い少し手放してみたから、今も結構邪魔されずに考えを巡らせることができている。
だから直近の目標は、スーパーサイヤ人ブルーのようになること。
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気を直接体内に取り込んでいるため時間制限もなく、気が保つ限り超絶的な力を発揮できる。
せっかくの夏休み。ワクワクを直接体内に取り込むぞ!
p.s.
ドラゴンボールは小学生の時に8周くらい読んだ、思い出深いマンガなんです。
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