古代ローマの賢帝の一人ハドリアヌスが死期を待つベッドの上で自らの人生を語る歴史小説である。
ユルスナールの文才が、多田智満子の見事な訳文が、古代ローマ帝国のハドリアヌスの生涯を静謐に描き出した。ハドリアヌスがその人生で予見することができなかった陰惨な事件や避けることが出来なかった戦い、そして私生活でのささやかな至福のエピソードが琥珀の中に封じ込められたようだ。
その全貌を隈なく説明して解説する力量は持ち合わせていないので、おそらくは外すことのできない名場面だけ紹介し、あとの料理は何方かにお任せしたい。
長らく古代のローマ人とダキア人は抗争を続けていたが、先代の皇帝トラヤヌスがダキア王国を滅ぼして、ダキアをローマ属州とした。ローマ帝国の領土は最大になったところで、トライヤヌスが急逝し、そのあとはハドアリアヌスに任された。ところが、それで平和な時代が続くわけでもない。ダキア王国が滅亡するとダキアに鎮圧されていた中小の部族が反乱を起こす。ハドリアヌス帝はこの状況に対処すべく、自ら国境のドナウ河に遠征すると、今度は留守にしているローマで重臣4人によるクーデターがおきた。
クーデターの報は近衛軍団長官のアティアヌスからのもので、ハドリアヌスが適切に対処するよう伝えたところ、アティアヌスはこの4人を逮捕し裁判にかけることなく粛清してしまった。
これに腹をたてたハドリアヌスはローマからアティアヌスを呼び出した。
ハドアリアヌスの回想は、本人の思いつくまま、実際の出来事の時系列にこだわることなく展開するので、ローマ帝国史に精通していない私には、出来事の因果関係が頭にすっきりは入ってこない。そこでにローマ帝国の歴史の教科書に代えて塩野七生さんのご本を紐解くと、ユルスナールのこちらの件のことにもちゃんと言及している。
しかも歴史学研究者に分類される塩野七生さんとしては、ユルスナールの描写が美しいことに異論はないが、事実はこれと異なるのではないかと語る。その上で、読者へのサービスなのであろうか。この場面を自分だったらこう書くとして「塩野版ハドリアヌス帝の回想」を示している。