アメリカにスティーヴン・ミルハウザーという小説家がいる。生まれは1943年で「最後のロマン派」の異名を持ち、耽美的・幻想的な作風で知られている。
その作品のスタイルは実験的なものを含めて多岐に渡るが、名詞・形容詞を駆使してディテールを執拗かつ精緻に表現する点で一貫している。「バーナム博物館」、「ナイフ投げ師」、「イン・ザ・ペニーアーケード」などの短編集では、役割を全うしたキャラクターや役目を終えたアイテムたちが生気を得て魔法の物語を繰り広げる。「エドウィン・マルハウス」では読者は主人公の幼児の脳内に、大人の自我と意識をもって入り込んでしまったような感覚に襲われる。トムとジェリーを彷彿させるアニメーションを、コマごとに即物的に描写した作品などは、類比する小説が見たらない。
「マーティン・ドレスラーの夢」は十九世紀の米国の若者の立身出世譚の形式をとりながら、主人公(の妄想)とともに、意思をもって増殖成長していくメトロポリスと摩天楼の驚異的な描写が圧巻である。長らく東京の隅々まで都市散策を楽しみとしているが、自宅で本書を開けば、十九世紀のニューヨークの街が時空を超えてここに現出する。
単に固有名詞の羅列に惑わされているのだと、冷静なる賢者は一笑するところかもしれない。マーチンが最後に建てたグランド・コスモに仕掛けた一大スペクタクルの様子は、手間をかけた最新娯楽映画の一場面をことばで描写したようだ。脳内で言葉から映像に変換すれば、これも眼福というほかにはない。
まだ描写は続くが引用はここでやめておこう。二十一世紀にあっては、世界に十九世紀以上にモノがあふれ、情報が消費されていくが、その状況・様子は正当には描写・記録されていないのではないかとも考えてしまう。ロマン派としては破滅、破綻、邪悪なものが少なく、アメリカの青年期ともいえる時代をある種の爽やかさをもって描いているが、ロマン主義には欠かせない破綻の結末もちゃんと用意してある。ここでは書かないでおく。