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芸人と「推し活」─9番街レトロ全ステ問題とは何だったのか─
(9番街レトロやそのファンの方を叩くような記事ではないことを予めこちらに明記しておきます。)
最近、こんな本を読んでいる。
科学的に「推し」について分析している本で、まだ読み切れていないが。
この本の中では「推し」をこういう風に定義するらしい。
好きな対象のイメージをもとになにかを生成してしまう、好きな対象と同じことをしてしまう、好きな対象の世界を現実で体感しようとしてしまう、など「推し」をめぐってファンはいろいろなことをしています。その対象をただ受け身的に愛好するだけでは飽き足らず、能動的になにか行動してしまう対象が「推し」である、と本書では考えます。
これを見ると、私には好きな芸人はいるが、推しの芸人はいないように思う。
私はネタやキャラクターが好きな芸人をfanyでフォローするようにしていて、1/9時点でフォローしている芸人は以下の通りである。(順番に特に意味はない)
金属バット、囲碁将棋、タモンズ、カベポスター、令和ロマン、男性ブランコ、空気階段、ナイチンゲールダンス、ガクテンソク、ニッポンの社長、9番街レトロ、軍艦、エバース、家族チャーハン、三遊間、祇園、黒帯、フースーヤ、チェリー大作戦、やました、ジョックロック、白桃ピーチよぴぴ、紅点、からし蓮根、シゲカズです、たくろう、例えば炎、パーティーパーティー、愛凛冴、侍スライス、鉄人小町
非吉本だと、さらば青春の光や真空ジェシカ、ヤーレンズも好きだし、他にもたくさんいる。
しかし、この中に「推しの芸人はいるか?」と言われるとなんとも答えづらい。
ライブのチケットを買う時、好きな芸人が出ていたら興味を持ちやすくはなるが、面白そうなライブに行くようにしているので、特定の芸人が出演するライブのみに行くようなことはない。
そして、私は好きな芸人のSNSをフォローしているが、積極的にそれらのコンテンツを見に行くことはなく、たまたま流れてきたら見る程度である。要するに、そこまでプライベートに興味があるわけではないのだ。
こうやって文字に起こしてみると、なんだか自分がひどく冷淡な人間に思える。自分の話から離れます。
こんな自分とは正反対に、「推しの芸人」がいる観客を劇場では多数見かける。
実際、推しの芸人のステッカーとチケットを劇場内で撮影している様子を見かけることは日常茶飯事だ。
これは一例だが、フースーヤのファンの方のポストを引用する。
2024全チケ🎟.·
— ゆきぼん (@bonjirimoon) December 30, 2024
大晦日もいるので劇場納めではないけど、明日は電チケなので今日中に(ᐢᴗ ·̫ ᴗᐢ)
こんだけフースーヤに笑かしてもろたんや❣️という感じです🌟
2025も全開でいけるとこまで応援するぞ(ˆ꜆ . ̫ . ).ᐟ.ᐟ💮 pic.twitter.com/50a3mIeP00
これが出来る財力と胆力にも驚いてしまったが、恐らくこれだけライブに行っていると同じネタを何回も見ることになると思うので、これは相当好きでないと出来ないことだと思う。
このように「推しの芸人」がいるファンは、
・推しの芸人が出ているライブを見に行く
・推しの芸人のSNSコンテンツを積極的に摂取
・「推し活」の様子をSNSで発信
などを行っていて、ネタやキャラクターだけではなく、プライベートにも興味があり、自分のリソースを削ってでもその芸人を応援したいという意思があるように見受けられる。
まとめると、お笑いライブは「お笑い」を見に来る場所だが、
・お笑いを見に来る観客
・推しの芸人を見に来る観客
の両方が存在している。
これはどちらの観客が良いとか、偉いとか、そういう話ではなく、この2タイプの観客が入り混じった結果、劇場でどのようなことが起きているかを考えてみたい。
・「なぜ劇場に行くのか?」は人それぞれ
芸人の推し活文化は今に始まった話ではなく、心斎橋筋2丁目劇場があった時代には既に存在していたものと考えられる。
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というのも、一昨年放送のアメトーーク「NSC11期芸人」では、ハリウッドザコシショウに追っかけがいた話や、中川家・礼二に和服美人のファンがいた話などが番組中に語られている。
しかし、当時の「推し活」の手段は、地道に劇場に通って出待ちをしたり、ファンレターに連絡先を書いて返事を待ったりといった、第三者に公開されることがない、ファン→芸人の直接的なアプローチに限定されていたと考えられる。
ここから考えると、現代の推し活文化には、「インターネットの発達」が間違いなく寄与している。
劇場の出番やテレビ番組だけではなく、SNSや様々な媒体で芸人の素顔やプライベートが発信され、擬似的な接触機会が増加している。(芸人→ファン)
劇場で出待ちをする以外にも、SNSでメッセージを送ったり、コンテンツにコメントを残したりと、芸人に直接思いを伝える手段が容易化。(ファン→芸人)
SNSを通じてファン同士の交流が盛んになり、膨大な情報や感想をインターネット上で共有できる。(ファン↔ファン)
自身のSNSを用いて、応援活動をアピールしたり、推しを第三者に宣伝できる。(ファン→非ファン)
最初に紹介した本の中にも、このような記述がある。
応援している時には、他者の行動を自分の行動のようにとらえる脳内のシステムが働いており、応援している対象の成功は代理報酬として快感をもたらしていることがわかります。 つまり、「推し」を応援すると、行動でも感情でも「推し」との一体化が生じるといえるのです。「推し」と自分は一体であると感じられるのであれば、それもまた大きな快感となって、さらに応援への熱がこもることでしょう。そうなると、そこには先ほどの底無しの循環、すなわち「推しの沼」がある、というわけです。
つまり、インターネットの発展により、
芸人を好きになる機会の増加
↓
芸人を応援する手段の増加、容易化(推し活)
↓
「推し活」により、芸人を好きな気持ちがより増強される
という循環システムが形成されているようである。これは芸人に限った話ではなく、アイドルや歌手などでも同じ現象が起きていると考えられる。
そのような「推し活」の発展により、「推しを見に来る観客」が足しげく劇場に通っており、その状況がSNS等で可視化されるようになった。
ここで問題なのは、劇場が「お笑いを見に来る観客」と「推しを見に来る観客」の混在に対応できていないことだ。
・「9番街レトロ全ステ問題」を今更考える
9番街レトロ全ステ問題を知らない方のために、少し説明する。(私も現場にいたわけではないので詳細は違うかもしれない)
去年の夏、9番街レトロが大阪の難波と森ノ宮の劇場で、一日の間に9公演出演するという驚異の日があった。
このほぼ全公演のチケット(しかも最前ブロック席)を入手した9番街レトロのファンが複数名おり、難波↔森ノ宮間の移動が発生するため、公演を最初から最後まで見ていると次の出番に間に合わないという理由で、ファン達が9番街レトロの出番が終わり次第一斉に途中退席する回が複数回あった、という問題である。
(そしてミキがキレて、祇園・木崎が何故か土下座をしたと話題になった)
今日大阪9ステ👺👺👺👺👺👺
— 9番街レトロ なかむら★しゅん (@24shunta) August 11, 2024
まじでマナーは守ってください
— 9番街レトロ なかむら★しゅん (@24shunta) August 11, 2024
恥ずかしいです頼みます
昨日の森ノ宮入ってたんだけど「みんな9番街がみたいんやろ!!いけや!いけばええやろ!!」のミキ亜生さんがおもろすぎて涙流しながら笑った
— お茶っ葉 (@Ochappa_ON) August 12, 2024
それ聞いた直後本当に何組も逃げるように走って出て行ったときの荒れ方エグかった笑笑 ミキと祇園がすごすぎてライブ終了後放心状態だった
これは9番街レトロのみの話ではなく、過去には金属バット、見取り図、令和ロマンの公演でも似たような現象が発生している(と記憶している)。
そもそも、難波↔森ノ宮の移動が無ければこの問題は発生していないのだが、これは興行上の問題なので、触れないこととする。
ファン心理として、推しが出ている全公演を観たいというのは当然の感情であるし、(なぜ最前ブロックの席が毎回取れているのかは別として)チケットが入手出来ているのなら移動の労力を割いてでも推しを観たいと思うのだと考える。そして、この場合他の芸人のネタを見ることは、彼/彼女らにとって優先事項ではない。
ここで問題となるのは、お笑いライブは「一組の芸人だけ見に来ることを想定していない」ということだ。
これがもし複数ミュージシャンが出演するフェスのようなものであれば、機材の準備などのためにそれぞれの出番の間に休憩時間があり、興味のあるミュージシャンの出番だけ見て、それ以外は外の屋台でご飯を食べるといった楽しみ方が可能であり、運営側もそれを想定している。
しかし、お笑いライブでは、芸人のネタ間に基本休憩はなく、芸人のネタが終わり次第、次の出番の芸人が間髪入れずに出てくるといった設計になっている。
これは、漫才は最初のマイクのセッティング以外機材準備が必要なく、せいぜい10分未満のネタ間に休憩を入れる必要性もないといった理由があると考えられる。
また、これは副次的であるが、ネタ間に休憩を頻繁に入れると、トップバッターが複数発生し、全体的に盛り下がる可能性も生じる。
また、吉本の劇場はゆとりのある会場ではないため、特にセンターブロック中央付近にいると退席に時間がかかり、次の出番の芸人のネタ入りに被ってしまうことが多くある。
以上のことより考えると、
ネタ冒頭を聞き逃すと、ネタの設定が分からなくなる可能性がある(観客側の影響)
↑を避けるために、完全に退席し終わるまで前座をする必要があり、ネタ時間が削られる(芸人側の影響)
というように、マナーやモラルの問題ではなく、「次の出番の芸人と観客に影響を与えてしまっていることが問題」だと考えられる。
これは漫才やコントが非常に短いエンタメということもあり、仮に退席時間が1分未満だったとしても、ネタ時間からするとかなりの割合を食ってしまっているということになる。そして、芸人側からしても、自分が舞台に出た瞬間に複数人の観客が退席する様子を見ることは気分の良いものではないだろう。
もちろん、その状態をネタに出来る技量のある芸人も存在するのだが。
この問題の一番平和的な解決は、単独ライブを頻繁に開催することだと考えられるが、それをすると芸人がネタを死ぬほど量産する必要があり、芸人が倒れてしまう。
途中退席自体こういった理由ではなく、スケジュールや体調面で途中退席をする観客もいるので、運営側としても今後途中退席を禁じることは無いと考えられる。
そして、そもそも転売がここまで暗躍していなければ、特定の芸人のファンが全公演のチケットを入手できるという状況も発生していない。(転売に関しては今後別記事を書くかもしれない)
というように、この途中退席問題は背景に色々な事情が絡んでいる。
問題提起だけして解決策を提示しない最悪な記事になってしまった。
めっちゃ綺麗事になってしまうが、どんな目的を持った観客も、快適に観覧ができる環境になってほしいなーと思っている。
今回の記事は以上になります。インフルにならないように気を付けたい。
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