
【物語】 貴婦人の予祝 《第4章》 貴婦人の秘技 橙 Orange & 薔薇 Rose
第4章 貴婦人の秘技 橙 Orange & 薔薇 Rose
《第2チャクラ》
色 橙
象徴 創造力
主題 精神の安定と美
目標 喜びを表す
「一日をかけて体を浄化するように。明日は大切な仕事があります」
マダムからのメッセージとともに、セシルが現れた。いつものシックな装いは変わらなかったが、シャツの袖が何度か折り曲げられていた。露わになった細く白い手首が、なぜかくっきりと印象に残った。特別なことが始まる、という緊張。
――浄化?
独り言のつもりだったが、セシルは丁寧に教えてくれた。
「今日は一日食事をとらず、ファスティングをして頂きます。二十四時間をかけて体の毒素を出し、体内と外見を念入りにケアして心身を癒していきます。その上で、明日マダムを手伝って頂きます」
「ファスティングって?」
「一定期間、固形物等の食事をとらないことで、体内の消化や吸収活動に休息を与えるのです。そうすることで、体の余分な水分や物質の排泄の効果が高まり、体内がリセットされます」
――食事を、とらない?
「心配されなくても大丈夫です。固形物は避けて頂きますが、上質の水とバラの成分でできた天然のゼリーを食事代わりにとって頂きます。ゆっくりと体を休めて頂きますので、次第に食欲も減退し、感覚が研ぎ澄まされていきます。率直に言って、とても美しくなることができますよ。今日は別室にご案内しますので、お召しになっているものは下着も含めて全部お取りになり、このガウンに着替えて下さい」
セシルはそう言って私をバスルームに促した。食事のことはそんなに気にならなかったけれど、マダムの仕事を手伝うということが頭を離れなかった。いわゆる通常の「仕事」をするような人ではないはずだ。車のドアすら永遠に開ける必要がないのだから。すべては意志決定とその伝達のみ。
じゃあ、彼女の言う「大切な仕事」って……?
考えても始まらなかった。
裸になってシルクの白いガウンを着ると、私はセシルの後について部屋を出た。
そのスパはひとつの美しい銀河だった。部屋全体は澄み切った夜空のような藍色で統一され、半球型の天井にはプラネタリウムのように星が瞬いていた。壁の一面はガラス張りで、美しいパリの街が一望できる。宇宙にいながら大きなスクリーンで映画をみている……。そんな錯覚に陥ってしまうほどだ。目の前のエッフェル塔とパリの青空が、その映画の一コマのような。
「ご安心ください。ガラスには特殊な加工がされています。こちらからはパリの街並みを楽しむことができますが、外からは鏡のようにしか見えません」
大理石を贅沢に使った小さなプールほどのジャグジーには、グラースで見かけたような薄桃色の大輪のバラがいつくも浮かんでいた。
「初摘みのローズ・ドゥメです。早朝のほんの数時間だけ開花する、貴重なバラ。この花をふんだんに使って生成したバラ水のみでお湯を沸かしています。あなたはこれから一日をかけて、一輪の美しいバラになるのです。あなたはそれだけの価値がある女性です。今日の外出はありません。ですから、どうぞゆっくりとお湯につかり、細胞のすべてをバラの泉に浸すイメージで寛いでください」
セシルはそう言って、灯りを暗くした。
ところどころに置かれたキャンドルがやわらかな炎を揺らめかせ、天井で煌めく星々を見ているうちに本来の時間がどこへともなく消えていくようだった。部屋の端に吊り下げられた大きなクリスタルのボールには、様々な色合いの石が敷き詰められていて、その真下の小さな泉へと水が静かに流れ落ちていた。漆黒の宇宙、螺鈿(らでん)を散りばめたような小さな星々。ぽっかりと宙に浮かぶパリの街。銀河に浮かぶ宝石の泉。私の意識は完全に現実の世界から切り離されていった。
芳香なバラの香りに包まれたお湯に心ゆくまで体を横たえていたところで、セシルに優しく声をかけられ、言われるままにサウナに移動した。頃合いを見て、セシルは再び私をローズ・ドゥメのジャグジーに導く。そのルーティンを何度か繰り返した。ジャグジーのお湯は毎回新しく入れ替えられていた。
「水は人の感情を記憶するのです。あなたの細胞とこのバラ水が一体となり、細胞から流れ出た古い記憶や感情をバラ水が引き受けてくれます。それを繰り返すことで、細胞を満たす水がバラ水のように生まれ変わり、あなたの意識が優しく浄化されていくのです」
セシルの言う「浄化」がひと段落すると、私は裸のまま、優雅なシャンプー台に寝かされた。心地よい肌ざわりの大きなタオルで体を覆ってくれたセシルは、素晴らしい香りのシャンプーやトリートメントで何度か私の髪を洗い、頭頂部から首にかけてマッサージをしてくれた。セシルは折々に私にグラスを渡し、たっぷりと水を飲むように言った。
「体のリセットに良質の水は欠かせません。可能な限り飲んで下さい」
それは今までに飲んだことのない水だった。ほのかに甘みがあり、するっと喉に落ちていく。あまりに美味しくて、どれだけ飲んでも疲れない。
「アルプスの麓から細心の注意を払って運んでいます。マダムはこの水で調理されたものしか口にしません。彼女は多くの食事を必要としません。時にはこの水で生成したバラ水だけを飲んで体を潤し、体内をクレンジングするのです」
セシルの口調には、マダムに対する深い敬意が滲み出ていた。
「セシルはマダムと出会ってどれくらいになるの?」
私の髪を丁寧に拭きながら、生まれて以来ずっとです、とセシルは答えた。
「私の祖母と母はマダムのお母様に仕えていました。マダムのお母様は、私の母のことを実の娘のようにかわいがって下さいました。母は早産で私を出産したため、私には生来の様々な疾患があり、通常の生活を送ることは不可能でした。マダムのお母様の遺言で、私の祖父母はグラースの土地の半分の所有権を相続し、経済的にも非常に恵まれることになりましたが、それ以上に、私たちの一家は何ものにも代えがたい精神的な豊かさを、あの母娘から頂いてきました。
私はマダムの計らいで、必要かつ最上級の教育をグラースのシャトーで受けさせて頂きました。同時に、マダムの水やバラ水の恩恵と最先端の統合医療によって細胞レベルから治療を行い、マダム自らの意識のクレンジングを受けて、疾患のすべてを手放すことができたのです。このご恩を、私はマダムにお仕えする形でお返ししています。ですが、マダム・ロゼのおそばにいられる奇跡に比べれば、私の献身など取るに足らないものです」
私はセシルの話を聞きながら、改めてマダムの非凡さについて考えていた。類(たぐ)い稀(まれ)な存在であるこの女性が、たとえ短い間とはいえ、私をそばに置いている理由は何なのだろう? この女王のような待遇を与えた後で、彼女はこれから私に何をさせるつもりなのだろうか?
その後も極上のオイルマッサージや、特殊な泥やクリームを使ったフェイシャルとボディのケアが続いた。そのすべてをセシルは一人で行った。完全なプライバシーと至極のラグジュアリーが約束された、心身のクレンジングとトリートメント。富豪の女性たちは皆、こんな素晴らしいサービスを意のままに受けているのだろうか。それともこれは、マダムだからこそ手にすることのできる贅沢なのだろうか。
セシルは数時間ごとに、ジェラードのような冷たいクラッシュゼリーも出してくれた。シャリシャリとした食感でのど越しがよく、不思議に少量で空腹が満たされる。その日私に与えられたすべてのものは、バラを基調にしていた。オイルやクリーム、ローションは言うまでもなく、ゼリーもお茶も、すべてはグラースのバラとマダムご用達のアルプスの水で作られていた。私の肌はたった一日で美しく生まれ変わり、体内に付着していた(セシルの言うところの)毒素は、見事なまでに排出されていった。
ふと、ガラスの向こうに目をやると、パリの夜空に本物の星が煌めき始めていた。
「隣に寝室があります。今夜はそちらでお休みください。特別な香料を焚いています。お身体は思っている以上にお疲れですので、きっとすぐに心地よい眠りに誘われますよ」
しっとりと潤った私の体に、セシルは薄いガウンを羽織らせた。寝室に入った途端、甘くまろやかな空気が私を包み込んだ。その部屋にもキャンドルだけが灯されていた。どこからともなくピアノの音が聴こえてくる。急に瞼が重くなってきた。小さな子どものようにふらふらとベッドに横になると、セシルがそっとやわらかなブランケットをかけてくれた。いつの間にか、私は深い眠りに落ちていた。
目を覚ますと、部屋には既に朝日が差していた。ぼんやりとした意識のまま、私は辺りを見回した。最初は自分がどこにいるのか分からなかったが、次第に昨日の記憶が蘇ってきた。
私は体を起こした。部屋には誰もいない。ベッドのそばには小さなカードが置かれていた。
「クローゼットに用意された服に着替えて、中の扉を開け、廊下をまっすぐに歩いてきて下さい」
水差しに用意された水を一杯飲むと、私はベッドを出て大きなクローゼットを開けてみた。中には一着のロングドレスがかけられている。顔を洗おうとパウダールームに入った瞬間、私は自分の目を疑った。鏡に映った自分が、起きたばかりの素の姿にも関わらず、あまりにも「美しく」変容していたからだ。肌は内側から発光して輝き、まるで汚れを洗い落としたように色白くなっている。髪も艶やかで、全身から発せれられる「匂い」は、グラースに満ちていたバラの香りそのものだった。言葉を失ったまま、私は鏡に映る自分を見ていた。あのスパの恩恵が一日にしてこうだとしたら、それを日常的に続けているマダムの纏(まと)うオーラが、生身の人間とは思えないのも当然だと思った。
オフホワイトのドレスを着て丁寧に髪をとかすと、私は広いウォークインクローゼットの奥へと足を踏み入れた。そこにはカードに書かれていたように小さな扉があり、開けてみると長い廊下が続いていた。壁には窓もなければ一枚の絵すら飾られていない。ただ、真っすぐな廊下があるだけだ。足元には仄かな灯りが照らされている。言われた通りその廊下を歩いていくと、程なくして別の扉に行き着いた。
私は深く息を吸って、吐き出した。
どう考えても人目を忍ぶために作られた部屋だ。これから何が始まるのだろう?
ノックをする間もなく、扉は静かに開いた。私は部屋の中に足を踏み入れた。さほど広くはない室内は薄暗く、ぼんやりとしたオレンジ色の灯りが部屋全体を包んでいた。深いモーブの分厚いカーペットの上に、いくつかの大きなクッションがまばらに置かれている。花瓶やスタンドに飾られたバラも暖かで深みのある色ばかりだった。昨日と同じように、ここでもいくつかのキャンドルが灯されていた。
マダムは部屋の中央に腰を下ろしていた。彼女が地面に直接座っているところを見るのは、それが初めてだった。いつもはエレガントに整えたボブヘアを、今日は緩く結い上げている。上品な光沢のある真珠色のドレスを着てこちらを見ているマダムは、これまでに見たどのマダムよりもナチュラルな美しさに満ちていた。部屋の微妙な陰影がその繊細な美しさを一層際立たせていた。マダムは私を手招きした。私は吸い寄せられるようにマダムの傍らに歩いていくと、黙ってそのまま腰を下ろした。
「気分はどう?」
「とてもいいです。いつもより、体も心も軽い気がします」
「それはよかった」
マダムは私の手に自分の手を重ねた。どこか艶(なま)めかしい彼女の手はひんやりとして冷たく、セラーから出したばかりのワインを思わせた。マダムは無言のまま、しばらく動かなかった。不意に彼女の手から、びりびりとした感触が伝わってきた。彼女は目を閉じて、そのまま私の手に自分の手を重ねていた。それは何かのエネルギーのようだった。微細な電流、あるいは人の温もりとは違う何か。その一筋が彼女の冷たい手を通して私の体へと流れ込んでいる。
「まずまずだわ」
ゆっくりと目を開いたマダムは、安心したようにそう言った。彼女が言っていることが何のことだかよく分からず、私は黙ってマダムの言葉を待った。「あなたには、やはり素質があったようね」
マダムは私から手を放し、軽く息をついた。彼女はなぜか少しほっとしているように見えた。
「これから私たちは一人の女性に対し、ある行為を行います」
静かな口調でマダムは話し出した。
「その女性は高名な実業家の妻で、世界中で名の知られた人物です。彼女は長年、夫の不貞に苦しんできました。金と権力を手にしている男性に時に見られるように、彼女の夫は性的に健全ではなかった。抗いようのない彼の負の引力に惹きつけられたまま、彼女は嫉妬の沼にはまり、自尊心を損なっていきました。夫への執着のあまり美容整形を繰り返し、顔も体も明らかに不自然な造形になってしまいました。やがて終わりのないゴシップが始まり、彼女の心身のバランスが崩れ始めた。夫への感情も次第に狂気じみていきました。彼に取り入る女性たちに探偵をつけ、性行為のすべてを録音させる。そしてそれを一人で何度も何度も聞くのです。若い女性を相手にする時、夫の絶頂時の反応がとりわけ激しいと思い込んだ彼女は、最高峰の膣形成手術までも受けた。性交時の感度を上げれば、出会った頃のように夫が自分に夢中になると信じて。しかし、夫は裸で彼を待つ彼女に残酷な言葉をかぶせ、せせら笑いました。今さら整形狂いの老いた化け物を相手にするとでも思ったのか、と。酔っていた彼はサディスティックな暴力で彼女を痛めつけ、翌日、彼女は自殺を図った。先月のことです」
マダムはいつものように感情に流されることなく、事実を淡々と語っていた。それでも気がつくと、私は彼女の話に深く引き込まれていた。
「病院で目を覚ました彼女の瞳から、不意に涙がこぼれました。それから三日間、彼女は静かに泣き続けました。なぜか涙が枯れることはなかった。そして、いつの間にか深い闇に迷い込んでしまった自分を、初めて心から救いたいと思った。自分を苛んできた地獄の沼から這い出したい。その一心でいくつもの伝手(つて)を経て、彼女は私に辿り着いた」
マダムはそこで言葉を区切ると、黙って私の顔を見た。
「私がこの仕事をするのは、本当に稀です。そもそも『私』に辿り着くこと自体、容易なことではないの。言い換えれば、『私』に行きついた時点で、処置に値するかどうか、検討の余地があるということです」
「私」に辿り着く、ということが、具体的に何を意味するのか、もちろん私には分からなかった。それでも、その難しさを感覚的に理解することはできた。たしかに簡単ではないだろう。この数日彼女と一緒に過ごしただけでも、その存在の非凡さは十分に理解できるのだから。
「彼女は私の処置を受けるに値すると判断しました。彼女はただの嫉妬に狂った妻ではない。世界でも有数の資産家である自分の立場を還元しようと、世界規模での慈善活動に尽力してきた人物です。その献身は決して偽善のレベルではない。それだけに、自己が分裂していく苦しみと恐怖は、相当なものだったはずです」
マダムは私を見て頷いた。それは穏やかな、しかしはっきりとした通達だった。これから私はその「処置」を手伝うことになる。たとえそれがどのようなことであれ、おそらく逃げることはできない。でも私には、それが卑しさを伴うものではないという直感があった。だから素直にマダムに従うことにした。もともと彼女に預けた命なのだ。
「私は何をすればいいのでしょう?」
「これから、この部屋に彼女が来ます」
丁寧な口調でマダムはそう切り出した。
「あなたが昨日受けた待遇を、彼女はより精神的なレベルで五日間受けてきました。その過程で、彼女は一輪の美しいバラに生まれ変わる決心をしました。私たちはそれを助け、見守ります。彼女はこれから、この世で女性が体験し得る最も甘美な官能を味わうことになります。そして、深く損なわれたセクシャリティを修復し、再生し、更には拡大するのです。あなたには、そのサポートをしてもらいます」
私は少し緊張した。「セクシャリティ」という言葉が意味することを、はっきりと想像できたからだ。
「彼女と性的な行為をするということですか?」
マダムは美しく微笑んだ。
「性的な行為。あるいはそういう側面もあるかもしれません。でも私が施す処置は、あなたが今、想像していることを遥かに超える次元での、真実の愛の行為です」
その時、音もなく扉が開いた。
私と同じようなロングドレスに身を包んだセシルに伴われて、一人の中年の女性が姿を現した。彼女は上品な薄桃色のスリップドレスを着ていた。裾に揺れる繊細なレースに高級感が漂っている。全体的に筋肉が落ちている印象を受けたが、それでも陶器のように白い肌はしっとりとして艶やかだった。五日間、バラの銀河に身も心も浸した恩恵なのだろう。淡い栗色の髪は自然でいてノーブルで、穏やかな顔立ちの中にも気品と育ちの良さが感じられた。
セシルは彼女の手をとったままマダムの前まで来ると、優しげな仕草で彼女が腰を下ろすのを手伝った。女性は少し緊張しているようだった。それでも、その表情からはマダムへの深い信頼が見てとれた。マダムはそっと彼女の手をとった。
「気分はどう?」
「ええ。とてもいいです。少し恐いけれど。でも素晴らしい五日間でした。心から感謝しています」
マダムは微笑んだ。
「少し恐さを感じることが大切なの。あなたはこれから牢獄のように暗い世界にいた自分を解放し、今までとはまったく異なる次元に行くと決めたのだから。でも安心して。その世界には私がいる。そこに辿り着いたあなたは、もう二度と過去に戻ることはないわ」
女性の目に涙が浮かんだ。彼女はマダムの手をとったまま、何度も深く頷いた。マダムは滑らかで細長い、うっすらと桃色がかった水晶を女性に手渡した。
「これが、その特別なクリスタルよ。あなたの体の奥深く、神聖な場所を汚しているすべての記憶を吸い取り、浄化してくれる。その浄化の後で、奇跡が起こる。昨日話したように、自分に心地よいタイミングとリズムで、あなたはこのクリスタルをゆっくり体の奥へと沈めていく。恥ずかしさや恐さを手放して、ただ自分を慈しみ、訪れる官能にありのまま身を委ねて。他の誰でもない、私があなたをずっと見守っているわ」
セシルは大きなクッションをいくつか重ねて女性の背中にあてがうと、灯りを落とした。キャンドルが揺らめく中で、部屋中に飾られたバラが不思議な形の影を醸し出し、部屋中が妖艶な美しさで包まれた。まるで、私たち自身が大きなバラの花の中にいるようだ。
「いづみ」
突然名前を呼ばれた私は、ゆっくりと顔を上げた。現実と夢の狭間にいるような、不思議な意識が広がり始めていた。
「彼女の下腹部に右手を置いて」
私は静かに頷いた。いつの間にか、部屋には不思議な音楽が流れていた。クラッシックでもジャズでもない。これまでに聴いたことのない類いの、でもうっとりとする曲だった。
女性は少しためらいながらも、ゆっくりと両足を開いた。セシルが女性の上に透けた素材の大きな布をかけた。マダムは彼女の肩にそっと手をあて、「目を閉じて」と静かに言った。どこからともなく甘美な香りが漂ってきた。私は半ば夢の中にいるような感覚のまま、女性の体に手を置いた。一瞬、女性の全身がびくっと震えた。私は自分の手を優しく動かし始めた。なぜそうしたのかは分からない。ただ自分でも気づかないうちに、その女性に対する恋にも似た感情が、自然と沸き起こっていた。ゆっくりと彼女の体をさすっているうちに、次第に女性の体から余分な力が抜けていくのが分かった。その感触が伝わってきた瞬間、私の体の奥深く、下半身の秘められた部分で何かが目覚めた。生きた、何かの渦のようなエネルギーが、私の子宮の内部をゆっくりとかき回し始めている。
女性は大きく息を吐くと、マダムから受け取ったクリスタルを自分の腹部にあてた。そして、少しずつ彼女自身の中へと埋めていった。ほんのわずかに奥へと動かすだけでも、切ない喘ぎ声が漏れた。マダムは彼女の肩を抱きながら、時折「そう、素晴らしいわ」と囁いた。彼女の体に触れているうちに、私の内部で育ち始めたエネルギーが少しずつ大きくなり、体全体を脈打ち始めた。私は彼女の片手に自分の指をからめた。クリスタルが奥へと沈むにつれ、彼女が私の手を強く握り始めた。女性の手がだんだんと熱を帯びていく。マダム・ロゼという深遠な存在にすべてを守られた、その特別な空間の中で、女性の表情が次第に恍惚としてきた。歓びに満ちた吐息とともに、いつの間にかクリスタルのほとんどが、彼女の奥深くへと沈み込んでいた。
そしてある時、彼女は快感に我を忘れた。
不意に、マダムが私の手に自分の手を重ねた。マダムは彼女の体から私の手を優しく離すと、人差し指で彼女の下腹部に真横に線を引いた。そして、その架空の線を境にした上下の肌に、手のひら全体で何かを埋め込むような仕草をした。それから手のひらをゆっくりと体の上部に沿って動かしていった。みぞおちと胸の上でも、さっきと同じように、目には見えない何かを埋めるような仕草をしながら。
やがてマダムの指が彼女の喉を何度も慰撫し、彼女の喘ぎ声は一段と激しくなった。美しい指先が艶めかしい動きで女性の唇に触れた。女性はたまらずに「あぁっ」と声を上げた。私の体も、いつしか女性の興奮に共鳴していた。自分自身が触れられているように、全身に鳥肌が立っていた。
マダムの指は彼女の唇から更に眉間へと移動した。その時、その直前まで体をよじっていた女性の動きが急に緩やかになった。マダムは彼女の眉間に指を置いたまま、しばらく目を閉じていた。やがて無意識に再び女性の体に触れていた私の手に、微弱な何かが伝わってきた。この部屋に来た時にマダムの手から伝わってきた、あの感触だ。女性の呼吸が深く、ゆっくりとしたものへと変わっていった。私の手に伝わる微細な電流が少しずつ命のようなものを宿し始めていた。マダムの手が、女性の額から頭頂部へと這うように動いていった。美しい手が、彼女の髪を慈しむように優しく撫でた。女性は既に体のすべてを完全にマダムに預けていた。
ふと、女性の頭頂部の中心でマダムが拳を握った。マダムはそのまま女性の頭から何かを引き出すような仕草をした。そして蓮の花が開花するように、ゆっくりと美しく手のひらを開いた。
「エン・イー・ケー・マイー・エアー」
甘美で美しい響きだった。マダムの唇からその呟きがこぼれた瞬間、女性の体が激しく痙攣した。全身を震わす彼女の体内を、激しい何かが竜巻のように下から上へと駆け抜けた。その振動は彼女に触れた手を通して、瞬間的に私の体内までも突き抜けていった。
めくるめく官能が私の全身を貫き、そして瞬く間に消え失せた。
やがて深いため息とともに、女性がマダムの胸に崩れ落ちた。マダムは彼女を優しく抱きしめた。彼女は半ば死んだようにしばらく動かなかった。
どれくらいの時間が経ったのだろう。失われた時の中で、女性の瞳から涙がこぼれ落ちた。次から次へと、とめどなく。マダムは彼女の頭部にそっと口をつけた。
「あなたは今、内なる自分の神性と肉体を統合し、体も、そして心も、女神のごとく生まれ変わったのよ」
女性は静かに涙を流し続けた。すべてを見守っていたセシルが、深い桃色の重厚なローブをそっと彼女の体にかけた。
私はその時、深い愛に浸された中でのみ起こる狂おしい性の快感を、生まれて初めて体験した。私の子宮の奥深くで命を宿した何かと、女性から流れ出た莫大なエネルギーが絡まりあい、ひとつとなって体中を縦横無尽に揺さぶった。そして気絶するほどの素晴らしい快感を後に残し、瞬く間に去っていったのだ。それは、力強い龍が天空へと飛翔するかのような激しさだった。
そんな性愛がこの世に存在するのだということを、私はそれまでまったく知らなかった。想像すらしたことがなかった。あの秘められた部屋で、誰とも一切体を重ね合わせることのないまま、彼女と私はその奇跡のようなエクスタシーを、マダムと、そして見えない何かによって授けられたのだ。
~第2チャクラ・セイクラルチャクラ~
・チャクラ名……セイクラルチャクラ (仙骨チャクラ、性腺チャクラ)
・サンスクリット語……スヴァディシュターナ (甘さ)
・色……オレンジ
・関連する体の部位……子宮・性器・膀胱・前立腺・腸の下部・循環器系等
第2チャクラの象徴は「生命力」です。第1チャクラが私たちの存在の基盤を作り上げるエネルギー場だとすれば、第2チャクラは、生きる喜び、創造的で豊かな人生を叶える生命力を整えるチャクラと言えます。第2チャクラが位置する場所は、仙骨(骨盤の背中側の中央にある平たい骨)の辺りです。
何をしたら嬉しいか、気持ちよいか、そして幸せなのか。肉体的にも精神的にも心地よいことを、私たちに正直に教えてくれるのは、感情や欲求です。感情を通して自分の本当の気持ちに気づき、欲求の原因(発露)を理解することができます。それが満たされた時には、本当に気持ちがいいし、幸せを感じますよね。その体感を通して得られる心の安定が積み重なれば、それは自信にも繋がっていきます。その経験の連続は、あなたをより美しくするだけでなく、何か新しいことに挑戦し、生み出してみたいといった創造性へと繋がるのです。
この第2チャクラが歪んでしまうと、自暴自棄になってしまいます。何事にもやけくそになり、投げやりな態度をとるだけでなく、無意識に自分には価値がないという感情を生み出してしまうのです。心の底から感じる喜びが満たされることが少ないために、性的な欲求でその穴を埋めようと暴走してしまうこともあります。感情にコントロールされ、瞬間的な快楽に依存してしまうのです。経験したことがある方なら分かると思いますが、相手が自分に思いを寄せない、あるいは尊重していない状態で体だけの関係を持った場合、ことが済んでしまった後のみじめさ、空しさは自分自身の大切な何かを無慈悲に破壊します。あっと言う間に、容赦なく。
ですから、自分を大切にする「自尊」の気持ちを育むためにも、第2チャクラの司る心身の領域について自覚的になりましょう。あなたの第2チャクラを整えるシンプルな方法の一つは、腹式呼吸をして体内のエネルギーを活性化することです。チャクラを整えるためには、意識的な深い呼吸が基本となりますが、第2チャクラは下腹部から仙骨の辺りに存在するエネルギー場なので、特に腹式呼吸が効果的に働くのです。
更に、「自分を喜ばせる」、「自分に甘い気持ちを味わわせる」という視点も、とても大切です。ロマンチックな映画を観る、大好きなアーティストの音楽を聴くなど、自分を時めかせることをしてみて下さい。実際にライブやコンサート、講演などに足を運び、憧れの人とエネルギーを共有することは、素晴らしい方法の一つです。スマートフォンの画面よりは大きなスクリーンの方が、更には実際のコンサート会場やホールの方が、あなたの五感が強く刺激されます。仕事や自分にとってのタスクを終えたご褒美など、楽しい気持ちで計画を立ててみましょう。
このチャクラは性のエネルギーと密接な関係があるため、バランスが取れている時には、性行為においても、自分と相手を慈しみながら素直に官能に身を浸すことを助けてくれます。一方でバランスが取れていない(閉じている、あるいは過剰に開きすぎている)時には、自分への無価値観と他者への依存が深まり、嫉妬心なども芽生えやすくなってしまいます。お互いを思いあわずに、快楽だけに溺れてしまうことが続くと、知らず知らずのうちに次第に心が疲弊していきます。枯れる、あるいは死んでしまう。その苦しみから目を背けるために、アルコール依存、過食症、薬物やギャンブル依存といった望ましくない状況に陥ることもあります。
自分とパートナーや他者との間に問題がある場合には、その関係を無理にコントロールしようとしたり白黒つけようと解決を急ぐ前に、第2チャクラを意識しながら、パートナーシップ以外で自分が純粋に喜びを感じることを考え、実行することをお勧めします。悩みの対象から焦点をずらし、自分の気分を「上げる」ことをしてみるのです。
私は綺麗な色やデザインのネイルをしたり、髪のインナーカラーをベビーピンクなどのやわらかな色に染めたりすると、すごく気分が上がります。また、香水やアロマオイルも好きで、特別な気分を感じることができます。あなたはどうですか?
レムリア文明やアトランティス文明などの伝説の古代文明において、私たち人間には十三のチャクラがあったという話があります。現代では、そのうちの六つは休眠状態になっているのだとか。一説には、現在の第2チャクラは古代では二つに分かれていて、仙骨のチャクラは薄桃色に、おへそのチャクラは温もりのあるオレンジ色に輝いていたそうです。
仙骨のチャクラが美しい桃色に活性化する時、古代人は純水な愛のエネルギーで満たされ、超越した性の認識によって、自信を持って真の愛を表現することを可能にしていました。そして、おへそのチャクラが夕日のような輝きを放つ時、すべての人々との間に自然で温かな気持ちが通い合い、調和に満ちた世界でありのままに生きることができていたのです。
マダムがその女性に対して行った処置は、第2チャクラを本来あるべき二つの姿に戻した上で、それぞれを活性化させる、というものではなかったかと思います。女性が快感の絶頂に達した時、私の体にも強烈で激しいエネルギーが突き抜けていきました。その直後の恍惚感は、それまでの性体験では味わったことのない素晴らしいものでした。あの体験は私に、真実の「性の歓び」を余すところなく体感させてくれた。 マダムの純粋な慈愛とミステリアスな空間の中で、女性は安心して自分の心と体を開放することができます。マダムの意図は、彼女が真実の愛(人間愛、という表現が正しいのかもしれません)の中で、圧倒的な快感を体感し、本来誰の中にも宿っている神性に気づかせること。そのために、マダムは彼女の※2クンダリーニ(根源的な生命エネルギー)に働きかけた。そして彼女のクンダリーニ覚醒に私の体も共振し、同じ体験をすることになった――。今ではそのように理解しています。
すべての処置が終わり、女性が立ち上がってローブを着直した時の美しさは、忘れることができません。深い愛と信頼に身を浸し、無防備に、そして心ゆくまで味わう官能。それは一人の傷ついた女性をこんなにも美しく再生させる。年齢も外見もまったく関係ありません。私たちの中に備わる女性性は、無限に拡大できるのです。
彼女は部屋を出る前に、深い思いとともに私を抱きしめてくれました。その時、過去の恋愛では決して味わうことのできなかった感情が、私の全身を満たしていきました。秘められた場所で、同じ経験を分かち合ったことから生まれた強い共感と信頼。そして相手を純粋に愛おしいと思う感情。愛する喜び。愛される喜び。
それは、性に対する私の認識を一変しました。
恋人や結婚相手の有無や性の違いが問題なのではない。自分の体と心を完全な喜びで満たすためには、まず自分自身が自分を愛するという意識、そして自分は深い愛を受け取るに値するのだという気づきが必要なのです。その女性にも、そして私にも、それが欠けていた。
マダムは一連の実際的な行為(処置)を通して、その欠けていた意識を私たち二人の女性に、強烈に体感させてくれたのです。
※2 クンダリーニ……一般的な考え方として、「クンダリーニ」とは私たちの身体の中に眠っているとされる、根源的な生命エネルギーのことを指します。ヒンドゥーの伝統では、宇宙に遍く満ちる根源的エネルギーとされるプラーナの人体内における名称であり、シャクティとも呼ばれています。このエネルギーの形状は細長く、第1チャクラで蛇のようにとぐろを巻いていると言われていて、このエネルギーが覚醒していくと、私たちの体内の七つのチャクラに沿ってゆっくりと上昇していきます。第7チャクラ(頭頂部)を通り過ぎて一定の高さに到達すると、自然に宇宙エネルギーとの接続が可能になると言われています。
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