物語 「ルディのダイヤモンド」《第6章》
《第6章》
ある夜、誰もいない作業場で、ルディはぼんやりと石たちを眺めていました。その中には、エレナと出会うきっかけになった、あの白っぽくくすんだダイヤモンドの原石もありました。ルディは石を手にとりました。
「ぼくは、結局はこのダイヤモンドと同じなんだ。決して宝石にはなれない、ただの石っころ……」
ルディは顔をうずめました。でもたとえ目を閉じたとしても、ルディの話を夢中になって聞いていた、あの溌剌とした表情を忘れることはできません。
———ルディの生き方は本当に素敵ね。私もあなたみたいに生きることができたら、どんなにいいか……。
エレナの言葉が耳元で優しく響いています。いつしか頭の中でその言葉を何度も繰り返していたルディは、突然顔をあげました。はっとした表情で暗い部屋の中を見ています。誰もいないはずなのに、そこにエレナが立っているような気がしました。
「たとえ親方がなんと言おうと、ぼくの身分がどうだろうと、エレナはぼくの生き方を素敵だと言ってくれた。こんなみじめな姿を見たら、エレナはなんて思うだろう」
ルディは手の中の原石に目をやりました。くすんだ石を神秘的だと言っていたエレナの言葉もよみがえってきます。
「どんなにくすんで、そして硬くても、ダイヤにしかできないことがある。宝石としては輝けなくても、ほかの宝石を削ったり磨いたり。ぼくにだって、ぼくにしかできないことがあるはずだ。おじいさんがいつも言っていたように。せめてエレナがずっと覚えていてくれるような、誰にも負けない職人になる道だけは、まだ残っている」
その時、どこからともなく不機嫌そうな声が聞こえてきました。
「誰が宝石として輝けない、ですって?」
ルディはびっくりして辺りを見回しました。部屋の中は静まり返ったままです。空耳かな、と首をふったとき、またしても同じ声が響きました。
「なんと愚かな若者よ。この世界のどの石よりも燦然と輝ける私を手にして、本物の宝石ではないなどと、たわ言を口にするとは。人間たちの愚かさを何千年も目にしてきたとはいえ、本当にしゃくにさわる。さあ若者よ。顔をあげなさい。古の術を託された、宝石職人ともあろう者が」
ルディは手の中のダイヤを見つめました。
「あなた、ですか? 今、ぼくに話しかけたのは……」
「ほかに誰がいるというのです?」
「だって、ぼくにはもう、石の声は聴こえないと思っていたから」
「すべてはそなたの思い込みにすぎません。私はあなたの不甲斐なさに、もう何日も怒りの声をあげていたのですよ。されど、自分を見限り、自己否定の闇に迷い込んだ人間には、大いなる叡智の言葉は届かないのです。しかしながら、そなたは今、闇から出ようと立ち上がった。若者よ。私の言葉を全身全霊で聴きなさい。そなたが手にしている私は、宝石の中でも最も気高い、女王とも女神とも呼ばれる石なのですよ」
「え? だって、ダイヤは……、いや、あなたは、あまりにも硬すぎて、自由に削ることも磨くこともできないって……」
「それは、単に今まで誰も成し得なかった、というだけに過ぎません。もしも私に価値がまったくなかったとしたら、どうして古代の王たちは、私を魔よけや守りの石として崇めたのです? 私を輝かせる方法はもちろん存在します。古の心ある職人たちは、それを知っていた。ただ、その術までは知り得なかったというだけです。なぜなら、彼らは私を理解しているようで、真には理解していなかったから。私の本質に目を向けない者は、私に手を出すことは叶わないのです。私と同じ本質を有するものでなければ、その術を知ることは永遠に叶いません。そなたがここであきらめれば、過去の哀れな職人たちと変わらない。そなたは何のために私に刃を向けるのですか? それをよく考えるのです。誰かに言われたつまらない言葉で崩れ去るほど、そなたの思いはもろいのですか。若者よ。目を覚ましなさい」
「それって……」
その時、ばたん、と大きな音が響きました。ルディは驚いて振り返りました。
ドアの前に、親方が立っていました。
親方は大きなため息をつきました。
「ルディ。まいったよ。おまえの腕が落ちて以来、店にはほとんど客が来なくなってしまった。このままでは、いずれ店はつぶれてしまう。それに、そんなことより……」
親方は苦し気に首をふりました。
「エレナが事故にあっちまって」
「エレナが? 事故?」
「ああ。店に来ようとしたらしい。わしがおまえと会うのを禁じたもんだから、誰にも言わずに一人で家を出たんだ。そのせいで、運悪く出会いがしらの馬車にひかれた時、誰もどこの娘か分からんくてな。手当てが大幅に遅れたんだよ。幸い命は取り留めたものの、意識が戻ってもまるで生気がねぇ。体のあっちこっちの骨が折れて、みるみるやせ細って……。あんなによく笑う子だったのに、死んだように天上だけを見ている。わしが悪かったのだろうか」
親方はいつもとはまったく違う目で、ルディが手にしていたダイヤの原石を見つめました。
「ルディ。そいつはな。今までどの宝石職人もほとんど手が出せなかった代物だ。だが自由に削れたら、ほかの宝石のように磨けたら、世界中のどの石よりも見事に輝くはずだ。もう何千年も前から、わしら宝石職人の先祖たちが、それを信じて挑んできた。わしもな、実は若い頃に目指したんだよ。ダイヤを磨き上げることをな。あの地下室の本に出会ってしまったがためにな。おまえもそうだろう、ルディ。おまえの腕がにわかに上がった時に、わしはぴんときたんじゃよ。あの本を読んだんだ、と。おまえは悪さをするような男じゃない。きっと本に選ばれたんだろう。わしだってそうさ。宝石職人という仕事に夢中になりはじめたころ、偶然あの本を手に入れることができた。でも、おんなじ本を読んでも、わしはおまえのようには石を磨けん。おまえの手は、おまえの目は特別なんだ。ルディ、おまえにできるか? ダイヤモンドを輝かせることが。それができたらエレナと結婚してもいい。そんなすごいことができるなら、足が悪かろうが身分がどうだろうが、関係ねぇ。誰もがおまえを文句なしに認めるさ。もちろん、このわしだってな」
思いがけない親方の言葉に、ルディは目を大きく見開きました。
エレナと結婚できるかもしれない……。
ルディは思わず親方の手をにぎりしめました。まだ少年だったころ、必死にこの手にしがみついた時のように。いえ、それ以上の力をこめて。
「わかりました。親方。絶対に、絶対にやり遂げます」
✧ ダイヤモンドの言葉 ✧
あなたの真価にふさわしい意識に、あなたの全存在を浸しなさい。それを成し得たとき、あなたは既に別の次元に立っている。