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長文の読み方

3学期の授業が始まりました。
 
中学校の国語では、1年生がヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」、2年生が太宰治の「走れメロス」を学習する時期です。3年生はすでに魯迅の「故郷」を学習したでしょう。
 
短い文章ならたやすく理解できていた生徒も、長い文章になると苦戦することがしばしばあります。というのも、「長い文章を読むのがめんどくさい」と感じる人が多いようなのです。では、なぜ、そのように感じてしまうのでしょうか?
 
それはおそらく、「しばらく読んでみたけれど、おもしろくないから」でしょう。
 
ただ、長い文章を読み始めて、いきなりおもしろいと思えることはあまりありません。したがって、あんまりおもしろくないと感じてしまう部分を耐えきる忍耐力が必要です。
 
今、私たちはスマホなどでパッと検索すれば即座に答えが得られる時代を生きています。
 
だから、なかなか大事な部分が出てこない話を読むのが退屈だと感じる人が多くなってきたのはしかたがないのかな、と思うこともあります。
 
読書をする人が減っているのも、おもしろいかどうか分からないものより、確実におもしろさを得られるものに飛びつく人が増えているからなのでしょう。
 
ただ、そんな時代だからこそ、教科書の文章をきっかけとして、長文を読むおもしろさを知ってほしいと思います。
 
短い文章と長い文章、どちらかを読んでくれと言われたら、どちらを選びますか?
 
おそらく、読書が苦手な人は、短い文章を選ぶでしょう。すぐに読み終わりますからね。
 
ただ、短い文章は、長い文章と比べて、おもしろいところが見つからないまま終わってしまう確率が高いです。長い文章のほうが、どこかに少しでもおもしろいことが書かれている可能性が高いのです。
 
私は、本を読むとき、常に「どこかにおもしろいことは書かれてないかなぁ」という気持ちで読んでいます。最初から最後までずっとおもしろい本なんてほとんどありません。だから、おもしろいところを探しながら読むのです。
 
そして、私はおもしろいところを見つけると、2Bの鉛筆でその部分に線を引いたり囲んだりします。そして、それが書いてあったページを表紙の裏などにメモしておき、その本のおもしろいところがどこなのかをあとですぐ振り返れるようにしておきます。
 
もちろん、図書館で借りた本にこういうことはできませんが、教科書やお金を出して買った本であれば、自由に線を引いたり書き込んだりしながら読むことができます。
 
長文を読むときは、最初から最後まで理解してやろうと気を張って読むのではなく、「どっかにおもしろいこと書かれてないかなぁ」という気楽な気持ちで読めばよいのです。そして、読んでいる文章が長文であればあるほど、どこかにお宝が眠っている可能性は高いのです。1、2年生のみなさんは、「少年の日の思い出」や「走れメロス」からお宝を発見できるといいですね。

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