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栄のビブリオマニアに行った

 こんにちは。ナマコです。なぜ私がナマコなのかは今日の記事を最後まで読んで考えてみてください。先に断っておくと、見た目は関係ありません。


 知り合いに紹介してもらって、栄にあるビブリオマニアというお店に行ってきました。


 友人からエログロをはじめとする面白いものがあるお店という紹介を受けたような気がするのですが、行ったのが結構前なのでなんて紹介を受けたのか忘れました。でも、ワクワクしながら向かった記憶があるので、それなりに興味がそそられる紹介を受けたんだと思います。


 結構分かりにくいところに入り口があり、グーグルマップを開きながら五分ほど周囲をうろうろしていました。明らかに「道に迷った人」の風貌だったので少々恥ずかしかったです。ちなみに、ここら辺は結構治安が悪そうな雰囲気があったので、「おー、何してんねん」とか怖いお兄さんに声かけられたらどうしようと気が気じゃなかったです。

 そうしてまぐろのようにうろうろしている内に、お目当てのビブリオマニアを見つけることができました。

 外観はこんな感じです。

 そうしてなにやら個性的な装飾がひしめく階段を上がっていくと……


 到着しました! ここがビブリオマニアの店内です!

……と写真とともに紹介しようと思っていたのですが、なんと店内の写真撮影が禁止らしいです。売っている雑誌やポスターが面白いものが多かったので非常に残念です。店内のどれをとっても面白いものばかりだったので、皆さんぜひ実際に行って確かめて欲しいなと思いました。


 その後色々店内を物色しました。映画の本もあったりゲームの本もあったり雑誌もあったりしたのですが、大体がここで書ける内容のものではなかったので割愛します。ただ、それだけに普通の店では中々売っていないものばかりで見るだけでもとても楽しかったです。一般的に分かりやすそうな指標で言えば、某ネズミテーマパークくらいのテンションで目をキラキラさせながら店内を見て回りました。

 だらだら書いていくのも面倒くさいので、ここからは買った商品を紹介していきたいと思います。


一、少女幻論


 初っ端からエロそうな本が出てきましたね。

 普段だったらまず買わないタイプの本ですが、なんとなく手に取って見てみたら、結構面白かったので、買うことにしました。どういう内容かというと、女子高生の写真集です。

 この本の一番面白い点は、定型的でないエロが出てくるところです。それが本当に良かったです。本を読んで興奮したのは大学二年だか一年だかの時に太宰の「斜陽」を読んで以来でした。店内で飛び上がりそうになるのをなんとか爪先を浮かすくらいで留めつつ、一緒に来ていた知り合いにこれがいかにエロいかをべらべら喋っていました。異性だったためちょっと気まずい気持ちを感じつつも、口寄せされたイタコのように口が止まらなかったのでもう自分の意思ではどうしようもできませんでした。幸い相手が心の広い方だったので全て受け入れてくれてありがたいなあと思った今日この頃です。こういう興奮をつぶさに拾って私は生きているのです。


 では、典型的でないエロとはなんでしょうか。それは端的に言えば面白いエロ、理解を超えたエロというところでしょうか。


 

 例えば、このくらいのエロなら理解できます。なので、「典型的なエロ」となります。この写真集の中でも恐らく一番「典型的でないエロ」に一番近い「典型的なエロ」です。「セーターの隙間から唇が出ちゃったのがエロいんだろうな」と頭で理解できます。理解の範疇にある時点でまだ現実のエロであり、それ以上の域には達せていない気がします。

 例えば少女の太ももというのはあまりにも定型化されたエロなので、自分はそういうのを気持ち悪いと思いつつも、安心して気持ち悪いと思うことができます。エロというのは、基本的に定型化された表現であればある程興奮はすれども、それは定型化された興奮に過ぎず、魂から湧き上がるような興奮にはなりえません。
 しかし、ここの写真集に載っている写真の大半は「定型化されたエロ」ではない。エロい。変態的なエロさだ。それこそ、ミニスカートに反応するというような、機械的な、定型化されたエロではなく、「個人」「個性」としてのエロがそこにありました。たまにコンビニとかでグラビア雑誌を見かけることがありますが、あれは完全に定型化されたエロだと思います。それは女性がエロくないというよりも、あまりに定型化されすぎていて面白くないという感情が近いです。面白くないエロは、一時の興奮はあれども、永続はしません。そのようなエロにはそれなりの役割はあるでしょうが、あえてどちらが上なのかと言われれば、面白いエロなのではないかと言わざるを得ません。面白いというのは個性的とも言い換えられます。ちなみに、面白くないエロの中に上手いエロと上手くないエロというのがあります。


 面白くないけど上手いエロというのは、典型的なストーリー展開、エロの強調させる要素、みたいな感じでありながら、興奮する奴です。で、面白くないし上手くもないエロというのは、記号的な性的興奮を誘う方向にいきながらストーリー展開とかが下手な奴です。こんなのはなぜ存在しているのか意味が分かりません。

 面白いエロには、そもそも「面白い」という点でアイデンティティがあるので、面白い時点で割と無条件で「上手い」に属する気がします。なにぶん私もこういう方面の本はほとんど読まないですし、こういう写真集も初めて買ったので、自分の中のサンプル数が少なく分析しきれていない感が否めませんが、なんとなくこういうことを考えました。

 そこに何かを見出さなければ……やはりいずれは飽きてしまいます。記号化された以上のものをそこに見出さなければ…………。


 一番凄いなと思ったのはこの写真です。これは「典型的でないエロ」に属す写真です。


 写真を写真で撮るという暴挙をしているので良さが伝わり切るか分からないのですが、これはねえ……すごい。何をどう食べたらこういう発想になるんでしょうか。私の中の写真集の概念をボキボキに破壊された作品です。これを見た時は素直に尊敬しました。尊敬というか興奮と言うか、とにかくすごいの一点に尽きます。


 この写真は、一人の少女が別の少女の腕の血管を両腕の人差し指で押しているところを撮ったものです。私がなぜこれを写真集に載せることに対してこれほどまでに驚いているのかというと、明らかにこれは、写真集に載せるにはあまりにも自然すぎる・・・・・からです。普段私は写真集というものを見ないので、もしかしたら写真集というのはこういう場面を切り取るようなものなのかもしれませんが、しかしあまりにも自然すぎると思いました。少なくとも、「写真集」という名前がつくものに載せて良いものではない気がします。私が想像する写真集というのは、美しい少年少女がモデルのように決められたポーズをとるものだと思っています。写真集はあくまで非日常であり、いくら日常のように作り込んでいたとしてもそれは日常のように作られた非日常に過ぎないということです。そう、思っていました。これをみるまでは。


どアップ

 ただ血管をプニッと押しているだけ。こんなものは写真集以前に「写真を撮ろう」という発想を抱かないと思います。あまりにも日常すぎるからです。そもそもそういう気分にならないのではないでしょうか。そして、あまりにも日常過ぎる瞬間というのは普通は写真を撮ることをしないので、そもそも写真を撮るのがものすごく難しいです。どの瞬間をどのように撮るべきか。

 まずこの写真はその選択に成功しています。そして、これを「少女幻論」という写真集に載せているにも成功していると思います。この写真を、「少女の幻」として加えたセンスは計り知れません。

 まず、光の当たり具合がなんとも自然でエロティックです。写真集という作りものの檻の中で、その光はあまりにも自然で美しい。一切の不自然さもなくそこに光が注いでいる。この矛盾がエロティックです。そしてだらんと力なくだらけた手。そして、なんといってもこの血管の柔らかさ! この血管の柔らかさを表現するための指二本! ほら、今にもプニ、という音が聞こえてきそうではありませんか! 柔らかいものはエロいというのはすでに我々の共通認識ではありますが、この写真はそこを極めて機敏に捉えることに成功しています。それも、あからさまに性的に強調されていない方法で。あからさまでないからこそ実にエロティックだと言わざるを得ません。エロとは秘匿の中に生まれるのです。もっとも、三島由紀夫に言わせれば、そういうのは不健康なのかもしれませんが。(三島由紀夫の『不道徳教育講座』という本の一節にそのような話があった気がします。)


 写真ってなんなんでしょうか。観光地で写真を撮られる時、我々はピースをします。その瞬間、それは日常でもなんでもない。だって、我々は普段生活している時にピースなどはしないのですから。写真は、「撮る」という行為をしている時点で日常ではなく非日常に成り下がらせてしまう機能があるのではないでしょうか。特に昨今、InstagramやXをはじめとするインターネットコンテンツが発達し、写真の非日常化はますます進んでいます。そんな中でこの写真はあまりにも真実でした。私には「写真は日常を非日常にする」という考えがどこかであったので、この真実を映した日常の写真を写真集という枠組みで見た中でみるという矛盾。そして、その矛盾を一切否定しない技術力の高さと写真の切り取り方の上手さ……。

少女幻論。幻とはすべからくエロティックなものです。人は矛盾に興奮するものですから。

 気持ち悪いという言葉を最大の賛辞に変えて、青山さんに送ります。

 ただ、散々持ち上げましたが、こういうすごい写真は少なく、ただエロいだけじゃね? っという写真が八割を占めるということだけはご承知おきください。

 この調子で気に入ったページを一つ一つレビューしたらとんでもない長さになってしまうのでここら辺で終わりますが、突然自分の癖に刺さる写真集が見つかるとは思っていなかったのですごく嬉しい気持ちでいっぱいです。 


二、いじめてガール


物々しいタイトル

 これも先ほどの写真集と同じく女子高生が主役で、のいじめ現場を撮影した写真集ですが、これは先ほどのものと比べるとあまり面白くありませんでした。

 個人的にこの写真集の見どころは表紙の文言ですね。表紙にある「ijime dame zettai」は、さすがに野暮であるという気持ちが9.9割と、可愛いという気持ちが0.1割です。いじめがだめなんていうことはマジで分かり切っていることです。そんなことは分かっている。しかし、それでもこの姿に興奮を覚えてしまう……という前提のもと本を読んでいるから、そこで「いじめ だめ 絶対」というメッセージは白けてしまいます。本の中の世界はやはりフィクションなわけですからね。しかし、それでもこの可愛いフォントで、しかもローマ字で「ijime dame zettai」と書かれている少女らしさがまた可愛らしく、この本の愛しさ、少女らしさを増しているとも考えられるのです。少女らしさというのは結構大切な気がします。

 これだけ色々言いましたが、冒頭に述べたように内容はいまいちです。偶然いじめられている場面を目撃し、そこにエロスを感じた、というよりかは、いじめられている女の子をエロく撮っているのが見え見えで、だからごっこ遊びにしかみえないんです。いじめられている女の子はエロいんだという前提条件のもとに撮っているのが見え見えです。撮っているうちになんかエロくみえるね、が理想形でしょう。エロいという前提条件のもと撮るのは全然構いませんが、そこをいかに見せないかが腕の見せ所でしょう。偽物をいかに偽物でないかのように作り込めるかなので。だけど、これは完全に「偽物」でしかないです。ごっこ遊びです。写真を撮っている人間が写真集から透けているようで、もう本当につまらなかったです。リアル感がなかったし、かといってフィクション感もなかったので、ずっと下手な作り物を見せられている感じでした。これは先ほどの面白くないエロでした。「エロく見せたい」という欲望が前面に出過ぎていて、自然さがなくなってしまったのが良くないポイントな気がします。


三、伊藤潤二「ギョ」


ギョ

 たまたま店内に伊藤潤二の本があったので買いました。高校生くらいの時、楳図かずおなどのホラーSF系は割と好きで、伊藤潤二も興味があったのでちょうど良い機会でした。あと一緒に行った人が伊藤潤二が割と好きだったのでちょうど良い機会でした。
 家帰って読んだのですが、面白すぎて一気に読みました。ただ、終わりが「え、そこで終わるの?!」という所だったので少々驚きました。例えるなら、『ゴールデンカムイ』で囚人の背中に金塊の地図が描かれている…!?というところで終わってしまった感じです。完全にこれから物語が始まるぞ、という所で終わったので面食らいました。
 簡単にあらすじを説明すると、沖縄旅行に現れた主人公忠とその彼女の華織が海で遊んでいると、強烈な腐臭を放つ足の生えた魚に遭遇する。二人は急いで沖縄を離れるが歩行魚は二人を追いかけるように東京にも現れる。忠は発明家の叔父小柳の元を訪れ、歩行魚の調査を依頼する。小柳は歩行魚を調べるうち、第2次世界大戦中に日本陸軍によって行われたある研究を思い出す。そして、華織の身にも異変が起こる……という感じです。              

 この作品ではやたら死の街ということが強調されていることが気になりました。この漫画は2002年に出版されたのですが、バブルが崩壊し、なんとなく低迷していた日本の世相でも表しているのかとか考えてしまいますね。伊藤潤二には恐らくそういう意図はないでしょうが、これが世間にどう受け取られたのかの受容を研究する価値はあるような気がします。それこそ、ゴジラだってただの怪獣映画ではなく水爆実験に対する恨みを考えられたものだし、漫画自体がどのように受容されたのかは気になるところではあります。総括すると伊藤潤二は最高でした。また近々買い漁りたいですね。


四、透明標本

 

 これは中和剤として買いました。今日見てきた写真集や漫画があまりに趣味全開すぎて、なんかもう一つ、趣味全開とまではいかないけどそこそこ趣味くらいのものをぶっこんでバランスを取りたいと感じた時にちょうど良い本だったので買いました。
 単純に、色のコントラストや色彩の鮮やかさに魅力を感じました。あと骨ってなんか美しいですね。とくに細かい骨が複数重なり合っているのをみると繊細だなと思いました。


 あと最後に温泉のガチャガチャをやりました。

 第一希望は銭湯と銭湯絵でしたが、第二希望のベンチと明治牛乳が当たりました。

 

 

 うれしいです。ただ、こういうのって、なんとなく開けてしまったらもう満足みたいな節があって、ずっと組み立てられず放置されています。こういうのって店内がテンションのピークなので。


 せっかくの機会なので、組み立てました。


明治牛乳onベンチ



小さい牛乳

 ベンチと牛乳があって、そこに座る人がいないのでは悲しすぎるので、私のお気に入りのキャラクターであるキウイブラザーズ君をベンチに置くことにしました。



キウイブラザーズ 休憩

 背景に、グランマモーゼスの絵画も置いてみます。


キウイブラザーズ 絵画バージョン

 今回のブログは以上になります。今年一番楽しい場所だったと言うのは多少過言ですが、めちゃくちゃ楽しかったです。とりあえず、その日のうちに高校時代のサブカル好きの友人に連絡をとって行く約束をし、K君にもまた行こうと約束し、満足な1日でした。皆さんも良ければ行ってみてください。

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