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”障がい児を受けてくれた幼稚園„

(障がい児)通園施設に勤務していた頃のことです。
今では殆どの幼稚園、保育園でハンディのある子どもを受け入れていますが、当時は中々理解してもらえませんでした。

私の住む市では、福祉の面等々に理解を示していたので、私は当然、幼稚園や保育園は受け入れていると思っていました。

私の仕事先は隣市でしたが、割と閉鎖的で封建的な考えの市でした。
公立保育園が殆どです。公立保育園では、余り好い手応えはありませんでした。

ある幼稚園の園長先生に、この話を致しました。「理事長に話してみます…」との温かいご返事を頂きました。その後、ハンディのある児童を受け入れ、加配の先生を付けて頂きました。

自治体によって、こんなにも差があることを感じました。当たり前が、当たり前ではないことを。

そのことを切っ掛けに、徐々に受け入れる保育園(社会福祉法人)も増えていきました。

私の住む市の同様の”療育センタ―„では【障害児】といった名称は使っていません。

本来、障がい児の〇〇ちゃんではありません。〇〇ちゃんは、このような障がいがあるとか、行動をするとは言うかも知れませんが、そもそも障がい児の〇〇ちゃんではないと思っています。

病気の場合も、〇〇さんの病気は〇〇とは言いますが、〇〇病気の〇〇さんとは言いません。

 私は記事では、障がい児と使っていますが、仕事の時には一切使ったことはありません。

今では知的障がいとか知的遅れとか表現していますが、以前は【精神薄弱児・者】と表現していました。

正式の書面を提出する時は、【精神薄弱児・者】と記載しなければ決裁は頂けません。
その後は、【精神薄弱児・者】という名称はなくなりましたが。

*その後、児童は、その幼稚園に通うようになりました。みんなの中で共に育つことを、その子にも周りの子ども達にとっても当たり前と思って育って欲しいと願っています。


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