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人、、、人。。。人__
私たちは街中、学校、会社などありとあらゆるところで人と会う。そんな日常で、美術館にいる人をみるのはおもしろいな、と最近思った。
・直で会う、すれ違う、みる人々
このまえ坂本龍一の展示に行ったのだけど、あそこの展示は大きなスクリーンの作品がいくつかあって、それをひとびとは座りながら、立ちながら、体育座りしながらみる。あるいは壁によりかかって手を繋いで鑑賞する恋人たちもいた。
スクリーンを穴が開くくらい凝視する人、なんとなく眺めてる人、眠そうな人、あるいは目を閉じて坂本龍一の流れる音楽に集中する人、スマホを掲げる人、etc,,,,,,
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興味深かった。作品を眺める、鑑賞する人たちのさまざまな仕草、態度がそこにはある。あまりに興味深いから、透明マントを被りスクリーンを見ている人々の写真を正面から撮る自分を想像する。
また上のシルエットでは、歩く人、立ち止まる人など移り変わる人の姿が水族館の水槽の中のさかなたちのようでフフッとなる。
それにしてもこの展示はとにかく人が多かった。空いてるときに行きたかった、という声もきく。それもわかる。だけどこの展示はじぶんにとっては人々がいることで完成する、成り立つ作品なんかもあった。というかそのような作品ばかりだったように思う。
・画面越し、写真越しに見る人々
去年の12月に三菱一号館にて催されたロートレックの展示に行ったときとそれと併せて展示が行われていたのが、ソフィ・カルというアーティストの展示で、そのなかに人生ではじめて海を見る6人の老若男女をスクリーンを6等分して写す作品があった。彼ら彼女らは海を見終わってカメラに身体を向け、涙を流す人もいれば顔のしわが深くなっていく人、笑顔になる人、終始表情が変わらない人と色々だった。わたしはそれがロートレックの展示よりも印象に残ったのだ。
表情といえば、Angèle のBalance ton quoi のミュージックビデオに人々の顔を移す場面がある。みんな同じものをみているが、表情、雰囲気が異なる。
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・顔?
人に興味があるなかで一番注目するのは顔である。(断っておくがわたしは人の顔の造形、美醜をみているわけではない。) 人の顔というのはジロジロみるには気が引けるし、恋人や親しい関係でない限り気まずさを感じてしまう。だけど写真や画面越しの顔(雑誌やアルバム、電車の広告など)はいくらみても気まずさは感じない。
顔、そこにはその人のもつ雰囲気もあらわれる。それらが集合して混ざりあったり、すれ違ったり、対立したりと絶妙な雰囲気が漂う。
それすらもひとつの作品になるんじゃないか、なんてわたしは思ったりする。
「音を視る 時を聴く」はそんなことをわたしに考えさせた。
美術館にいる人の様子を撮り集めた写真集なんかあればおもしろいなあ、いつか撮りたいなあ。むむーん、透明マントがほしいですわね。
ではこのへんで、ばいなら。。。✴