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日本の建国の時期は?【6】銅鏡からpartⅡ

『日本はいつ頃、建国されたのでしょうか?』

『いつ頃に建国されたのか?』という<時期>について理解を深めてきたく、いろいろな角度で考察をしていきます。

【銅鏡の埋葬時期と分布】

前回の記事では銅鏡の「製造」時期の分類から考察しましたが、今回は、銅鏡の「埋葬」時期について考えていきたいと思います。

以下の表は、「行」項目は、漢鏡の「製造」時期で、横の「列」項目は、漢鏡の「埋葬」時期についてまとめたものです。もちろん全ては書ききれないため、代表的な事例をいくつか記載したものになります。傾向を大づかみする程度で見てください。

行:漢鏡の製造時期  × 横列:鏡の埋葬時期

・前漢鏡と言われる「漢鏡2期、3期、4期」はほぼ北九州の埋葬遺跡から見つかっています。その埋葬時期は、紀元前100-西暦250年のころになります。

・後漢鏡のはじまりである「漢鏡5期」(AD25-AD100頃に製造)の埋葬時期には幅があります。古墳時代が始まる前(紀元後250年頃)までは、前漢鏡と同様に、北九州の埋葬遺跡から出土しています。しかし、紀元後250年以降は、大和を中心とした近畿地方の古墳から多く出土するようになります。九州からも出土していますが、これらも古墳からの出土です。


<ここからの学び>

 「北九州を中心」としていた「銅鏡祭祀」の文化が、「大和・近畿地方」へ伝播します。それをキッカケに「3世紀半ば」に突然「前方後円墳」という祖先祭祀が大和で生まれ「大和・近畿地方」を中心とする古墳時代が到来します。そしてその古墳には「銅鏡」が埋葬されるようになります。

 「3世紀半ば」に銅鏡文化を「大和・近畿地方」にもたらした「北九州」からの集団が 「3世紀半ば」に「大和地域」を中心に突然「前方後円墳」という祖先祭祀を始め「日本の建国を果たした」と考えます。


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