彦坐王の血統⑯小幡神社(京都府亀岡市)
「彦坐王(日子坐王:ひこいます王)」の一族について伝承を調べています。この「彦坐王」は 開化天皇(9代)の皇子ですね。
丹波の入り口である 京都府の「亀岡盆地」にも「彦坐王」やその子の「丹波道主」にゆかりのある神社があります。
<小幡神社>
御祭神:
開化天皇(9代)
彦坐王 (開化天皇の皇子)
小俣王 (彦坐王 の御子)
御由緒:
崇神天皇(10代)の命により派遣された四道将軍のひとり、丹波地域を治めた丹波道主命が、【皇祖】開化天皇(9代)を主神として祀っ たことに始まるといわれ、開化天皇の御子 の彦坐王とその御子である小俣王の三代を奉斎しています。
<ちょっと考察です>
『開化天皇(9代)ー 子:彦坐王 ー 孫:小俣王』 の3代を「丹波道主」が祀った。ということが御由緒には書かれています。
ここで違和感があるのは、『「丹波道主」の異母兄弟の関係にある「小俣王」を「丹波道主」が祀った。』ということです。
「丹波道主」の子孫が、後の世になって、
『開化天皇(9代)ー 子:彦坐王 ー 孫:丹波道主』 の3代を祖神として御祭神に据えるなら理解ができます。
「丹波道主」が同世代の兄弟を加えて
『祖父:開化天皇(9代)ー 父:彦坐王 ー 兄弟:小俣王』の3代を御祭神に据えているのに違和感を感じます。
何故、異母兄弟である『小俣王』を祀っているのでしょうか?
残念ながら『小俣王』についてはほとんど伝承が残っていないので、ここは、各自の想像で古代史を楽しむ領域になります。
【仮説1】:
父「彦坐王(日子坐王)」と兄弟「丹波道主」と共に丹波遠征に参加していた『小俣王』は「亀岡」に子孫を残した。 その『小俣王』の子孫が、神社を創祀した?
【仮説2】:
「丹波」の領主となっていた兄弟「丹波道主」は、すでに亡くなっている父「彦坐王(日子坐王)」と『小俣王』を共に、亀岡で祀るようになった?
他もいろいろ考えられると思います。
<與能神社>
御祭神:
事代主命・健御名方命・天照皇大神・天児屋根命の四神
御由緒:
祭神として事代主命(えびすさん)、建御名刀命(諏訪さん)、 天照皇大神(お伊勢さん)、天児屋根命(春日さん)の四神を祀る。
「諸国鎮座神秘抄」によると奈良時代に四道将軍丹波道主命を国家の平和鎮護の為、祀った与能神宮寺が起源 とされる。
この辺りに子孫がいたのでしょうか?