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タイムスリップ寺山修司

2022 9/3(土)
 
ふらっとブックオフに寄ってみたら、懐かしい本に巡り合えることがある。
しかもそれが100円コーナーにあるなら喜びもひとしおだ。
中身にアンダーラインが引かれていようが書き込みがされていようが、商品としては本来は許しがたいものであるが、それらを含めて古本の醍醐味であり、100円であるならば迷うことなくレジへ持って行く。
そんなブックオフで、今日は「書を捨てよ、町へ出よう」を見つけた。
寺山修司の作品であり、自身がメガホンを撮って映画にもなった60年代を代表する名著の一作である。
初めて読んだのは俺が高校生の時だ。
当時、実家の本棚によく本屋のカバーがかかっている本が沢山あって、中身が何であるのかを見ていくのが好きだった。
本は大抵、母が神戸三宮のジュンク堂などで手当たり次第に買って来ていて、そして大抵、本屋のカバーがかかったまま本棚に収納されていた。
そんな中で、一際目を引いたのがこの本である。
表紙は着物姿の女性の絵だ。古い日本画のようなそれはどう見ても高校生の少年には引っかからない。
だがタイトルがいい。
「書を捨てよ、町へ出よう」
どういう意味なんだ。
この本を捨てて外に行きなさい、ということなのか。だったら読むなということなのか。
いや、とりあえず読みなさい、でも、出かけたら外の方が面白いと気づくよということなのか。
目次を見た。
第一章「書を捨てよ、町へ出よう」
第二章「きみもヤクザになれる」
第三章「ハイティーン詩集」
第四章「不良少年入門」
刺激的なタイトルが並んでいる。
パラパラとページをめくっていったところ、難しそうな言葉がいっぱい出てきた。高校生の俺には到底理解できない。だが時折、高倉健、吉永小百合、長嶋茂雄、チャップリンなど馴染みのある固有名詞も出てきた。
一体どんな本なんだろう。
俺は、書を捨てるどころか読み始めてしまった。
読み始めてすぐに、この本のジャンルはなんなのだろうかと思った。
全体的には評論という大まかなくくりではあるが、古今東西の様々な文献を引用しながら、ああでもないこうでもないと独り言の議論が始まったかと思えば、唐突にキンタマについて真面目に語りだしたりと、まるで作者の中に大人から小学生までが存在しているような、実に振り幅の広い内容で構成されていた。
俺は読みながら、これは本というよりも一人の男の個人的なスクラップブックを覗き見しているような感覚になった。
二、三日かかって読み終えただろうか、なんだか分からないが凄く面白かった。そして、すぐにこの人の他の作品が読みたくなった。
本屋で店員さんに尋ねる時の為に、俺は「書を捨てよ、町へ出よう」を鞄に仕舞って、町へ出た。
神戸三宮のジュンク堂に行くと、寺山修司の作品は沢山置いてあった。意外にも映画に関する本が多くあった。そんな中
「実験映画カタログ」
という本を見つけた。
それは、寺山修司本人が作ったショートフィルムを年代別に自身で解説しているパンフレットのような構成になっていた。
「トマトケチャップ皇帝」「二頭女」「疱瘡譚」「ジャンケン戦争」
刺激的なタイトルが並ぶ。
「二頭女」「疱瘡譚」など、江戸川乱歩さながらの、おどろおどろしさがある。「トマトケチャップ皇帝」「ジャンケン戦争」とはなんなんだ。
どこの国で何が起こっているんだ。仲間に、マヨネーズ皇帝などがいるのだろうか。妄想が膨らむそれらのタイトルを読みながら、俺はジュンク堂の片隅で一人興奮を覚えた。
この寺山修司という人は一体何者なんだ。
「実験映画カタログ」を誰にも買われてはいけない。
俺はすぐさまレジへ向かった。
そのあと、実際にビデオで実験映画やその他の作品を観た。
寺山修司の発想は、俺の描いていた妄想よりもさらに上を行っていて驚愕の連続だった。
神戸の片田舎に住んでいた一人の少年が、高校生という多感で感性が研ぎ澄まされた時期に出会った寺山修司。それは完全にヒーローだった。
ブックオフの100円コーナーの前で一気に30年前にタイムスリップした俺は「書を捨てよ、町へ出よう」を抱えるようにしてレジへ持って行った。
俺は、書を買って、家へ帰った。今夜は30年ぶりにじっくり読もう。
 
 
 
 
 
 
 
 

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