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履歴書が一枚では足りない

履歴書が一枚では足りない。
普通は、学歴や職歴を箇条書きにし、それを面接などの際に提出するものであるが、芸人の場合だと、ここに芸歴という項目が加わる。
その為、情報量が多くなり、市販の履歴書用紙では書く欄が狭すぎて、すべてを書けないのである。
学歴や職歴など、はっきり言って、芸人には何の関係もないことではあるが、そこを端折る訳にはいかず、残された空欄に、出来るだけインパクトの強い芸歴を書くことになる。
例えば、俺の場合だと、以下のようになる。

三遊亭はらしょう 本名・原田亮
1977年12月4日 45歳

学歴
 1992年3月 神戸市立小部中学校卒業
 1992年4月 神戸弘陵高等学校入学
 1995年3月 神戸神戸弘陵高等学校卒業
 1995年4月 放送芸術学院入学
 1997年3月 放送芸術学院卒業

職歴
 2000年1月 アートオー入社
 2000年8月 アートオー退社
 2000年11月 大前製作所入社
 2002年2月 大前製作所退社
 2002年4月 桝弥入社
 2003年7月 桝弥退社

芸歴
 1997年4月 ピン芸人・原田亮として活動開始 
 1999年7月 劇団「弾丸列車構想」を結成
 2001年7月 一人芝居芸人・ハラダリャンとして活動開始
 2002年7月 劇団「弾丸列車構想」を解散
 2009年3月 一人芝居芸人・ハラダリャンを引退
 2009年4月 三遊亭円丈に入門し、落語家・三遊亭はら生として活動開始
 2011年2月 三遊亭円丈に破門され、落語協会を退会
 2011年7月 三遊亭円丈の元に復帰。フリーの落語家・三遊亭はらしょうとして活動再開
 2012年10月 放送作家として、ワタナベエンターテインメントでテレビ番組の仕事を手伝う
 2017年1月 東京演芸協会に所属
 
以上である。
これを、実際の用紙に書くと、24行ほどになる。
芸歴がある分、びっしり埋めることになるのだ。
さて、まずは学歴であるが、昔は、小学校入学から書いていたのだが、いつの頃からか、義務教育終了時点でよいことになったようだ。
また、最近では、高校卒業が当たり前となって来ている為、高校入学から書くのがポピュラーになって来ている。
次に、職歴であるが、普通は、何年何月入社、何年何月退社と書くのだが、俺の場合、十代の頃から、100種類以上のアルバイトや正社員を経験して来た為、細かい部分は覚えていない。
仮に、それを適当に書いたとしても、職歴だけで、100行位になってしまうので、正社員として勤務した仕事だけを書いている。
だが、その正社員ですら、正確な年月日の記憶が曖昧である。
新しい仕事の面接の際には、この年月日を突っ込んで質問されることがたまにあるので、適当なら適当で、正確に答えられるようにしておかなければ、経歴詐称のようになって、面接官との間に、とてつもなく気まずい空気が流れる。
そして、最後は、芸歴であるが、はて、これをどこから数えてよいのか自分でも分からない。
というのも、最終学歴である芸能系の専門学校の、放送芸術学院を卒業した1997年が一応のスタートなのだが、卒業後二年間は、これといった活動はしていなかった。
しかし、同じ専門学校の同期である、キャプテン渡辺、新宿カウボーイかねきよの二人が、1997年からとしている為、そう書いている。
その後、1999年に自ら劇団を結成してから現在までは、ジャンルを変えながらも、終始一貫、芸人として活動を続けている。
もう、26年もこの世界にいるので、よっぽど相性がよいのだろう。
そういえば、師匠の三遊亭円丈に入門する時、履歴書に細かいアルバイトなども書けるだけ書いて見せたら、
「お前は、普通に働くことが向いてないのか、ぴゃぴゃぴゃ~」
と、笑われた。
履歴書でウケたのは、生まれてはじめてだった。
おかげで、入門に繋がることが出来た。
だが、そんなことがありながら、後に、一度、破門になっているのは、一体どういうことなんだ!
でも、すぐに復帰させて頂いたから、やっぱり芸人が向いていたのだろう。
せっかくだから、今度、このエッセイで、職歴を思い出す限り書いてみようと思う。
また、芸歴も細かく書いてみたい(例えば、何故、一度、破門になったのか等)
そんな訳で、本日のエッセイは、俺の簡単な履歴書を書いてみた。
簡単な、という文字に・・・を打ちたいほど、まだまだ情報量が少ないので、いずれまた、詳細に、そして面白可笑しく書いてみようと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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