
母親ってむつかしい「母親になって後悔してる、と言えたなら」を読んで
育児がつらい。
それは前にも記事にしたように、育児ノイローゼになるくらいつらい。薬を飲んで、カウンセリングに行って、なんとかなっている現状。
正直今もつらいが、端的に表すと「ジョブチェンジしてぇ」って気持ちですかね。転職希望。できないけど。
これを書いた時が今年の1月なので、約1年かけてなんとか死にたくならない状態になったかなって感じ。
偶然ネットで見つけた「母親になって後悔してる」を読みました。
母親と後悔って、やはり自分の中でも遠いワードだなという気持ちがあったので、タイトルを見た時は「ええ??」って思いました。
同時に、「後悔っていう感情を持ってもいいのか」とも思いました。
何度も読んで、咀嚼して、自分の考えを出すまでには時間がかかりましたが、その時間は価値があったと感じるので、文章に残しておこうと思います。
後悔してもいい
母親になったという部分だけ後悔しちゃいけないということはないと思うので、たくさん後悔して、嫌なことは嫌だと言って、そこから何ができるか、考えられるようになればいいと思います。
生きてると、小さいものから大きいものまで、後悔ってありますよね。
思えば、そのくらい後悔って身近な感情なんですよね。
でも、こと「母親になったこと」に対する後悔への言いようのない不快感というか、罪悪感というか、それは他のものと比べ物にならないものがあるなと感じます。
それはきっと、子どもでもある自分から生まれる感覚なのかなと。
お母さんにそう思われていたらショックだな、だから自分もこの子にそんなこと思っちゃいけないな、みたいな、子どもの部分の自分から生まれる気持ちな気がします。
大人になって自分も親になった今だからこそ、実母に「親になって後悔とか感じたことある?」と聞いてみたら、「大変だったけど、楽しいなとか面白いなとかのほうが多かったから、後悔っていうのはないかな」とのこと。
強いなぁと思った。
でも、後悔することが弱いってことではない。
美保さんの言うように、後悔した先のできることに目を向けたらいい。そうすればもっと気軽に後悔していいなと思えるなぁと、しみじみ思いました。
もう夢はないし、輝かなくていいと思うんです。自分にできる仕事があればするし、子どもだけではなくて私の存在を求めてくれている人もいるから、生きられるあいだはとりあえず生きていこう、それくらいの気持ちです。
この言葉、泣いちゃいました。
それだけ懸命に今まで育児をして子どもを生かして、自分も生きてきたのだろうと感じるし、世間の「何歳からでも輝ける!夢を持とう!」みたいな圧力を自分の芯の部分で跳ね返していてかっこいいというか。
私が美保さんくらいの歳になった時、そういう選択肢もあるのだと覚えておきたいなと思った言葉でした。
余り時間
なぜ母親は、子どものために使う時間の余りで自分の人生を捻出しなければならないのでしょう。
これを読んだ瞬間、「それな!!!!」と激しく思いました。
いやいや、子どもがいるんだから当然でしょう?ってきっと世間様は言いますよね。
育児を一度、いや1週間もやれば、きっと誰もが思うと思う。
いろいろなことを諦めすぎて、何がしたかったのか忘れる。
天秤にかけて、自分の方はやらなくてもいいか、という結論に多々なる。
そういうことをしていくうちに、「自分って何が好きでどういう人間だったんだっけ?」となります。
私がnoteでゲーム記事や推しの話を書いてるのも、そうならないための抵抗の一つでもあります。
好きなことを忘れないために。
太田さんの砂プリンの話はこれまた泣いちゃいましたね…。
育児が苦手な人間にとって、子どもとの関わりって虚無タイムが多いというか…。
「砂プリン=賽の河原の石」という表現が衝撃的すぎて、苦しくて虚しい感じがとても伝わってきました。
自分の人生なのに、主体がどんどん子どもになっていくんですよね。
それでいい人もいる。それが耐えられない人もいる。
私は後者だと自覚しているのでノイローゼになりましたが、だからこそ抗いたいなと思います。自分を消さないために。
自己責任って他人が言うな
自分が選んだことなんだから自分で責任を取らなきゃいけないでしょうって自分に言い聞かせてるんですよね。
これは私もそうやって生きてきたので、何度も思いました。
これまでの人生でのいろいろな選択に責任を持てと親から言われて育った。
大人になってからもそれは根強くあり、自分で選んだのだから、と思うことはよくあります。
悪いことではないと思います。
自己責任と思えば、人のせいにしないから人を憎まないで済む。
でも反射的に、自分のせいにして自分を憎んでしまう時もあります。難しい。
私も田中さんのように、子どもがいなかったら体験できなかったこと、自分の変化など、「子どもがいるからこそ」の部分に焦点を当てようと意識しています。
だから、「母親になったのは自分が選んだことだ。自分が決めたことだ。自己責任だ」そう思います。
ただこれは、自分が自分で思うからいいことなんです。
他人に言われたら刺しますね(笑)
私が母親になったことを自己責任だと言い聞かせ、でも迷い苦しみ、それでもその結論に達した、その過程を知らない人に言われたら、殺意が湧きますね。はい。
でもこれは母親に限った話ではなくて、他人が「自己責任だろ」と言うのはどんなことであっても良くないと思います。
あまりにも想像力に欠けている。
そういうことに気づけたって意味でも、この経験は大きな価値があるなと思います。
母親になったことを後悔しているが、子どもを産んだことは後悔はしていない
母親になって後悔している人、していない人。
また子どもたちの話など、本書を読んで最終的に自分が思ったのは本書で多くの母親が言ったという「母親になったことを後悔しているが、子どもを産んだことは後悔していない」という結論でした。
そもそも私が子どもを産んだのは夫のためでした。
「一生2人で生きていくのもいいし、子どもがいるのも面白そうだよね」と結婚前に言ったその一言で、子どもと関わる彼の姿を見てみたい、というのが、子どもに関する私の初期衝動でした。
私自身は子どもが欲しいと思ったことはなかったので。
長女を産んでから3年半、私の「子どもと関わる彼の姿を見てみたい」という夢は叶い、次女も産まれたので、すごく夢が叶った(語彙力)
なので、彼らが遊んでいたり一緒にいる姿を見ると、私はとても幸せな気持ちになります。
と同時に、私の勝手な夢を叶えさせてくれてありがとうと感謝しています。
子どもはいつか大きくなって、1人の人間として自立していく。今はどうしても親の手が多分に必要な時期であるというだけだ。
まあ本書の先輩方のエピソードを読むと、ケースバイケースですが…。
でも大きくなればなるほど、私は母親としてではなく、1人の人間として、対等に彼らと関わりたいなと思っています。
それから、自分のやりたいことを極力諦めないこと。自分の好きを見失わないこと。そのための努力を惜しまないこと。
それが、母親になって後悔した私にできることかなと思うから。
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