時よ移ろえ 君は美しい -四季のめぐりに寄せて-
コロナ禍の最中、有名人の自死が相次いだ
志村けんが亡くなったあたりからの現象
その「後遺症」が今も社会に残っているように思う
コロナが直接間接に人々の心をむしばみ、さいなみ
患者だけでなく多くの人びとを死の淵に追いやった
大震災について「震災関連死」というのがあるが
コロナに関しても「コロナ関連死」という用語さえ生まれた
わたしは幸いにも感染を免れ、ことなきを得たが
ただ、コロナによって少し生死への考えが変わった
というか、生や死のことを自分のこととして意識するようになった
コロナで同じ場所に縛りつけられ
国内外の移動もままならず
職場に行くこともはばかられる始末
時空の両方と向き合って生きてきた自分が
急に「空」の部分、つまり空間の次元が抜け落ち
「時」とだけ付き合う羽目に
こんなにひたすら<時間だけと暮らす>のは何十年かぶりのことだった
流れゆく時、移りゆく季節と真正面に向き合った3年間
たった3年ほどとはいえ、ほんとうに長い年月だった
週末が来て、次の週末が来る
単調な時の移ろい
それと歩調を合わせ
自分は着実に歳を重ねていく
一日一日、一週一週、ひと月ひと月・・・
今までのわたしは
空間移動の中で我を忘れ、時が経つことに無頓着だった
しかし、コロナは多くの人々に死をもたらすとともに
わたしの中にも時への思い、死への意識を呼び覚ましてくれた
そう、わたしたちは刻一刻と死への秒読みを続けているのだ
だれ一人の例外もなく
逃れ得ない時の移ろいのなかで、存在が「終わり」を必然的に内包しているからこそ、例外なく「無」に向かいゆく存在だからこそ、夕暮れが美しく、秋が美しく、桜が美しいのだ
ひとの一生もそうだと思う
ゲーテは『ファウスト』のなかで「時よ止まれ 君は美しい」と言った
時が美しいかどうか、わたしにはわからない
しかし、もし人生の享楽すべてを得るような完全に満ち足りた瞬間が自分に訪れたなら、その瞬間に向かって、永遠にそのままであってほしいと願うに違いない
でもそこには、憂いから逃れるかわりに
なんの動きも変化もない世界が広がるだろう
そこに美しさはあるだろうか
時は移ろうからこそ美しい
死や滅びがあるからこそ美しいのだ
ゲーテ気取りで言うとすれば
たぶんこうなるだろう
「時よ移ろえ 君は美しい」