『Inverted Angel』感想やら考察やら


今回は『Inverted Angel』の感想と考察のようなものを書こうかなと思います。ネタバレ回避用に本文は少し余白を開けてから書き始めます。外部からの情報なんも入れずに自分だけでクリアするのが一番作品を楽しめると思うので、まだの人はブラウザバック推奨です。














感想

ゲーム性について

とりあえず個人的には最高のゲームでした。内容はかなり尖っているし、文体は回りくどくて、推理パートは難しいけど、僕にとっては「このゲームは僕に向けられたものなのか?」と思えるほどに合っていました。このゲームは推理ゲームという面が強くそれもかなり難易度が高いです。文章を自分で一から入力する必要があるので、ちゃんとわかっていないと正答になりません。現代文の選択問題より記述問題のほうが遥かに難しいのと同じですね。僕が現代文を苦手としていたからなのかわかりませんが、1時間以上同じところで立ち止まったり、推理を放棄して総当たりで入力を繰り返したりとなかなかに苦戦させられました。最終的には、バックログを何度も見返して、重要そうなキーワードをメモったりして、なんとか……何度も攻略サイトを見たいという欲求に抗いながらなんとか、クリアできました..…..最後とかよくわからずに解答できちゃったぐらいだし。一つ難点を上げるなら内容は合っているのに言い方が違うだけで間違いとみなされることがあり、何度かAIを浮月橋から突き落としたい衝動にかられましたが、これは現代文の書き抜き問題を解くような気持ちでやるとうまくいきました。

ストーリーについて

まさか同じ状況からあれ程たくさんの物語をほとんど矛盾なく構成できるとは思いませんでした。ゲームでは小説や漫画と違ってルート分岐によって複数の物語を同一の物語の中に組み込むが可能です。ルート分岐というものを利用したゲームというのは昔からありましたが、このゲームはそのような作品の中でもかなり特異で、こちらの『推理』によって物語が分岐――というより新たな物語が展開されていく。それはまるでプレイヤーが創作者になったかのように。詩を読む面白さは、文章が少ないことで自分がその意味を想像/創造しなければならないことだと思いますが、そういった面白さはこのゲームについても同様に言えるのかもしれません。
最初に到達したENDは『Chocolate Hideout』でした。そこでは『ウイルス』が別の意味だったので、やたら登場していた『もぐら』も何か別の意味があるんじゃないかとか、実は自分はモグラなんじゃないかとか思ったりしました。また、彼女が偽物とか本物とかの話をしていたので、実は彼女と同じ姿をした偽物が途中で入れ替わってるんじゃないかとか思いましたが杞憂でしたね。一番好きなENDは『Rusty Caramel Cage』で頭がおかしくなっていくときの文章がめっちゃ好きです。少しずつ少しずつ文章がおかしくなっていく感じが不気味さを演出していて、たぶん何の意味もないのに何かがありそうな詩的で無意味な文が良いですね。絶対に普通の文章では一緒に使われない言葉が一つの文章の中に合って、芸術的な何かさえ感じました。


まとめ

全体としては、とっつきづらいテーマを上手くエンタメに昇華したゲームだなと感じました。彼女は哲学的で持って回った言い回しを多用するし、ルートによって『役名』が変わるから愛着が湧くのも難しいです。ただ彼女の本質は何も変わっていないからそこに好意を持てれば、結構彼女にも愛着が湧くんじゃないかなと思います。個別的なストーリーは分かりやすく、それぞれの『役名』を持った彼女はそれぞれで可愛いので、そこに十分なエンタメ要素はありますが、全体として表現されているテーマを理解するのは難しいです。というより普段から同じようなことを考えていないと、すんなりと頭に入ってこないという方が正しいかもしれません。プレイヤーを楽しませるということと同じくらい、メッセージを伝えるというかテーマを表現することに重点を置いているように感じました。たぶん『すば日々』とか好きな人はこれも好きなんじゃないかな、わかんないけど。少なくとも僕は好きでした。

考察みたいなもの

先ほどとっつきづらいテーマを扱っているというようなことを書きましたが、それについて考えてみようと思います。端的に言えばこのゲームは、キャラがキャラとして見られることそれ自体を扱っているのではないかと考えました。正確に言えば人は関係性の中で常に「~として」存在しているということを扱っている。それと同時に、これは愛の物語であるともいえるかもしれません。作中の言葉を使うなら、彼女が「自立と綺麗な対幻想を両立しようと」した物語。自立というのはアクターネットワーク理論と天使に関連していて、対幻想というのがチューリングテストや恋人等に関連しているのだと思われます。以下ではこの『自立』と対幻想について考えていこうと思います。

『自立』について

アクターネットワーク理論というのは、端的には冒頭の「意味とは人や現象の間にある関係性の全体像」という言葉で示されるものです。アクターとあるようにそれを人に当てはめて考えると、人をある役名を持った者として見る、というより、相手は常にある役名を持ったものとして現れざるを得ず、それは関係性の中で決まってくるという程度の意味なんだと思います。たぶん。なので『First Role』ENDや作中の『役名』という言葉はここから来ていると思われます。天使というのは関係性の網目から逃れた窮極的存在を象徴したものなのでしょう。白い翼は何者でもない、のではなくて、何者にもなりうるという潜在性を象徴していると主人公は言いました。しかしそれは論理的には存在できません。すべての意味が関係性の網目の中で浮かんでくるものなら、存在するということは常に「~として」存在するということであり、それは潜在性が顕在化した結果であるからです。最後の推理の前に主人公の部屋が割れたのは、それでもなお、彼は彼女を天使として見ようとしたということを示しているのでしょう。部屋という閉鎖系が、窓が割れることで外に開かれる。これは「~として」見るという閉じた見方から、「~として」とは別の仕方で見るという開かれた見方への移行を試みたということを象徴していて、その後の試みもきっとその一環。けれどそれは不可能だから彼は翼を見ることができない。だからその翼は白ではなくて透明になったのでしょう。言い換えると『自立』は不可能で、人は常に誰かと共に立つことしかできないという風にも言えるかもしれません。
そしてもっと言えば、このテーマはこの手の、美少女との会話を主題としたゲームとして表現される必要があったのでしょう。小説でも音楽でも絵画でもなく、こういった媒体である必要があった。それは『ルート分岐』というものが可能だという利点からだけでなくキャラクター性が重要視されるからです。いわゆる二次元的なジャンルにおいてはキャラというものは記号性の度合いが大きく、ある程度の型が定まっています。これはキャラに愛着を持ってもらうためです。記号的であることで、単純接触効果のように、そのキャラを解釈する際の思考のリソースが少なく済むからというのがその理由の一つなのかもしれません。話は逸れましたが、この記号性というのは、キャラを『属性』の羅列で表現できるとも言い換えられます。ヤンデレ、恋人、ストーカー、異常者、後輩。人を『役名』を持った存在として見るというのは、キャラを『属性』の羅列で表現できるものとして見るということと通じています。キャラクター性が最も先鋭化された形で表現される媒体を使うことで、関係性の中で『役名』/『属性』を持った存在としての相手が浮かんでくることをまざまざと見せつけ、それにより、人は関係性の網目の中で互いを『キャラ』として見ている――論理的にそうならざるを得ないということを明確な形で伝えているのではないかなと思いました。

『対幻想』についてとまとめ

対幻想というのは哲学者の吉本隆明の術語らしく調べてもいまいちわかりませんでしたが、少なくとも作中では、『Inverted Angel』ENDで彼女が言っていた「私の見ている世界を分かったつもりになろうと」することに関わっていそうです。そしてそれはチューリングテストの結果見えてくる、AIとは異なる人間の性質なのかもしれません。他人は論理的には理解し得ないのだから、少なくとも論理の範囲では他人を理解する意味はない。だからAIはそうはしないが、人間はそれでも理解をしようとすることがある。それがたぶん、作中で言われる対幻想で、あるいはそれを愛と言ってもいいのかもしれません。ただ彼女が愛ではなく対幻想という言葉を使った理由の一つには、愛という言葉に付随するイメージを主人公と彼女の間の関係に纏わせたくなかったというのもあるのかもしれません。

これらのことを象徴するような台詞が『Inverted Angel』ENDで語られています。

「君が、私の見ている世界を分かったつもりになろうとしてるって信じられて、私が、君の見ている世界を分かったつもりになろうとしてるって信じられたら、その上で、その果てでも私の羽が何色でもないままで生きていられたら、私、死んじゃってもいいなって思えるの」

彼女はそのようにして「自立と綺麗な対幻想を両立」しようと何度も夜を繰り返したのでしょう。何度も何度も繰り返し、その論理的に不可能な願いを実現しようと奮闘し、その果てで主人公と朝焼けを見るために。

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