シェアハウス・ロック1221
宇和島紀行談余
「宇和島紀行11127」に「前泊は日暮里」と書いた。その翌日は朝5時起きだが、それでも12時くらいまではとても寝られるものではない。幼稚園児じゃないんだからね。
で、ホテルに荷物を下し、散歩に出た。日暮里なんで、行先は谷中銀座である。ホテルからJRの駅を越え、少し下ったあたりが谷中銀座だ。私には馴染みの町である。夜は、さすがに人手が少ない。
「美濃部家の人々0927」で「お土産ものみたいなものを売っている小さなお店」と紹介したところまで来たが、閉まっている。ガラス戸から中を覗くと、どうも営業している気配はない。
「おじさん、死んじゃったのかな」と独り言を言ったら、その閉まった店の前で占いの辻店を出していた女性が、「改装して、別のお店をやるようですよ」と教えてくれる。
こういったところが、下町のいいところだ。人と人の距離が近い。
ちなみに、前述の「美濃部家」は美濃部孝蔵一家のことである。まあ、これでもわからないだろうな、普通は。美濃部孝蔵は古今亭志ん生さんの本名である。旗本の家系だという。
長男が金原亭馬生さん、次男が古今亭志ん朝さんで、長女の美濃部美津子さんがその店で働いていたのである。ご興味がおありなら、詳しい話は「美濃部家の人々0927」で。「シェアハウス・ロック2309後半投稿分」に入っている。そのお店の店主の方のセリフが、人情噺のようで、とてもいい。
「夕焼けだんだん」のあたりが谷中銀座のはずれになる。このときは反対側から行ったので、「夕焼けだんだん」から入り口あたりまで行ってから引き返した。
ああ、そうそう。最近読んだ『夢酔独言』(勝小吉)に、小吉の剣術仲間、不良仲間で美濃部大慶直胤というのが出てきたが、志ん生さんの曽祖父か、祖父か、その兄弟かなんかじゃないのかな。美濃部なんて姓は、そうそうあるもんじゃないだろう。まあ、それだけの話だけど。勝小吉は勝海舟の親父である。
私は谷中銀座は3年ぶりくらいだったのだが、相当店が変わっていた。これを書いている前日、巣鴨地蔵商店街に行った。ここも相当に店が変わっており、地上げが完了し、建設中のところが2か所あった。ちょっと前に書いた砂町銀座も、前回(3年くらい前かなあ)とは、だいぶお店が変わっていた。元気のいい商店街はそういうことなんだろうな。
谷中銀座を散歩した後は、谷中銀座の反対側の「馬賊」というラーメン屋でおとなしくラーメンその他を食い、酒を飲み、ホテルに戻り、おとなしく寝た。WiFiが通じることを確認し、ノートの投稿をしてから寝についたのである。
長々と書いたが、今回の話は「『八犬伝』1019」のシリーズ中に紹介した「『八犬伝談余』(内田魯庵)11025」の「談余」というのを一回やってみたかったからで、それだけの話である。
付き合わせちゃって、ゴメンね。