シェアハウス・ロック(or日記)0101
『目覚めよと呼ぶ声の聞こえ』(BWV645)
音痴にかまけている間に、年が明けてしまった。
今年の元旦も、マリ=クレール・アランの『目覚めよと呼ぶ声の聞こえ』(BWV645)で新年を迎えた。元旦の朝、これを初めに聞くと、なんだかとても気持ちのいい新年を迎えた気になる。俗世の汚れが落ちて、多少はすがすがしい気持ちになる。
オルガンは様々な音を出す。『目覚めよと呼ぶ声の聞こえ』では、天使の吹くトランペットのように聞こえる部分が、なんともいい。何人もの演奏でこの曲を聴いたが、天使感は、マリ=クレール・アランさんの演奏がピカイチである。
問題点がふたつある。リビングではテレビ装置で聞くことになるので、前日、おじさんがテレビを見たままになっている可能性がある。その状態で電源を入れると、テレビの、俗塵そのものといった音がまず流れて来てしまう。こうなると、この一年俗塵にまみれて暮らすのかといった、いやーーな気分になる。これを防ぐには、前日に入力を切り替えておく必要がある。これは遺漏なくやっておいた。
もうひとつ、マリ=クレール・アランのそのアルバムの最初は、『トッカータとフーガ』(BWV 565)である。これは嫌いではないのだが、なんだかハッタリ臭いところがある。このハッタリのまま一年間行くのかと思うと、なんだかちょっとだけ大変な気がする。新年は素直な気持ちでスタートしたい。
だから、そこは飛ばさないといけない。一年間に一回だけなので、なかなか何曲目だかをおぼえられない。今年は、前年中に何曲目が『目覚めよと呼ぶ声の聞こえ』なのかをあらかじめチェックしておいた。これはメモにして、そのCDに挟んでおいたので、来年も大丈夫。なんでこんな手間をかける必要があるのかと言うと、焼いたものを誰かからいただいたので、ジャケットがないのである。
バッハ関連の今年の目標は、『マタイ受難曲』を通して一気に、なおかつ独和対訳を読みながら聴くというものである。なんのことないじゃないのとお思いかもしれないが、これに「誰にも邪魔をされず、かつインタラプトなしに」という条件を付けると、なかなか難しいことになる。2時間近くそういうことがやれるというのは、なかなかあるようでない。
もうひとつ、今年は旧約聖書を通読しようと思う。『創世記』『ヨブ記』など、読んでいるところも半分くらいはあるのだが、まだ手つかずのところもある。ただ、一気には無理なんで、当然ほかの本も読み、その間を縫っての通読である。これは、切れ切れでもいいのでなんとかなるはずだ。
【追記】
今朝、コーヒーカップから湯気が立っているのを見た。これは寒くなったからで、ずいぶん前からそうなのだろうが、湯気に気がついたのは今朝が初めて。これだけで、相当にいい気分になった。