シェアハウス・ロック2408中旬投稿分

ロックンロール・バカ0811

 代々木上原だか、代々木八幡だかのお宅にお伺いしてから、もう一回、そのコンサートの打ち合わせで樹木希林さんとお会いしている。場所はTBS(当時は赤坂)のスタジオだった。「本読みをやっているんで、そこへ来て!」ということで、スタジオに行き、読み合わせが中休みになるのを待ってからの打ち合わせだった。
『時間ですよ』の読み合わせだったか、その続編みたいな『寺内貫太郎一家』のだったかは、私にはわからない。ただ、そこには加藤治子さんがいたので、これでわかる人にはわかるだろう。加藤治子さんがもし両方に出ていたとしたら、もう完全にわからない。
 たぶん、代々木上原だか八幡だかではなく、このときだったのだろうが、希林さんは打ち合わせで「演技プラン」みたいなことをしゃべってくれた。

 まず、出て来たときは前髪をおろしてるのよ。白髪に染めてるから前髪をおろすとお婆さんでしょ。東京キッドブラザーズの○○○○って曲知ってる? (知りません。)「私たちは、愛し合わなきゃだめ。信じ合わなきゃだめ」って曲。ここまでは、お婆さんが歌う。「ズンズズ ズズズズ ズンズズ ズズズズ」ってバンドがやって、この間に私は前髪をかき上げてる。で、若くなって、「仲間が要るんだ」「ズンズズ ズズズズ」ってなる。(はい、もう全部おまかせしてますから)

 これは、打ち合わせではなく、明らかに「演技プラン」でしょ? 
「ズンズズ ズズズズ」は、『プリティ・ウーマン』(ロイ・オービソン)のギター・リフとほぼ同じである。
 当日のステージはまったく前記の通り。
 樹木希林さんは、テレビに出ずっぱりになる前は六月劇場という新劇のグループに属していて、生で見ることもできたが、このころはほとんどテレビに軸足を移していた。だから、なかなか生では見られなかった。しかも『時間ですよ』ではハマさん(これが役名)で、『寺内貫太郎一家』では「ジュリーィィィ!!」である。そこでしか見られない。これだけでも、このライブは「勝負あった!」である。
 その次の曲が、『ロックンロール・バカ』だった。これは、裕也さんの持ち歌だと思っていたが、外道(バンド名)の曲なんだね。
 私の記憶では、この2曲だけ歌って、あとは伴奏をやっていたクリエイションに引き継いで引っ込んでしまった。それもカッコいい。
 クリエイションは、あまり売れなかったけど、日本ではトップクラスのバンドである。彼らに匹敵するバンドは、私が知っている限り、当時ではザ・ゴールデンカップス、クニ・河内とハプニングス・フォー、上田正樹とサウス・ツー・サウス、ウェストロード・ブルースバンドくらいなものだ。不出世ではあるが、フォー・ジョー・ハーフもいいバンドだった。
 そのクリエイションですら、樹木希林さんの2曲の後はやりにくそうだったし、上田正樹たちも完全に食われてしまっていた。
 樹木希林さんは、けっして歌が下手ではない。むしろうまいほうだ。でも、それよりもなによりも、まず前述のように「役」を演じていてその「役」が歌っているというのが際立っている。その後ろに、ご本人の生の存在感、そしてもうひとつ裕也さんの代理という「役」もうかがわせて、これは音楽の評価ではないかもしれないけれども、「多重性」を感じさせるものであったことを書いておきたい。

内田裕也さん、再び0812

 京都の円山公園の野外音楽堂でやった『春一番』コンサートに出演したフラワー・トラベリングバンドを野次ったら、内田裕也と安岡力也に追いかけられたという話が、中島らものエッセイにある。これは怖い。裕也さんはともかく、安岡力也は怖い。映画『ブラック・レイン』で、マイケル・ダグラスを片手で持って、ゴルフの打ちっぱなしの2階から吊るすのが安岡力也である。
 また、四谷にある「ホワイト」というバーで、矢沢永吉と出くわした裕也さんが矢沢を外に連れ出し、「先輩に挨拶がない」ということで殴ったという武勇伝をどこかで聞いたこともある。この話には後編がある。それは、殴られた矢沢永吉は裕也さんに向かい、「ありがとうございましたっ!」と言って頭を下げたというものだ。本当かどうかは知らないし、誰から聞いたかもおぼえていない。
 ことほどさように、裕也さんは武勇伝にはこと欠かない。
 だが、裕也さんは、私には一貫してていねいに接してくれた。私は裕也さんよりも10歳も下であるし、当時は20代のチンピラである。それでも、常に「さん付け」で呼んでくれた。
 3回前、京大西部講堂がらみで、私の親分だった高瀬泰司の話をしたが、裕也さんも泰ちゃんの子分格であった。泰ちゃんは不思議な人で、麿赤児は弟分である。だから、私にとって麿赤児は叔父貴分にあたる。
 余計な話をする。
 泰ちゃんの下働きにタモツというヤツがいた。ちょろちょろと泰ちゃんの用事をしていたのだが、泰ちゃんはさすがに持て余したのだろう、麿さんにタモツを譲り渡すことにした。「猫かて、人にやるときには、ペットフードのひと月分くらいは付けるもんやろ。わしは、なーんもなしで、自分で電車に乗って、麿とこに貰われて行ったんや」と、タモツの嘆くまいことか。
 だが、泰ちゃんが末期がんで、お寺の離れを借り、自前のターミナル医療に入ったとき、麿さんにしばしのお暇を乞い、泰ちゃんの世話をしに京都に戻り、死に水を取ったのがこのタモツである。
 泰ちゃん関係で言えば、裕也さんは私の弟分になるので、そういうことでの「さん付け」であったのかもしれない。裕也さんは、こういった長幼の序のプライオリティが高い人だったのだろうか。そう考えれば、納得できる。
 だから、裕也さんとしゃべっているときに、「おい、裕也!」と言ったら、「はいっ!」と答えたかもしれない。私は知的好奇心が旺盛なので、裕也さんとしゃべっている最中、何度か試してみるかなという衝動に駆られたのだが、外したら大変なことになりそうなので、もちろん試してはいない。
 もうひとつ、基本的にはこの数回のようなことで裕也さんには接していたので、私をプロデュースサイドの人間だと思っていたフシがある。でも、プロデュースサイドだからといって、無条件で「さん付け」するような裕也さんでもないと思う。
 裕也さんのプロデュースした「ワンステップ・コンサート」というのを郡山(福島県)でやるというときに、「手伝ってよ」と言われたことがあった。オノ・ヨーコが演奏するというので話題になったコンサートである。
 私は、「舞台設営くらいなら手伝えるかもしれないけど」と答えたら、「そんなんじゃなくて、プロデュースで手伝ってよ」と言われたのである。
 オノ・ヨーコのステージは、テレビで見たが、断ってよかったとしみじみ思ったことだった。

 
『なんで家族を続けるの?』(内田也哉子/中野信子)0813

 表題の本を読み、「ヒトが人を欲する理由0808」を書いた。それがきっかけで、内田裕也さん、樹木希林さんの思い出話を数回やることになった。
 本日は、中野信子さんのほうの話題である。
 ところで、この本をお勧めしたように思われるかもしれないが、実は、「ヒトが人を欲する理由0808」ではそんなことは一言も言っていないことがおわかりいただけよう。
 同書は、対談本である。話の都合で、上記では同書p.176-177を文章体にして紹介した。「ふたりがかりなら勝てる確率も上がる」というのは、私が書き加えたものである。でも、文意はゆがめていないと思う。気になった方は、ご参照ください。
 元の記述は、まあ、対談なので仕方ないのかもしれないけれども、正確さを欠く。時間軸がおかしいし、後ろ向き推論もしている。つまり、結果を原因風に語っている。あそこで、「ちょっと異論があるけれども」と言ったのはそういうことである。
 でも、同書にも見るべきところはある。
 それは、中野さんの発言では、以下である。

・生き方を考えるとき、よく「本当の自分探し」というフレーズが出てくるでしょう。でも、そんなものはないんじゃないかな。
 (私たちは)ペルソナを生きている。だから、他人はそれを見ている。他人にわからないものが、自分にわかるわけがない。
・私たちはモノを見るとき、脳の視覚野という領域を使っているんだけど、盲目の人はそこを視覚でなく別の機能に振り分けている。例えば言語機能だとか。
・羽生善治とか藤井聡太は、インタビューに答える際に目をつぶる。もしかして、彼らは視覚優位であるがゆえに言語領域の使い方が一般の人とは違うのではないか。盤面を画像で処理しているんではないか。脳の言語領域を圧迫するほど画像処理にリソースを使うのだと思う。

 以前、アメリカ人は人の名前をおぼえるのが得意だという話をした。彼らは、「今日は学校へ行ったのかい、トム?」などと、会話のなかで頻繁に相手の名を呼ぶ。パーティで初めて会った10人を相手に平気でこれをやるという、一般的な日本人には離れ業としか思われないこともやる。そして日本人は、アメリカ人がこの用途に使う脳の部分を、漢字の処理に使っているらしいということを申しあげたことがある。これは、なんかの本で読んだ知識である。上記の一番下の「・」は、この話に通底していると思う。
 また、真ん中の「・」は、盲目の音楽家を考え、彼らは視覚野を聴覚用に使っていると考えるとかなり納得できる。レイ・チャールス、ホセ・フェリシアーノ、スティービー・ワンダーなどという人たちの音楽感覚は、たぶんそういうことなんだろう。
 これらの「・」は、脳科学者としての中野さんの発言と読める。
 だが、はじめの「・」は、おっしゃっていることはその通りだとは思うが、これは脳科学者の立場からの発言とは思えない。どちらかと言えば心理学、それも俗流心理学みたいなところからの発言である。こういうことがこの書籍には多く見られる。だから、私としては、この書籍をあまりお勧めはしない。
 私は、科学者が書いた文章が好きである。彼らの書くものは、おおむね、科学者としての背骨がスッと一本通っているからである。たとえば、柳澤桂子さんは、たとえ自分の家の庭の話を書いていても、生命科学系の学者としての背骨が通っていて、それがまた美しい。
 中野信子さんも、素質としてはそうなれるはずなのに、残念な気がする。

【Live】メダカと異常な暑さ0814

 今年の夏の暑さは異常である。
 毎度おなじみメダカの諸君は、睡蓮鉢、元火鉢、発砲スチロールの臨時水槽すべてで全滅に近い。私らのシェアハウスは6階、7階のメゾネット形式で、6階のベランダに彼らの鉢は置いている。カンカン照りのベランダで、水温が上昇したのだろう。彼らは35℃くらいが限界のようだ。
 睡蓮鉢、元火鉢には、7月の半ばあたりから葦簀をかけ、水温が上昇しないように気を配ったが、今年はそれでも追いつかなかった。この時点で、臨時水槽の諸君は全滅していた。睡蓮鉢、元火鉢には釉薬がかかっているが、食器などに比べて緩いものであり、幾分は水も浸透し、それが蒸発するときに気化熱が奪われるため、多少は温度が下がる。この差なのだろう。
 臨時水槽には孵ったばかりの諸君がいて、若いほうが温度の上昇には耐えられるはずなのに先に死んでしまったのは、たぶんそういう理由なのだろうと思う。
 8月に入ったあたりで、かろうじて生き残った睡蓮鉢の諸君を、我が畏友その1にもらった直径25センチの鉢に移し、屋内に持ってきた。日陰だし、クーラーをつけることも多いので、そうしたほうが安全だろうと考えたのである。
 だが、そうした段階で20匹近くいた諸君は、一匹、また一匹と死に、現在は10匹程度になってしまった。
 だが、朗報もある。
 睡蓮鉢の水を替えようとしたおばさんが、そこで泳いでいる生まれたばかりみたいな連中を発見したのである! 7階にいた私のところに駆け上がり、報告したおばさんは涙ぐんでいた。鬼の目にも涙とは、お釈迦さまもうまいことを言ったものである。あ、冗談なんで、本気にしないように。
 新生児は10匹を超えていた。半数をガラス鉢に移し、半数は睡蓮鉢に残した。リスクヘッジをしたのである。いまのところ、新生児も、我が畏友その1の鉢にいる生き残りの諸君も元気である。
 セミの様子もおかしい。通常、いまごろになると「これでもか!」というくらいに鳴き、「ウォール・オブ・サウンド」(フィル・スペクター )状態なのだが、なんだか今年は、鳴き声が「疎」である。あんまり暑いんで、セミの諸君もやる気が出ないのだろうか。
 それと、例年はほとんどアブラゼミなのだが、今年はなぜかミンミンゼミが多い。これもちょっとした異変である。昨夜、駅近くの立ち飲みバーの帰り、秋の虫が鳴いているのを聴いた。これも、10日以上早い。
 一昨日は春風亭一之輔の「ドッサリまわるぜ2024」の立川ライブ。このツァータイトルは「ドサ回り」の洒落なんだろうなあ。日程等々を見てもツァーなんで、ついライブと言ってしまった。一之輔の演目は『鈴ヶ森』『へっつい幽霊』『百川』の三席。三席は初めてで、なんだか得した気分である。『百川』では、涙が出るほど笑った。一之輔は、なぜだか田舎者の百兵衛さんに情け容赦がない。前に聴いたときもそうだった。
 本日午後は、お灸の買い出しに巣鴨へ。お地蔵さんの縁日なのである。お灸、巣鴨、お縁日の三題噺はなんだか老人っぽいが、本物の老人なので仕方がない。

『人間革命』の冒頭0815

 戦争はいけない。
 絶対にいけない。

『人間革命』(池田大作著)は上の言葉で始まっていた。もちろん、これは記憶であるし、しかも私の記憶だからあてにはならない。
 2014年7月1日、第2次安倍内閣は、現行憲法でも集団的自衛権を行使することができるとする閣議決定をした。従来の憲法解釈を変更するこの閣議決定は、日本に対する武力攻撃、または日本と密接な関係にある国家に対して武力攻撃がなされ、かつ、それによって「日本国民」に明白な危険があり、集団的自衛権行使以外に方法がない場合に、必要最小限度の実力行使ができるというものである。これが、集団的自衛権の行使の要件であり、これを「新三要件」というらしい。
 安倍晋三は「紛争中の外国から避難する邦人を乗せた米輸送艦を自衛隊が守れるようにする」とコメントした。新聞でそれを読んだ私は、「なんたる詭弁だ」と思った。「米輸送艦」になどに乗らなければ、それで済む。よしんば「米輸送艦」に乗らなければならない事態であったとしても、速やかに他の船に乗り換えればそれでよろしい。
 そもそも「軍」が「民衆」を守らないことは、日本では満州帝国末期で証明済みだ。「軍」は「国体」は守っても「民衆」は守らない。より正確には、「国体」をこそ優先して守るものなのである。「民衆」は「ついで」だ。自衛隊法を精緻に読めば、これは書いてあるはずである。
 だいいち、上記の冒頭「日本に対する武力攻撃」は個別的自衛権の適用範囲そのものであり、個別的自衛権が自然権であることは自明である。ここでこれを言うのはおかしい。それも含めて、この閣議決定はグチャグチャである。
 もっとも根源的な疑問は、憲法解釈を閣議決定できるものなのかということだ。
 もうひとつ感じたのは、連立政権の一翼を担う公明党は、上記の池田先生の教えに叛くのかということである。これを言いたいのが、この文章を書いた主な目的だ。
 私が昔『人間革命』を読んだのは、創価学会第二代会長・戸田城聖が死の床で、「小岩はまだか」と言ったということを小耳に挟み、「そこまでは読んでみるかな」と思ったのがその理由だった。
 小岩というのは、江戸川区の小岩のことである。私は、そこで生まれ、そこで育った。私が小学2年生の三学期、父親が統合失調症で精神病院に収監された。それからほどなくして、上述の「小岩」が私の家に来たのである。小学2年生の感想なので大目に見ていただきたいが、私は、「この人たちは、人の不幸を嗅ぎつける」と思い、嫌な感じを持ったのだった。
 私の家にあるお稲荷さんを見て、その「小岩」の人(ヨシダといったと思う)は、「こんなものがあるから、この家はこんなことになるんだ。オレが捨ててやる」と言って、神棚に手をかけようとした。母は、「本当に罰が当たらないと思うんなら、やってみなさい」と言った。ヨシダは、ビクッとして、手を引っ込めた。勝負あったね。我が母親ながらかっこいいと私は思った。
 一言だけ、宗教の話をしておく。私は『法華経』を岩波文庫では読んでいるし、そこそこは理解したと思ってもいる。だが、お稲荷さんは、いまだに正体不明である。だから、お稲荷さんよりも『法華経』のほうに、現在の私は親しみがある。これは言っておきたい。
 場末の少年の思い出話はこのくらいにするが、戸田城聖さんが死の床で呼ぶほど「小岩」は戦闘的で、布教にも活躍し、戸田さんの信頼が厚かったのだろう。そこを知りたいと思い、『人間革命』を読んだのである。
 前述の「閣議決定」以来、『人間革命』の出だしがずっと冒頭の文言だったかが気になっていたのだが、つい最近、古本市の3冊100円のコーナーに『人間革命』の1があったので、立ち読みして確かめてみた。そこには、以下のように書かれていた。だから冒頭は私の記憶違いだった可能性がある。それとも改定したのだろうか。昔に『人間革命』を読んだ人に、教えを乞いたい。
 
 戦争ほど、残酷なものはない。
 戦争ほど、悲惨なものはない。

「想起」のダダ漏れ状態0816

 8月11日の『毎日新聞』朝刊には、2か所に草笛光子さんの大きな写真が出ていた。どちらも広告欄である。最初、「90歳になっても、売れっ子でよかったですね」と私は喜んだ。
 ところが、よく見ると、なんだか似たような健康器具の宣伝だったので、「いいのかなあ、両方に出て」と思ってちゃんと読んでみたら、両方とも同じ会社の、同じ製品の広告だった。似てるはずだ。だから、問題はない。
 その前日に、パリ・オリンピックのブレイキングで日本人が金メダルを取ったという記事があり、「ブレイキングって、ブレイクダンスだろ」と思いながら記事を読んだら、ニューヨークでチンピラ同士の抗争で、ケンカではなくダンスで決着を付けようと始まったのがブレイキングだという箇所が目にとまった。70年代のことだという。だからまあ、ブレイクダンスなんだろうなあ。
 このあたりで表題の「想起」のダダ漏れ状態が始まった。
 心理学や脳科学では、「記銘」「保持」「想起」のセットを「記憶」と呼ぶ。頭のちゃんとしている人は、これらを整序的に行えるのだろう。私は頭が悪いので、「記銘」などというシャレたことはできず、見たり聞いたりしたものをガラクタ入れみたいなところに入れたきり忘れてしまう。その代わり、なにかのきっかけで芋づる式にずるずると出てくることになる。
 草笛光子さん、ニューヨークのチンピラ同士の抗争、ダンスで決着、でずるずると出てきたのは、『ウェストサイド物語』である。
 この映画は、日本では1961年12月23日に丸の内ピカデリーなどの松竹洋画系で封切られ、翌々1963年5月17日まで511日にもにわたるロングラン上映となったことでも話題になった。「歌えて踊れて演技もできるようになりたい」などとタレントのミーちゃんやハーちゃんが言い始めたのも、おそらくこの映画の影響である。
 私がこの映画を見るのはずっと遅く、67年になってからだが、実はそれまでに舞台版というのをテレビで見ている。もう記憶があやしくなっているのだが、これに出ていたのが草笛光子さんなのである。アニタの役(次回参照)だったと思う。あと、記憶に残っているのが藤木孝で、こちらはリフの役(同)だったはずだ。
 もともと、『ウェストサイド物語』は1957年にブロードウェイで上演されたミュージカルであり、作曲はレナード・バーンスタインである。佐渡裕さんのお師匠さんだ。
 この舞台版を翻訳劇としてやったのが、前述の舞台版で、特に『トゥナイト』の五重唱は、映画版よりもこの舞台版のほうが優れていた。それを聴いた小学生の5年あたりからずっと憶えていて、映画を見た高校2年生時点で、「ああ、舞台版のほうがこれはよかったな」と思ったのである。
 次回は、その後にお話ししたいことがあるので、そのための準備運動というか、基礎知識というかで、映画『ウェストサイド物語』のあらすじと俳優名などのお話をする。
 

『ウェストサイド物語』のストーリー0817

 舞台はニューヨークのマンハッタン、ウェストサイド。
 そこでは、ポーランド系で構成されている非行グループ・ジェット団とプエルトリコ系の非行グループ・シャーク団が一触即発の状況だった。ジェット団のリーダーはリフ(ラス・タンブリン)、シャーク団のリーダーはベルナルド(ジョージ・チャキリス)である。
 彼らの抗争が物語の縦軸の一方。もうひとつの縦軸はトニー(リチャード・ベイマー)とマリア(ナタリー・ウッド)の恋物語である。
 この二本の縦軸は、トニーがジェット団のOBであり、マリアがベルナルドの妹であるところで交わる。トニーは足を洗い、非行少年や更生青年に理解のあるドクの営むドラッグストアで働いている。
 トニーとマリアの出会いは、中立地帯である体育館で開催されたダンスパーティだった。
 このダンスパーティが見ものである。対立するグループだから、当然振付が別で、ジェット団もシャーク団も見事なダンスを見せる。
 そのなかで、トニーとマリアは出会い、お互いに一目惚れをする。当然、この二人はお互いしか見えなくなるわけだが、映画の演出上もそうなる。それに割って入るのがマリアの兄・ベルナルドである。ここの話を、次回か次々回にするので、このシーンは憶えておいてほしい。
 このストーリーの背景には、プエルトリコ系の台頭がある。プロレス界では、このころ、サイクロン・ネグロ、マニュエル・サイクロン・ソトなどスペイン語圏のレスラーが活躍し出した。エスニックの台頭は、プロレスの潮流と深い相関関係がある。
 また、上記のストーリーをお読みいただき、これは『ロミオとジュリエット』ではないかとお思いの方がいらっしゃると思うが、その通りで、そういう指摘どころか、『ウェストサイド物語』の役と『ロミオとジュリエット』の役とを比較対照した解説すらあるくらいである。
 トニーは裏路地でマリアを探しまわり、建物上階の窓に彼女を見つける。この建物の非常階段で歌われるのが「トゥナイト」である。別れ際に翌日の夕方にマリアの働くブライダルショップで会う約束を交わす。
 前回お話しした「トゥナイト」の五重唱は、基本的には同じ曲だが、トニーとマリアは再会を心待ちにする思いを、ジェッツとシャークスのメンバーは今夜の決闘を、アニタ(リタ・モレノ)は決闘後のベルナルドとのデートへの期待を歌う。
 高速道路の高架下での決闘からカタストロフィが始まる。ベルナルドがリフを刺し、止めに入ったはずのトニーがベルナルドを刺す。
 この後でトニーの歌う歌が、“Somewhere”である。大意は、「どこか遠くへ君(マリア)を連れて行くよ。どこかに僕たちの居場所があるはずだ。皆が仲良く暮らせる場所があるはずだ」といったところである。これも、次回か次々回にお話しすることの前提になる。
 トニーとマリアはドクの営むドラッグストアで会う約束をしている。ところが、警察が事情聴取に来たため、アニタに「到着が遅れることをトニーに伝えてほしい」と伝言を頼む。
 アニタはドクの店に向かうが、そこにはジェット団が集まっており、あわや輪姦されるかという瀬戸際でドクに助けられる。ここも、次回か次々回につながるところである。
 トニーは、ベルナルドによってマリアの婚約者とされていたチコという男に、拳銃で撃たれて死ぬ。
 この後は、ギリシャ悲劇でいえば「認知」という部分である。

『ウェストサイド物語』のストーリーのズレ0818

 ここで「ストーリー」とは、誰を売り出すかという制作サイドのストーリーのことである。たぶん制作者は、ジョージ・チャキリス(ベルナルド)ではなく、ラス・タンブリン(リフ)のほうを売り出そうとしたものと思われる。時代的には、プエルトリコ系よりもポーランド系のほうがメジャーだったはずだし、『ウェストサイド物語』ではジェット団の歌はあるが、シャークス団の歌というのはない。また、決闘で、先に相手(リフ)を刺すのはチャキリス(ベルナルド)である。だから、映画の文法から言えば、チャキリスのほうが悪役になる。
 だが、少なくとも日本では、ジョージ・チャキリスのほうに人気が出てしまった。アメリカではどうなのだろう。リフのほうがアメリカ人受けするような気がするのだが。
 1960年から1963年まで、日本で放映された『ララミー牧場』でも同じことが起こっている。スリム(ジョン・スミス)とアンディのシャーマン兄弟の牧場が舞台のこのTVドラマでは、脇役であるジェス・ハーパー(ロバート・フラー)のほうに日本では人気が出てしまった。クレジットではロバート・フラーはジョン・スミスの次であり、よって脇役、せいぜい主演のひとりという扱いであることは明らかである。スリムは、タイプとしてリフに近い。
 余談だが、『ララミー牧場』の話になったので、「想起」のダダ漏れ状態としてはぜひ申しあげておきたいことがある。『ララミー牧場』で、爺や役(設定ではシャーマン兄弟の父親の親友)で、アンディと一緒にいつもマシュマロを焼いていた人(役名はジョージィだったと思った)はホーギー・カーマイケルである。ホーギー・カーマイケルは、元バンドリーダー/作曲家で、「スターダスト」「我が心のジョージア」「ロッキン・チェア」「スカイラーク」「メンフィス・イン・ジューン」などの名曲を残している。
 これらの曲は、それぞれ下記のキラ星のような人たちが取りあげているが、ここに挙げきれない人たちももちろん大勢いる。
「スターダスト」:ビング・クロスビー、ナット・キング・コール、ルイ・アームストロング、エラ・フィッツジェラルド、ザ・ピーナッツ(『シャボン玉ホリデー』のラストソング)
「我が心のジョージア」:レイ・チャールズ、ジェームス・ブラウン、ビリー・ホリデイ、ウィリー・ネルソン、ミルドレッド・ベイリー、ビリー・ホリディ
「ロッキン・チェア」:ミルドレッド・ベイリー、ルイ・アームストロング
「スカイラーク」:アニタ・オデイ、カーメン・マクレエ、アレサ・フランクリン、リンダ・ロンシュタット、ベット・ミドラー、ボブ・ディラン
「メンフィス・イン・ジューン」:アニー・レノックス 、ニーナ・シモン、レベッカ・キルゴア
 先ほど、シャークス団の歌というのはないと言った。シャークス団びいきの人は、こっちには「アメリカ」があるじゃないかと思われるかもしれない。でも、ジェット団にはそれに匹敵する「クール」がある。
「アメリカ」は、7拍子という変拍子の曲であり、名曲である。歌詞もおもしろい。屋上で歌い踊られるが、踊りも見事。『ウェストサイド物語』で「一曲」と言えば、私は間違いなくこの曲を推す。
 次回は、『ウエスト・サイド・ストーリー』のお話を。2021年のアメリカ映画で、スティーヴン・スピルバーグが監督したもので、リメイクである。

スピルバーグの『ウエスト・サイド・ストーリー』0819

 2021年の『ウエスト・サイド・ストーリー』は、監督がスティーヴン・スピルバーグ。私は、スピルバーグが『ウェストサイド物語』(1961年)をどう料理するかに興味があって、見に行ったのである。さすがスピルバーグで、つまらない小細工はしない。実にストレート。だが、要所要所で小味を利かせている。この小味がさすがである。
 まず、ストーリーには大きな改変はない。音楽も前作を踏襲している。前作をリスペクトしている姿勢が伝わってくる。
 今作ではジェット団、シャークス団のあんちゃんたちがなぜか薄汚い。
 これは、ちょっと説明がいる。前作では、どちらも小ぎれいである。ただし、着ている服には安物感がただよっている。ジャンパーなんかは安物でペラペラであるが、それでも小ぎれいは小ぎれい。落語で、小ぎれい、小ざっぱり、小粋なんていうのを「しゅっとしている」と言うことがあるが、あれである。
 ところが今作では、あれはなんというファッションなのか、ようするにラッパー風と言えばいいのか、なんかダボダボ感にあふれ、帽子を後ろ前にかぶったり、膝丈のパンツをはいたり、ああいった感じ。しかも全般に薄汚い。
 まあそういう時代なんだから仕方がないと言えば仕方がない。
 前回、「アメリカ」という曲が素晴らしいと紹介したときに、「ジェット団にはそれに匹敵する『クール』がある」と申しあげたが、この歌は前作では決闘の前に歌われたと思った。ある紹介文には、「リフは『落ち着け、クールに振る舞え』と歌う」とあり、私の記憶でもそうなっているが、今作ではリフが刺された後、残されたジェット団の少年たちが歌う。つまり、挿入される位置が変わっている。
 もうひとつ、これは形容矛盾のようだが大きな小細工がある。
 前々回、「アニタはドクの店に向かうが、そこにはジェット団が集まっており、あわや輪姦されるかという瀬戸際でドクに助けられる」と書いた。このシーンは今作にもあるが、今作では、ドクは亡くなっており、アニタを助けるのはドクの未亡人である。この未亡人が、前作でアニタ役だったリタ・モレノなのである。
 なんだか、タイムパラドックスのようだし、メタフィクションのようだし、ちょっと足元を脅かされるような不思議な気分になってしまった。
 前々回に、“Somewhere”を「(ここで)トニーの歌う歌が、“Somewhere”である。大意は、『どこか遠くへ君(マリア)を連れて行くよ。どこかに僕たちの居場所があるはずだ。皆が仲良く暮らせる場所があるはずだ』といったところである」と紹介したが、今作で“Somewhere”を歌うのは、リタ・モレノである。
 だから、「彼らの居場所などあるのだろうか。皆が仲良く暮らせる場所などあるのだろうか」というニュアンスになる。これは、ギリシャ悲劇の「認知」の役割をしている。ここで私は泣いた。
 ドクの店には、写真が飾られていた。小さくてよく見えなかったが、おそらく、その写真には、前作のドクと、その未亡人であるリタ・モレノが、若いころの笑顔で写っていたに違いない。
 スピルバーグの『ウエスト・サイド・ストーリー』は、そう思わせるだけの出来だったことを言っておきたい。

とんでもない発言0820

 駅前の立ち飲みバーで、マエダ(夫妻)と会った。ごく稀なことのように書いているが、実はしょっちゅう会っている。マエダ(夫)は大酒豪なので、頻繁にそのバーには出没するのである。だから、私が行くたびに会っている気がする。私なんざあ、マエダ(夫)の前では酒飲みとして素人同然である。
 この立ち飲みバーでのツマミは主に会話なので、その日は音楽の話をしていた。たまたま、映画の話に話題が移っていったので、私は、「スピルバーグの『ウエスト・サイド・ストーリー』は観ました?」と聞いた。「観てない」と返ってきた。「もし見るなら、前作を見てからにしたほうがいいですよ」とアドバイスをした。
 ここ数回で私が書いたことを、是非とも追体験してほしかったからである。
 話題が途切れたので、「林真理子がね、週刊誌でこんなことを言ってるんですよ」と、私はスピルバーグの『ウエスト・サイド・ストーリー』の周辺情報のつもりで話した。
 林真理子は、私、一冊も読んでないし、おじさん週刊誌『週刊文春』の連載コラムも読まない。そのページは飛ばすことにしている。でも、たまたま『ウエスト・サイド・ストーリー』という活字が目にとまってしまい、その周辺を読んでしまったのである。めくる速度が遅かったんだな。これから気を付けないとな。
 正確な文章は忘れたが、ようするに、マリアが美人じゃないので、トニーが一目惚れをするというのにリアリティが感じられないといったことを書いていたのである。
 この話をマエダ(夫)にしたわけだ。
 マエダ(夫)は、「林真理子にそんなことを言う資格はない」と断言したのである。私が言ったんじゃないからね。私は聞いただけである。肯定もしていない。否定もしなかったけど。
 ここ数回の『ウエスト・サイド・ストーリー』の話は、すべて記憶だけである。前作のほうこそ数回見ているものの、今作は一回しか見ていない。だから、書いていることが間違っている恐れはある。しかも、印象批評の枠を大きく出ていないと、我ながら思う。
 それでも、林真理子の小学生並みの感想よりも(ごめんね、小学生のみなさん)、私の書いたことは、数段マシだと思っている。
 林真理子のファンの人っていうのも、いることはいるんだろうな。すみませんね、気分の悪い話をして。でも、私だって気分が悪いんだよ。
 ちょっと『ウエスト・サイド・ストーリー』の補足の感想を。
 『ウェストサイド物語』では、ジェット団、シャークス団の両方のリーダー、リフとベルナルドが際立っていたのはもちろんだが、二番手、三番手の連中にも個性が与えられていた。ところが、『ウエスト・サイド・ストーリー』では、誰が誰やら相当にわからなかった。これは、私が歳をとって、彼ら全体を「若い連中」とひとくくりにしてしか見られないようになったせいなのか、あるいは、もしかしたらそういう時代になってきているのか。
 スピルバーグくらいの手練れになれば、それぞれの個性を際立たせることなど朝飯前なのだろうけど、あえてそうつくらなかったのか。
 ここはちょっと考えどころなのかもしれない。

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