シェアハウス・ロック(or日録)0104
落語の四季
俳句には季語があるが、落語にも季がある。「語」はどこへ行ってしまったのかとお思いかもしれないが、「落語」のほうに「語」があるので、それで間に合わせていただきたい。
昨日お話しした『芝浜』は、大晦日が噺の大詰めであり、だからまあ新年の噺とも言える。噺を聴き終えれば、年が明けている。
さて、落語の季の話である。
ちくま文庫の『落語百選』(麻生芳伸編)は春夏秋冬の全四巻で、全部で百の落語が網羅されている。これはなかなかの名著であり、落語入門には最適だと思う。「落語とは」などと大上段に振りかぶった話はないし、生硬かつ余計なことは一切書かれていない。ひたすら、語られた噺を文章化して紹介し、ごく短い解説を付す。余計なことは一切言わないところに、麻生さんの「落語愛」が見てとれる。
さて、落語の四季をまず冬から紹介する。まず、前述の『芝浜』。雪が降るんで『夢金』、火の用心の夜回りの噺なので『二番煎じ』、いかにも寒そうなので『時そば』。このあたりは、おそらく誰が選んでもランキング入りするはずだ。
春は、文句なしに『長屋の花見』だろうが、花見に持ってく重箱にたくわんを入れ、それを見栄を張って卵焼きに見えるように食うという話がもう通じなくなっているので、あまり寄席にはかからないだろうな。たくわんだって高いもんな。
なんだか、この噺を考えると、貧乏が変質してきているような気がする。これは、相当のテーマなのに、これを扱い、書いている人はいないと思う。題して、「貧乏の百年史」みたいなものね。貧乏の百年史が解明できれば、資本主義の百年、日本の百年も解明できるだろう。「余計なことを言わない」のがいいことだと言ったばっかりで、こんな余計なことを言う。まあ、バカなんだから大目に見てちょうだいな。まだ松の内だし。
『百年目』もまんま花見である。『四段目』は、切腹するんで花見どこじゃないけど、まあ、桜は咲いている。噺のなかではね。主人公の小僧さんのところに咲いているかどうかはわからない。『たらちね』は「今朝は土風激しゅうして」と言うんで、これを春一番と解釈する。『雛鍔』は、お雛さまの鍔だから、春は間違いあるまい。
夏は、『船徳』。「四万六千日、お暑いさかりでございます」だから、決まり。『素人鰻』『後生鰻』も夏だろうなあ。鰻だもんなあ。万葉集の時代から、夏は鰻だもんなあ。『真景累ヶ淵』『怪談牡丹燈籠』の噺の季節はともかく、演じられるのは夏だから、まあ夏だな。
秋の噺っていうのは、『目黒のさんま』以外思いつかない。だが、『落語百選』は春夏秋冬の4巻があるので、秋の噺もあるんだろうなあ。
ああ、そうだ。『千早ふる』はどうだろう。百人一首の「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは」を知ったかぶりのご隠居さんがとんちんかんな解釈をする噺で、百人一首だから正月あたりだろうけれど、在原業平が詠んだのは秋の景色なんで、おまけしてよ。
実は、『落語百選』は、我が本棚では秋の巻だけ欠本になっているのである。どっかで買わないとな。