シェアハウス・ロック(or日録)0122

テレビでジャズがガンガン流れた

 テレビが私の家に「来た」のは、1961年だったと思う。だいぶ遅かった。「テレビが(自分の家に)来た」という表現を、私の年代なら憶えておられる方も多いと思う。若い人にはわからないだろうが、それは「降臨」に近かった。当時のテレビは通常足が生えていた。私は、テレビにお水をお供えし、柏手を打っているところを目撃したことすらある。ウソ、ウソ、冗談です。でも、足が生えていたのはホント。それどころか、前面に観音開きの扉がついているものもあった。これもホント。これはもう、ほとんど神棚、仏壇のレベルである。
 私はテレビは好きじゃなかったが音楽は好きで、その当時は「ジャズブーム」の残照がまだあり、けっこうジャズをテレビで聴くことができた。
 おそらくテレビの側には、コンテンツ不足という事情があったのだろうと思われる。ジャズの演奏を、会場で録画し、あるいは当時のことなので録画もせずそのまま実況放送というのは、当時のテレビ局にあっては結構お手軽な番組制作だったのだろうと推測する。
 生放送が多かったのは、ビデオテープが結構高額だったからである。余計な話だが、『ひょっこりひょうたん島』の初めのころは、録画が残っていない。そのくらいビデオテープは貴重だったのだろう。
 だからたぶんコンテンツ不足のおかげで、ジャズが、テレビでふんだんに聴けたのである。いい時代だったと言える。
 私が見た(聴いた)もので、憶えているものを列挙してみる。
 アート・ブレイキー(とジャズ・メッセンジャーズ)、デューク・エリントン(・オーケストラ)、カウント・ベイシー(・オーケストラ)、
セロニアス・モンク、ルイ・アームストロング、エラ・フィッツジェラルド、サミー・ディヴィス・Jr、フォー・フレッシュメン、トニー・ベネット、ディブ・ブルーベック(・クインテット)。
 忘れているのもだいぶあるはずだ。
 ジャズが好きな方には、これは相当のことであることをご理解いただけると思う。しかも、おおむね複数回見ている。来日のたびに、一回は放送されていたのだろう。私の記憶で、これらが複数回でなかったのは、フォー・フレッシュメン、トニー・ベネット、セロニアス・モンクくらいである。だから、それ以外の人たちは複数回見ていることになる。とても日本のテレビのこととは思えない。
 たとえば、新聞に「カウント・ベイシー・オーケストラ来日」などと出ていると、「これはテレビで見られるのかしら」と思い、私はテレビ番組表をしばらく注意したりしていた。
 セロニアス・モンクは、スタジオライブで見た(聴いた)。ご存じのように、モンクは奇矯なふるまいで有名だが、そのスタジオライブでは、なにが気に入らなかったのか、ピアノを弾かず、ウーウー唸りながらピアノの周りを歩き回り、10分もそれをやり、やっとピアノを弾き始めた。ライブの実況なので、こんなところも映さざるを得なかったのだろう。もの凄い緊張感だった。担当ディレクターは速攻で胃潰瘍になったに違いない。
 サミー・ディヴィス・Jrはフルのショウを放映し、ピアノ、ドラムの演奏もやり、タップダンスもやり、ものまねもやり、ショウマンシップを発揮した。ものまねは、トニー・ベネット、ビリー・エプスタイン、フランク・シナトラあたりは、私にもわかった。
 ルイ・アームストロング、エラ・フィッツジェラルドなどは、「また、アームストロングかよ」「また、エラかよ」といった状態だったのも記憶している。いま思うとずいぶん罰当たりなことだが、でも、そのくらいはテレビ放映があったのである。

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